2年前の11月、私が日雇い派遣(厳密に言えば「派遣」ではなく「日雇いのバイト」)で働いた経験を基にした記事を書いた。
その記事は多くの方が目を通してくれて、特に最終話の「地獄を生き抜くための希望」は当ブログの300近い記事の中でも頻繁にトップ10に入りする程の人気がある。
その記事は「日雇い労働で生き抜きながら職探しを行うことの過酷さ」がテーマとなっているのだが、私は数週間後には、次の就職先に辿り着けることが決まっていた身であるため、タイトルにもなっている「地獄」や「希望」など所詮は推論に過ぎなかった。
だが、その推測は間違ってはいなかったようである。
・もしかしてあの時一緒に働いていたかも…
今から1ヶ月ほど前、ある読者の方からメールをいただいた。
メールを送ってくれたのはクボ(仮名)という30歳の男性である。
彼はまさに私が記事で紹介したような「日雇いの仕事をこなしながら就職活動を行っていた人物」であり、その時に感じていたことが、「たしかに苦しいが、今はあくまでも非常時であり、この暮らしがいつまでも続くわけではない」という微かな希望だった。
ちなみに、私が別の記事で主張していた「そもそも、アルバイトが就職までの繋ぎの仕事として認められるのであれば、日雇いの仕事などしない」という意見にも賛同してくれた。
また、私たちが日雇い生活を送っていた時期はほぼ一致し、彼が仕事先で、私と同じような「次の職場が始まるまでの繋ぎの仕事として働いている」という人物と会っていたことから、「もしかしたら、あの時、一緒に働いていたかもしれない」と思ったこともメールを送った理由の一つである。
偶然、私の方も、その現場で彼と同じような年齢で求職中の男性と出会ったため、「ひょっとしてあの人では!!」と思い、胸を高鳴らせて彼にメールを返した。
結局、私たちが働いていたのは日付も場所も全く違う現場だったため、実際に会っていたわけではなかったが、これも何かの縁だと感じた彼は自らの経験を語ってくれた。
というわけで、今日は日雇い派遣で食いつなぎながら就職活動を行うという過酷な生活を耐え抜いた日雇い派遣サバイバーの記録を紹介したい。
・お盆休みの不安
クボが日雇い派遣の仕事で生計を立てていたのは2019年の8月中頃から9月終盤までの6週間である。
日雇いの仕事を始める前の彼は派遣社員として事務職の仕事に就いていた。
その仕事はコールセンターではないが電話業務が中心で、社員から指示を受けて取引先への確認や、営業で不在にしている社員に変わり電話対応を行うことが主な業務だった。
その職場はこれまで主に工場で働いてきた彼にとって、初めての事務職だったが、何となく憧れていた業務とは違ったため半年で退職した。
2019年の5月にその仕事を退職し、その後は就職活動を行っていたが、なかなか次の職場は見つからなかった。
8月に入り、退職から2ヶ月が過ぎると、彼の貯金額はおよそ50万円まで減った。
そんな時、派遣会社から割のいい仕事を紹介され、社内選考も通過した。
だが、その連絡が入った際に言われたことがどうしても気になった。
それを聞いた彼は胸騒ぎがした。
もしも派遣会社から紹介された職場で働けるとなった場合も、仕事に就けるのは翌月からである。
しかも、まだその職場で働けることが決まったわけではない。
確信はないが、このままズルズルと無職の状態が続く気がした。
そして、来週はお盆休みだから、就職活動が出来ない。
その期間、家でじっとしていることがどうしても不安だった。
そんな状況下で居ても立っても居られなくなった彼は、お盆休みの間だけでも単発の仕事で働いてみようと思い立った。
・日雇い生活1週目(お盆休み期間中)の仕事
①:食品工場
②:工事用車両の洗車
多くの会社がお盆休みに入る直前、クボは日雇いの派遣会社に登録した。
その会社は登録会に参加する必要がなく、オンラインだけで登録ができた。
登録後、さっそく求人を見てみた。
彼は夏祭りのスタッフやプール監視の仕事が目に留まった。
今までそのような仕事を経験したことがなく、なんだか楽しそうな気がした。
それに、それら季節特有の仕事をすれば、日雇い派遣のいい思い出になるのではないかという甘い考えがあった。
だが、それらの仕事はことごとく不採用となり、すぐに数日が経過した。
気が付いたら週の折り返し地点である水曜日になっていた。
このままでは何の仕事もしないまま、お盆休みが過ぎてしまう。
そう思った彼は予定を変更して、採用見込みが高い仕事に応募することにした。
幸い、彼が利用していたサイトでは募集人員や応募の倍率が表示されていた。
すると早速、採用の通知が届いた。
採用されたのは食品工場の仕事であり、勤務地が交通の便が良くない場所であることと、募集定員が10名だったためか、すぐに就労が決まった。
当日、就労時間は午前8時だったが、集合時間は30分前だったため、早めに家を出た。
集合時間が勤務開始時間の30分前という日雇い派遣の理不尽さを早くも痛感することになる。
この日の彼の仕事は機械でカットされた食材を洗浄機に移す作業と完成した商品へのラベル貼りである。
彼は以前も食品工場で働いていた経験があったため、作業自体は造作もないことだったが、日雇い派遣では口の悪い担当社員から罵倒されるイメージがあったため、どうしても気が滅入った。
だが、幸いにもその職場の人はとても紳士的な人たちだった。
単純作業のため、どうしても時間が経過するのが遅く感じてしまったが、初日は無事に終了した。
・やっぱり外の仕事は大変
次の仕事は工事用車両の洗車である。
トラックやショベルカーなどの工事用車両のレンタルを行っている会社で、お盆休み期間に戻ってきた車の洗車を行う。
真夏の屋外で行う重労働ということで日給は1万円を超えた。
場所は東京23区内ではあるが、鉄道路線の末端駅であり、「都会」という場所ではない。
クボが行う業務は高圧の洗浄ホースで車に付着した砂や泥を落とす作業である。
作業自体は決して難しいものではないが、貸与された作業用のつなぎ服やヘルメットは前日まで別の人が使っていたため、他人の汗の臭いが染みついており頭がクラクラしそうになった。
そして何と言っても真夏の炎天下で行う仕事は激務である。
その日は晴れで、気温も40度近かった。
日雇いの仕事を始める前の彼は事務職に就いていたが、この仕事で働いていた時はそれまでの仕事と比較して「自分は事務職に向いていないのでは…」と思っていたが、この仕事を経験したことで、以前の職場がいかに恵まれていたのかを再認識した。
この職場も社員に恵まれて、1時間に10分程の小休憩をもらえて、会社内のウォーターサーバーも使用することができた。
仕事終わりにスマホで翌日の仕事状況を確認したが、応募した仕事はすべて不採用となり、この週は結局2つの仕事しかできなかった。
翌週はお盆休み前に紹介された仕事の面談や、応募していた派遣会社の登録会に参加しなくてはならないため、そちらのスケジュールを確保しつつ、仕事を入れることになる。