日雇い派遣サバイバーの日記②:見えてきた闇

前回の記事はこちら

私の日雇い経験の記事を読んだクボ(仮名)という男性が、「ひょっとして、あの現場で一緒に働いたのでは?」と思って、私にメールを送ってくれた。

残念ながら、私たちは一緒に働いてはいなかったが、これも何かの縁だと思い、彼が定職に就くまで、日雇い派遣で生計を立てていた時の話を聞かせてくれた。

それは私の経験などよりも遥かに重みのある内容だった。

今日はそんな彼の日雇い生活、23週目のできごとをお送りする。

・日雇い生活2週目の仕事

:工場でライン作業

:デパートのレイアウト変更

:野球場で記念品の配布

日雇い派遣生活2週目はお盆休み前に紹介された仕事の面談が入る可能性を考慮しなければならないため、先週のようにひたすら毎日応募するというわけにはいかない。

先ず月曜日は先週の金曜日までに予定が分かるため、安心して仕事に応募することができた。

その週の月曜日は工場でライン作業の仕事に就いた。

その仕事には500円の交通費が支給されたが、勤務地は電車の最寄り駅から徒歩で30分近くかかる場所にあり、バスを利用しなければならない。

そのため、支給された交通費は実質バス代のみである。

さて、この職場だが、どんな品物を扱っているのかが定かではなかった。

社員、アルバイト、日雇いスタッフの計30人近くで流れ作業を行うのだが、最初は手作業で鉛筆、消しゴム、定規などの文房具をそれぞれ1つずつ袋に詰める作業を行ったかと思えば、次は作業場のレイアウトを変更して、学校の教科書のような本を箱から取り出して、それぞれ1冊ずつ箱に詰めていく。

その後は作業着のような服をそれぞれ1着ずつ分けて箱に詰めていく。

そして、最後は翌日の仕事で使う分なのだろうか、ひたすら段ボールを組み立てていく。

この職場では作業の工程を間違ったり、遅れている人を大声で怒鳴りつける女性社員がいた。

その姿はまさにクボが就労前に恐れていた日雇い労働者を人間扱いしない社員だった。

だが、どういうわけだか、彼に対しては一切そのような態度を見せず、親切に仕事を教えていた。

彼女のことをよく知っているアルバイトの従業員が「あの人は若い男には甘いから」と陰口を叩いていたのが耳に入ったが、理由はどうあれ、彼にとっては幸運だった。

翌火曜日は念のために予定を空けていたが、その日も派遣会社から職場見学の日程の連絡はなかった。

・就活の隙間時間も仕事

次の日の水曜日は午後から別の派遣会社の登録へ参加しなければならないため、その日は夕方の6時から夜の11時までの仕事で働くことになった。

この仕事では閉店後のデパートで大幅な店内レイアウトの変更を行うため、不要となった什器をトラックに乗せて搬出し、逆に新たに必要となる什器の搬入を行う。

事前に「重いものを運ぶ可能性がある」と聞かされていたが、ほとんどの什器には車輪がついており、エレベーターを使うこともできたため、体力的な負担は全くなかった。

この日の帰宅時間は深夜12時を過ぎていたため、翌日は念のために仕事を入れず、翌々日の金曜日はいくつかの仕事に応募したが不採用となり、2日間続けて休むことになった。

土曜日の仕事ではプロ野球の球場で入場者への記念品の配布を行った。

クボが担当したのは段ボールから記念品であるTシャツを取り出して、入場ゲートの配布担当者に渡す業務だった。

その日は晴れで、仕事場所も屋外だったが、幸いにも彼が動き回る場所はテントが張られており、直射日光に晒されることはなかった。

この仕事で一緒に働いていたのは多くが大学生と思われる若者であり、彼らとの間に妙な隔たりを感じた。

別に彼らから年齢を聞かれたり、仲間外れにされたわけではないが、30代目前で失業中であることを知られたくなかった。

この職場の職員からも、ぞんざいに扱われることもなく、彼のことも「派遣さん」などいう呼び名でなく、名前で呼んでくれた。

・この生活は当分続きそう

今週はお盆休みに紹介された仕事の職場見学を考慮しなければならなかったため3日しか働けなかった。

だが、それはいらぬ配慮だった。

週の終わりに派遣会社から電話がかかってきて、紹介予定の職場で事故が発生したため、派遣社員の受け入れは白紙になったことを告げられた。

もう一件の応募案件があったため絶望はしなかったクボだが、「まだこの不安定な生活を続けなければならないのか…」という暗い気持ちに襲われた。

まあ、その会社を信用せずに、少しでも日雇いの仕事でお金を稼いでいたのは正解だったが…

しかし、今週と同じようなことを繰り返していては週に3日程度しか仕事ができない。

そこで彼にある考えが浮かんだ。

「夜勤で働けば、職場見学を気にせずに仕事ができるのでは?」

しかも、夜勤は時給が高いため、週に4日も働けば、今の生活は維持できるかもしれない。

幸い、彼は夜勤で働いた経験もある。

彼はそんな動機から夜勤の仕事を模索するようになった。

・日雇い生活3週目の仕事

:販売店への配送

:引っ越し

:物流センターで仕分け(夜勤)

:開店前のホテルへの備品搬入

日雇い生活3週目は日・月曜の連勤から始まった。

先週の経験から夜勤の仕事を考えたが、先週の時点で休日である日曜と、先週の金曜日までに予定がないことがはっきりしていた月曜日はすでに日勤の仕事を入れていた。

・これが日雇いの闇なのか?

日曜日の仕事は配送の仕事である。

集合場所は東京都内であるが、都心から電車で30分以上離れた場所にある郊外で、駅からも15分程歩かなければならなかった。

しかも、集合場所には目印になりそうな建物がなかったため、余裕をもって出発したものの、到着できたのは集合時間ギリギリだった。

地方出身のクボは東京にもこのような閑散とした田舎町があることは初めて知った。

本日の仕事はスーパーへの配送品を荷積みしたトラックに乗車して、販売店で荷下ろしする作業である。

同乗するドライバーはたまたま彼と同い年だったこともあり、最初は楽しく世間話をしてくれた。

配送センターから最初の目的地までは30分以上かかったため、その間の仕事は助手席に座っているだけでいい。

しかも、扱う品物は重くてもせいぜい20kg程度であり、それをトラックの荷台のそばにある台車に乗せるだけの作業である。

「これはとても楽な仕事だ」

最初はそう思っていた。

だが、今回ペアを組んだドライバーは語彙が乏しいのか「あれ」「それ」ばかりで、指示が曖昧だった。

そして、最初は柔らかかった態度も次第に

「あれじゃない、それだよ!!」

「だから、さっきからそのことを言っているんだよ!!」

というように語気を荒げるように変化した。

彼が日雇いの仕事を始めて、今回が5回目である。

彼はここに来て初めて、働く前に想像していた「日雇い労働者をぞんざいに扱う怖い社員」に出くわした気がした。

しかし、その翌日、彼は今回のドライバーが全然悪い人ではなかったことを嫌というほど思い知ることになった。

・会社は違っても、環境は同じ

翌日の仕事は引っ越しの仕事である。

今回の集合場所は前日とは違い、最寄り駅から5分の場所である。

だが、道が入り組んでいたため、googleで調べてみても、目的地が全く見つからない。

集合時間に遅れそうだと感じたクボは事前に聞いていた連絡先へ連絡した。

無事に担当者に繋がったのだが、こんなことを言われた。

担当者:「スマホで調べれば分るでしょう!? 僕は今日、休みなんですよ!!」

そう理不尽に怒鳴られた彼だったが、そんなことは後に降りかかる災難に比べたら全然大したことはなかった。

引っ越しの仕事に関してはこちらの記事に私が経験した時の話を書いているが、(会社は違うものの)彼も全く同じ経験をしたようである。

日雇い生活3週目に入っていよいよこの働き方の暗部が顔を見せてきた。

いずれにせよ、彼は「引っ越しのバイトは二度とやらない」と決心した。

・夜勤によって増幅する孤独

次の仕事はいよいよ先週想定していた夜勤となる。

この仕事は配送センターに集められた荷物を各方面に区分けしてトラックに詰め込む作業である。

クボに割り振られたのは、自分が担当している番号のシールが貼られている荷物が流れてきたら、拾い上げて、手元にある台車に積み込んでいく作業である。

ほとんどの荷物は小さく、片手で持ち上げられたため、簡単だと思っていたが、次第に一人で2つ、3つといくつもの種類を担当することになった。

また、彼と同じ作業をしていた人がミスをして、自分が担当する荷物を見落としてしまい、先のレーンまで流れてしまった時に、大声で怒鳴られている姿を目撃した。

社員の大半は口が悪く、その他にも

「作業が遅い!!」

「俺が言ったのはそれじゃない!!」

と常に雷を落としていた。

さらに、この職場は8時間勤務だったが、最初の1時間が経過した時点で休憩となり、その後は7時間ぶっ通しで作業をすることになった。

この7時間は彼がこれまでに経験したどの仕事よりも時間が経つのが遅かった。

慣れない仕事で、いつ怒鳴られるか分からず、苦しみを分かち合ってくれる仲間もいない。

これまで夜勤で働くことはあったが、これほどつらい夜を過ごすのは初めてだった。

「日雇いの夜勤がこんなにもつらいとは…」

「これでは絶対に体力的にも精神的にも持たない…」

結局、彼はこの仕事を機に「夜勤計画」を断念した。

・初めて出会った仲間

日雇い派遣の仕事で身も心もボロボロになっているクボが次に選んだ仕事は開店前のホテルへの備品搬入である。

この仕事ではホテルの部屋に備え付ける机や鏡、電灯をトラックから台車に乗せて、各部屋まで運ぶ。

初めての仕事だったが、前の週にデパートに什器を運び入れる仕事を経験し、そこでは人間関係も良好だったため、辛い仕事が続いた彼はその時の懐かしさから、この仕事を選んだ。

幸い、今回は過去2ヶ所と比較にならないほど恵まれた現場だった。

力仕事ではあるが、搬入には台車を使い、数人で一緒に作業を行うため、体への負担はほとんど感じなかった。

そして、待機時間も多く、その間に同じ日雇い労働者と世間話も楽しむことができた。

仲間の多くも彼と同じく、日雇いで生計を立てながら定職を探しており、各々の経験を基に情報交換を行った。

思い返せば、日雇いの仲間と話をすることは初めてである。

日雇いの生活を始めてから、常に孤独と不安で押し潰されそうだったが、この時は初めて仲間の存在を感じた。

後にブログを読んだ彼が、「私(早川)のことではないか?」と思った人物とはこの時に出会った。

日雇い生活3週目にして、徐々につらさを感じてきた彼にとっては、この職場で出会えた仲間の存在は大きかった。

・恥も外聞も捨てる

日雇い生活3週目の就職活動であるが、先ず前週に登録を行った会社で申し込んだ仕事は不採用の返事が届いた。

だが、もはやそんなことで落胆などしている余裕はない。

一度働いてみた結果、やっぱり夜勤は辞めにしようと考えを改めたが、その前に求人サイトで短期の夜勤の仕事を探していた。

すると、1ヶ月限定の内勤の仕事(モニター画面の監視作業)が目に入った。

この仕事は短期の仕事ではあるものの、日雇いの案件とは比べ物にならない程恵まれた勤務条件で、安定している職場のように思えた。

就職活動をしながら行う繋ぎの仕事としては最適である。

しかし、この仕事に申し込むのは少し躊躇した。

なぜなら、それは以前登録したことがある派遣会社(仮名:A社)の案件だったからである。

別にA社との間にトラブルを起こしたわけではない。

ただ、その会社に登録した直後に、前職での就労が決定したため「長期での就労になるからしばらくは仕事の案内を控えてほしい」と伝えてしまった。

にもかかわらず、半年程度で職探しを再開していることを知られたくなかった。

だが、今はそんなことを言っている場合ではない。

恥を忍んで、A社の求人に申し込んだ。

残念ながら、彼が希望した仕事の募集はすでに締め切られていたが、前職の退職理由をしつこく聞かれることはなかった。

そして、「仕事の案内を希望」と伝えたら、大手の派遣会社であるA社は早速何件かの仕事を紹介された。

彼は日雇い生活の脱出をこのA社に期待することにした。

このA社は後に重要なキーとなる。

次回へ続く

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