・職場見学で感じた不安
先日、派遣会社から紹介された会社の職場見学を行った。
私がとても印象的だったのはオフィス環境である。
小綺麗な場所ではあるのだが、なんというか、「東京の都心部にもまだこんなところがあったのか!?」と感じる程、昭和時代のドラマに出てきそうな人口密度が高く、多くの人や書類で混沌としている職場だった。
さらに、一通り案内されている時に気になったのはトイレのこと。
そのトイレはオフィス内にあり、男女共用だったのである。(ちなみ、1ヶ所だけ)
事務職として派遣社員を採用するのは大企業が多いため、それなりに立派なビルで働くことが多かった。
当然、トイレも設備、清掃面共に素晴らしかった。
そんな環境に慣れていたためか、オフィス内にある男女共用のトイレに堪らなく不安を感じた。(中を見ていないのに、こんなことを言うのは失礼な話だが…)
私はお腹が強くないため、仕事前は必ずトイレの個室に入り、出るものをすべて出し、気持ちを整え、仕事が行き詰った(「息詰まる」も含む)ることが日課になっている。
そして、そこでリラックスすることによって、初めて安心して働くことが出来るのである。
私にとって、トイレは「ただ排泄をする場所」ではなく、執務スペースと同等、もしくはそれ以上に重要な場所なのである。
実際に私は、(朝・昼両方の)始業開始前だけでなく、勤務中に午前・午後は必ずトイレで気持ちを整えている。
そんな精神的な憩いの場としてのトイレがない環境で働くことなど考えられない。
しかし、よくよく思い返してみると、私は決して仕事を始めた時から一貫して、トイレのことを重要視していたわけではない。
これまでも、先の職場のように、オフィス内に男女共用のトイレが1ヶ所しかない仕事場もあった。
私にとってトイレがそこまで重要な場所となったのは一体いつからだろう?
・これまでの職場はこんなトイレだった
私が最初に職に就いたのはアルバイトとして働いた高校1年生の時だった。
その職場はスーパーであり、トイレは店外にある客用を使用していた。
清掃こそ毎日行われているものの、典型的な「田舎の古いスーパー」のイメージ通り、暗く汚く、水洗式とはいえ、大便用は和式のみだった。
そして、屋外にあるため、空調も完備されておらず、夏は暑く、冬は寒い。
当時はそれを何とも思わなかったが、今考えると、とてもではないが、そこで働くことは無理である。
その次の職場はハローワークで見つけたスーパーで、こちらは店内に設置されていたが、建物が建設されたのがおよそ25年前だったため、至る所に古めかしさや経年劣化が現れていた。
ちなみに、こちらも大の方は和式のみである。
始めて職場のトイレに落ち着きや居心地の良さを感じたのは、この記事で登場した留学費用を貯めるために働いた職場だった。
その工場は数ヶ月前に完成したばかりで、トイレも最新式であり、始めて職場でウォシュレットを目にした。(洗浄機能は使ったことはないけど…)
地元で働いていた時は、その職場が一つだけ飛び抜けていた。
他の職場は、初め2件のスーパーのような和式ではなく、決して「汚い」というわけでもなかったが、あくまでも「排泄を行う場所」に過ぎず、気持ちを整える場所ではなかった。
…って、それがトイレの利用目的なのだから、何も間違っていないのだが…
上京して最初に就いた職場はこの記事で紹介した百貨店だった。
そこは「老舗」と呼ばれる格式高い店だったため、客用トイレはかなり清掃が行き届いていた。
一方で、従業員用はそうでもなく、地元で馴染みがあった「用を足すのに不自由しないが、それ以上の場所ではない」という感じだった。
その次は私にとって初めての事務を経験する職場だった。(なお、その時の上司は当ブログのトップアイドルであるマネージャーX氏だった)
そこで初めて都心部のオフィスビルで働くことになり、今日(こんにち)では当たり前となったリラックスして気持ちを整えられるトイレに出会ったのである。
もっとも、当時は上司がゲリグソ野郎(トイレだけにwww)だったため、トイレのことなど気にかける余裕がなかったが…
それ以降は、昨年働いた自社ビルのトイレを除き、用を足すにも、精神的に落ち着くにも、憩いの場としてのトイレに恵まれた。
・快適な労働環境とトイレのパラドクス
こうして振り返ってみると、都心部の綺麗なオフィスで働く事務職だと、トイレの環境も恵まれているということになる。
そのような精神的に安らげるトイレがあるからこそ、安心して仕事に打ち込むことが出来る。
…と言いたいのだが、よくよく考えると、それはアベコベではないのか?
この記事に書いた通り、事務職は工場や販売の仕事に比べると労働環境が各段に良い。
座り仕事だし、安全だし、(程度問題だが)飲食も自由だし、効率性が増すのであれば楽をすることさえ推奨される。
しかも、便意を催せば上司や同僚に断りを入れることなく、自由にトイレに駆け込めることが認められていることも多い。
そのため、わざわざ事前にトイレで腹の中の物を出し切る必要がなければ、辛い時に駆け込んで気持ちを整える必要もないはずである。
地元で働いていた時の販売や、工場の仕事の方が、トイレへ行くために仕事を抜ける時は必ず報告が必要だった上に、自分の仕事が止まれば、他の人に迷惑がかかるため、気軽にトイレへ行くことができなかった。
そんな職場の方が、仕事に入る前に、トイレで心も体も準備を整える必要があるし、精神的に追い込まれた時の避難場所になるはずでは?
準備はともかく、後者は単にトイレがそのようなリラックスできる環境ではなかったから、そうしようと思わなかっただけなのかもしれないが…
逆に考えてみよう。
今の職場に限らず、私はここ数年、都心部のオフィスビルで事務職をしていて、(マネージャーX氏のような例外も稀にいたが)人間関係も恵まれていた。
もちろん、便意を催した時は上司への断りなく自由にトイレへ行くことが出来た。
はっきり言って、仕事前のトイレでの準備も、息抜きも必要ないはずだが、なぜ、こうも「綺麗なトイレじゃなきゃ働けない!!」というトイレ依存症になってしまったのだろうか?
考えられるのは、事務職にも自覚はないが大きなストレスがあるかもしれないということである。
車の免許を取るため自動車学校へ通っていた時に、授業でこんなことを言われた。
「長距離の運転をする時は最低でも2時間に1回は休憩を取らないといけない」
「家族や友達を乗せて、話をしながら運転していると、楽しさで疲れをほとんど感じないけど、車を運転する時は至る所に注意を払う必要があり、脳が無意識の内にストレスを感じている」
「だから、疲れている自覚がなくても必ず休憩を取らないと、大事故につながる可能性がある」
交通事故と職場のトイレでは少々話が飛躍している気も否めないが、事務職もトイレでリフレッシュしなければならない程のストレスがあるのではないだろうか?
たとえば、大人数で一つの空間に机を並べて作業をしているため、他人との距離が近く、無意識にプレッシャーを感じているとか。
もしくは、座り仕事で体の動きがなく、ずっと同じ姿勢でいることが逆に体の負担になっているとか。
真相は不明だが、こうして私は今日も、トイレで精神的な安らぎを感じつつも、すっかりトイレ依存症になってしまった原因が何なのかを考えているのである。