前回まで3回に渡り、日雇い労働をしながら、就職活動を行う男性(仮名:クボ)の体験談をお送りしてきた。
彼の日雇い生活は1ヶ月を超え、徐々に体力的にも精神的にもしんどくなってきている。(本人曰く、海の真ん中で、溺れないようにバタ足で浮かびながら、助けを待っているような状態)
今回は彼の日雇い生活の最終編となる。
・日雇い生活6週目の仕事
①:イベントスタッフ(先週の続き)
②:販売店への配送(3度目)
③:デパートのキャンペーン案内
日雇い生活6週目の最初の仕事は先週から通しで行っているゲームの展示会の案内業務である。
最終日の仕事も前日までと同じであるため、仕事内容については前回の記事を参考にしてもらって、ここでは仕事中の就職活動や心情について補足させてもらう。
・諦めなければ味方が現れるはず
前回の記事でも述べた通り、彼の持ち場では1時間働いて30分の休憩を取ることができた。
その間は常にスマホの着信履歴とメールボックスをチェックしていた。
派遣会社から仕事の紹介や応募案件の進展などの連絡があれば即行で返信した。
だが、なかなか思うようには進まず、今週(6週目)の職場見学の予定も組まれていない。
彼の担当する仕事は案内板を持って、お客から質問があれば答えることであり、基本は黙って立っているだけである。
棒立ちも体力的に辛いと言えば辛いのだが、何も考えずに立っていると、心が闇に覆われそうになった。
当時はシルバーウィークの真っ只中である。
そんなタイミングで開催されているイベントに参加している客は休暇を満喫している。
大学生の仕事仲間も「労働」にこそ就いているものの、どちらかと言えば「休みを利用して」小遣い稼ぎをしている人たちである。
「自分はそんな人たちとは一線を画した立場にいる…」
一瞬、そのような疎外を感じたが、すぐに我に戻った。
今の自分は海の中で溺れぬために足をバタつかせて浮いているようなものであり、いわば非常事態の最中にいる。
そんな状況で最も優先すべきことは、楽しい思いをすることではなく「生き抜くこと」である。
諦めなければきっと味方が現れるはず。
今は落ち込んでいる暇などない。
そう思うことで、闇を振り払おうとした。
・明日から前と同じ暮らしに戻る
5日間に及ぶ仕事は無事終えることができた。
毎日6時前に出発し、10歳近く歳の離れた学生たちに混じりながら働く仕事が終わったと思うとホッとした。
しかし、同時に複雑な気持ちになった。
「明日からまた以前のような生活に戻るのか…」
解散前にリーダーがチーム全員に対してこんなことを言った。
大学生と思われるメンバーは「ぜひそうしたい!!」と答えている人もいたが、29歳の失業者であるクボは、リーダーの言葉が嬉しかったものの、笑顔で濁すしかなかった。
翌日は5連勤明けということで休みを入れて、翌々日から仕事を再開することにした。
次の仕事もできるだけ同じ仕事をしたい。
そう思った彼は先週も働いた販売店への配送の仕事を選択した。
この仕事はこれで3度目となる。
今回は前回と違い、飲料水が詰められている箱を扱うことが多く、体力的にはしんどかったが、相方のドライバーも良い人だったため、無事に仕事を終えることができた。
やはり、作業に慣れているためか、居心地が良かった。
・終戦の知らせは突然に
仕事を終えたクボが帰りの電車の中でメールを確認していると、派遣会社A(仮名)から仕事紹介のメールが入っていた。
仕事内容は先週上陸した台風被害の対応のための事務作業で、3ヶ月の短期ではあるが、募集人数も10人の大量募集だった。
3ヶ月の短期とはいえ、勤務開始日は来週、勤務時間は9時から17時、時給は1700円、勤務地は彼の住まいの最寄り駅から1駅隣という好条件である。
彼はこの仕事に期待を託して応募した。
翌朝、彼の下に派遣会社から連絡が入った。
もちろん彼がこの申し出を断る理由はなく、無事に採用となった。
その瞬間、先が見えない日雇い生活はようやく終わりを迎えた。
ホッとした彼は大きくため息をつき、心から安堵した。
あれだけ、もがき苦しんだことが嘘のように、彼の就職活動はあっけなく終結した。
無事に仕事が決まったクボだが、その前に予定を入れていた日雇いの仕事が1件残っていた。
その仕事はデパートが行うカードキャンペーンの案内である。
この仕事が彼にとって最後の日雇いの仕事となった。
最近は同じ職場で働くことが多かったため、本来の「日雇い」の姿と言っていい、初めての場所で、初めて会う人と、初めて経験する業務を行うことになった。
だが、慣れない仕事であるはずなのに心の余裕が全然違う。
そして、見える景色も全然違った。
こんな気持ちで日雇いの仕事をするのは初めてである。
彼は作り笑いやハキハキした喋り方が得意ではないが、担当社員から接客態度や仕事に対する姿勢を絶賛された。
以前と同じ就職先が決まらない中で、この仕事を行っていたら、絶対にこのようなことはできなかっただろう。
つらい日雇いの仕事であっても、今の自分には明るい出口が見えている。
「来週からは、ちゃんとした仕事に就ける」
「地獄だった日雇い生活も今日で終わりだ」
そう思うと、今の自分を無条件に肯定できる気がした。
・その後の話
日雇い生活を抜け出したクボが就いた仕事は3ヶ月という短期のものだったが、その環境は日雇いとは比べ物にならないほどの天国だった。
日雇いと同じく、一時雇いの派遣社員としての立場に過ぎないが、自分専用のロッカー、机、パソコン、セキュリティーカードが与えられた。
そして、(そもそも当たり前なのだが)就業開始30分前に集合などという理不尽なルールがない。
勤務条件については先ほど述べた通り、日雇いとは比較にならないほど恵まれているが、仕事内容も断然楽である。
彼が担当することになった業務は、日雇い生活へ突入する前に「自分には向いていない」と感じていた雑用的な事務作業だったが、昨日と同じ場所で、同じ仲間と、同じ仕事ができる喜びを感じた。
「明日も今日と同じ生活を送ることができる」
日雇いの仕事を始める前はそれが当たり前だったが、今になって改めてその有難みを感じることができた。
きっと「幸せ」とはこのようなことをいうのだろう。
大げさかもしれないが本気でそう思った。
ちなみに、この派遣の仕事を終えた後の彼は同じ派遣会社Aから紹介された直接雇用前提の仕事に就いた。
その仕事は建設会社の事務作業である。
さすがに、ほぼすべての好条件が揃った前回の派遣先と比べると、勤務時間は長く、勤務地も遠くなり、口の悪い先輩もいるが、それでも日雇いの仕事とは比べるまでもなかった。
そして、半年間の派遣期間を経て、直接雇用の契約社員となった。
彼は現在もその会社で働いている。
・日雇い生活から学んだこと
クボが今回の日雇い生活を通して学んだ一番のことは、これまで当たり前と思っていた、昨日と同じ場所で、同じ仲間と、同じ仕事ができる尊さと、明日も今日と同じこと生活が続く幸せである。
それ以外にも痛感したことが2つある。
1つ目はコンビニの有難さである。
これまでも夜勤で働いたことはあるものの、基本は日勤であり、勤務時間も18時までには終了することが多かった。
そのため、24時間営業のコンビニなど利用せずとも生活は成り立っていた。
特に食品工場で働いていた経験から、栄養面だけでなく衛生面もコンビニ弁当を口にすることは避けていた。
近年は24時間営業を中止するコンビニも増えてきているが、彼はこの流れに大賛成だった。
というよりも、「24時間営業のコンビニが無ければ生活できない!!」と考えている人のことを軽蔑さえしていた。
しかし、日雇い生活中は、24時間営業のコンビニが大変有難かった。
遠隔地の仕事の際は朝の6時台に出発することもあり、朝食も昼食も買い食いが基本だった。
そんな時間帯でもコンビニはすでに営業しており、いつでも食品の購入ができた。
また、仕事を終え夜遅く帰宅する時も、スーパーをはじめ多くの店が閉店している中、コンビニの灯りを見るだけでも勇気づけられた。
たしかに、24時間営業のコンビニがなければ生きていけない生活は不健全なのかもしれない。
だが、それが存在するからこそ生きていける人がいることも事実であることを知った。
もうひとつは、反省の意味も込められているが、「もっと早くに日雇いの仕事で働くべきだった」ということである。
失業直後からすぐに働けば、就職活動の日程を調整しながら週に3・4日働くというようなゆとりのない生活には陥らなかったかもしれない。
週2日程度、それも就活と予定が重ならない休日に働いていれば、就職が上手くいかなくても金銭的な余裕は生まれただろうし、無理して条件の悪い仕事で働くこともなかったのかもしれない。
しかし、失業後ではなく「もっと若い時にこの仕事を経験しておくべきだった」と反省している。
日雇い前の職場で働いていた時は「自分はオフィスワークは合わないかもしれない」と思い込んでいたが、早くも2回目の日雇いの仕事で事務職がいかに恵まれていたのかを思い知り、前職の退職を後悔した。
それ以降も、「前職よりも良かった!!」と感じた日雇いの仕事に出会うことはなかった。
もしも、前職に就く前に、日雇いの仕事を経験していたら、職場に不満を持って、自らの意志で退職することはなかっただろう。
・まとめ
クボが最後の日雇いの仕事に就いた時の言葉は私にとってとても印象的だった。
これは「日雇いの仕事もこれで最後」という解放感だけでなく、「次の仕事が決まっている」という安心感から思えたことなのだろう。
私が日雇いの仕事に就いていた時は最初から次の職場が決まっていた。
だから、私は彼が最後の職場で経験した景色しか知らない。
それ以前の彼は本当に出口が見えない闇の中を彷徨っていたに違いない。
それに比べたら、私が日雇い生活で経験した苦しみなど、かすり傷程度の痛みなのだろう。
この記事で登場した元同居人カメダ(仮名)は就職活動をしながら日雇いの仕事をすることを「戦争を生き抜くようなもの」と捉え、クボは「大海原で溺れ死にしないよう足をバタつかせながら助けを待つようなもの」と考えていた。
表現こそ違うが2人の考えに共通しているのは「今は地獄だが、この生活は必ず終わりを迎える」という希望に支えられていたということである。
たとえ、今はその光が見えなくても、いつかはその日がやって来る。
それを信じ続けることだけが「地獄」を生き抜くための唯一の方法なのかもしれない。
さて、4回に渡ってお送りした「日雇い派遣サバイバーの日記」は本日で終了となる。
他人の経験を基に書いた記事なのに、なぜか私も、とてつもない疲れを感じている。
自らの経験を思い出したからであろうか…
もしかしたら、初回から通して読んでくれている読者の方も同じ気持ちなのかもしれない。
それだけ、「日雇い」という働き方は人の心を蝕むのだろう。
たとえ、就業先の人は人間味溢れる温厚な社員がいる職場なのかもしれないが、明日がどうなるのかが分からない働き方を喜んで選択する人間などいるはずがない。
しかし、だからと言って、私は「日雇い派遣を規制しろ!!」という考えには同意できない。
この記事に書いた通り、私は「アルバイト」の仕事が従来のイメージ通り、「(就職活動も含む)本業を持つ人が一時的に就く簡単な仕事」という原則が徹底されていれば、わざわざ不安定な日雇い労働を選ぶ人間などいないと考えている。
そのため、日雇い労働の規制よりも、「非正規労働の基幹労働化に対する規制」を主張したい。
繰り返しになるが、「日雇い」の仕事を自ら好んで選択する人間などいるはずがないのだから。
最後になるが、今回クボが私にメールを送ってくれたり、自身の経験を語ってくれた理由は初回の記事で説明した通りだが、その内容をブログで公開することに同意してくれた際にこんな考えを打ち明けてくれた。
2021年5月現在、コロナ禍の経済状況で職を失い、日雇いで必死に食い繋いでいる人も少なくないかもしれない。
そんな生活で不安や孤独に押し潰されそうになっている人たちが、この記事を読んで、「自分と同じ経験をしている人がいる」ということを知れば、少しでも励みになるのかもしれない。
そうなることが、彼の願いであることをこの場で述べさせていただきたい。