前々回からお送りしている「ジューンブライドを機に考える家族の話」シリーズ。
最終回の今日のテーマは家事。
結婚後に問題となることが多いのが家事の分担。
「夫が外で働き、家事は専業主婦の妻がすべて行う(男女の関係が逆転している場合も含む)」という役割分担がされている家庭ならともかく、共働きであれば、間違いなく揉める。
いや、専業主婦(夫)がすべてを担っている家庭であっても、「家事はこんなに大変なのに、夫は全然分かってくれない」という不満から夫婦間にスレ違いが起こることもある。
・家事を給料に置き換える議論が的外れな理由
近年、家事労働を賃金に換算する議論を頻繁に耳にする。
「毎日休むことが出来ず、こんなに大変な仕事をしているのに無給なのはおかしい!!」
「主婦の仕事は年収に換算すると○○万円の価値に相当する重労働なんだ!!」
しかし、私はこの手の議論を全く評価していない。
その理由は腐る程あるのだが、今思いつくだけでもザっと3点ある。
①:お金を稼げるレベルの家事をしているのか?
家事労働の賃金を算出する方法として「代替費用法アプローチ」というものがある。
たとえば、家事労働に費やす時間をそのまま家事代行サービスを利用した場合にかかる費用へ置き換えるというやり方。
さらに図々しい方法としては、「代替費用法スペシャルアプローチ」というものがあり、こちらは家事代行のようなざっくりした計算ではなく、個別の時間をそれぞれの専門業者の時給に換算するものである。
1日2時間料理に費やすのであれば、調理師の平均時給×2で、洗濯に1時間の場合はクリーニング業者の平均時給×1、さらに子どもの世話がある場合は保育士の平均時給×..といった具合に。
太々しさもここまで来ると清々しい。
そもそも、すべての家事を専門業者に匹敵するレベルでこなせる主婦など全国にどれだけいるのだろうか?
街中を歩いていると、体の前で赤ん坊を抱きながら歩きスマホをしているバカ親を見かけることが少なくないのだが、プロの保育士が同じことをやれば一発でアウトである。
保育士として他人の子どもを預かるというのはそれだけ責任が伴う仕事であり、一度に預かる子どもの数も一人や二人ではない。
その大変さを知っていたら、自分の子どもの世話をすることで保育士と同等の給料を主張することなど出来ないし、子どもを連れて歩きスマホをやろうものなら幼児虐待として親権剥奪の憂き目にあう位の覚悟を持ってもらいたいものである。
もちろん、料理や掃除、洗濯に関しても、本職の方と同等の責任を負うことは当然であろう。
②兼業<専業という謎の理屈
家事労働の年収換算に関する謎の2つ目は、同じ家事労働でも「仕事をしながら家事もしている兼業主婦よりも、専業主婦の方が大変(=価値が高い仕事をしている)」という謎の論理が見られること。
「外で働けばいろんな人と関わることが出来るが、専業主婦は常に孤独に働いているから、こっちの方が大変だ!」というのが理由らしいが、職場の人間関係だって良い面もあれば悪い面もあるのだから、どっちが良いかは一概に言えない。
同僚との人間関係を井戸端会議と同レベルの息抜き程度にしか考えていないから、そんなことが言えるのである。
その他の理由としては、「専業の方が家事により多くの時間を費やしているから大変」という理屈もあるのだが…
いや、成果は同じなのに費やす時間に大きな差があれば、会社ではどう考えても、少ない時間でこなせる人が優秀で、長い時間を費やす方が無能と認定されるであろう。
「こんなに長時間頑張っているから、評価してよ!!」なんて真顔で言われたら、「多分この人、働いたことが無いんだろうな…」とバカにされるだけだから、良い子の皆さんはマネしないようにしましょう。
③:仕事に義理の親との同居が含まれていない
家事の給料換算がおかしいと感じる3点目は、家事労働の中に義理の親の世話が含まれていないことが圧倒的に多いこと。
これは偏見なのだが、専業主婦として常に家にいて、すべての家事をやっていたら、最も神経をすり減らす重労働は、同居している義理の親との関係ではないのか?
息子の嫁として奴隷のようにコキ使う舅や、些細な事で家事に文句をつける姑といったドラマやアニメでお馴染みの悪者や、身体的、精神的に介護が必要な人でなくても、一緒に住んでいると何かと気を使ってしまう。
プロポーズされた相手が裕福で、自分の希望通り、結婚後は専業主婦になれる場合でも、義理の親との同居が条件であることを告げられたら、逃げ出す人も少なくないだろう。
しかし、「家事はこんなに大変(=だから金をよこせ!!)」と主張していながら、最も大変そうな仕事は最初から除外するのは、都合が良過ぎではないか?
「こんなに仕事を頑張っている」と言いながら、本当に大変で逃げ出したくなることは「それは自分の仕事じゃないもん!!」と開き直ってスルーする幼稚な振る舞いには呆れる。
家事に対価を支払えという主張がいかにくだらないかは、まだまだ言い足りないが、ひとまずはこれだけでもお分かり頂けたかと思う。
そもそも、「自分は年収に換算すると、こんなに価値が高い仕事をしている」と主張している主婦は、夫から
「キミはそれだけの価値がある家事が出来るのなら、ぜひとも、他所の家でその労働力を提供して、それに値する給料を稼いで来てくれ」
「僕はそこまで質が高い家事を求めないから、値段相応で請け負ってくれる業者に委託するよ」
と言われたら、どう反論するのだろうか?
・「夫の収入は私の物」は当たり前ではない
「家事をやってくれている主婦に金を払え!!」という理屈に私がこうも批判的なのは、この記事で取り上げた国民年金第3号制度のように専業主婦に対する過剰優遇への不公平感もあるのだが、彼(彼女)らがある事実を完全に無視していることが気に食わないからである。(隠しているのではなく、気付いていないだけなのかもしれないが…)
それは「日本ではすでに専業主婦が給料と呼ぶに値する報酬をもらっている」ということ。
少しグラフが見づらいのが残念だが、この記事によるとこの国では妻が家計を管理しているらしい。
【調査】7割以上の家庭で「妻が家計を管理」!3人に1人があるというヘソクリの平均金額は、なんと180万円超! (o-uccino.com)
妻が家庭の全収入を支配下に置き、夫には毎月定額、もしくは必要に応じて、お小遣いを渡す。
そのように妻が財布の紐を握っている家庭は日本の至る所で見ることが出来ることだろう。
だが、世界的に見れば、このような社会は決して多数派ではない。
というか、私の経験では日本と韓国以外の国の男性に「結婚後は妻が夫の全収入を管理するのは当然」という話をしたら間違いなくドン引きされる。
泥棒や金目当ての結婚と思われて家から叩き出され、離婚を切り出されることもあるだろう。
「配偶者の金は自分の金」などとドヤ顔で主張することは、ドラえもんに登場するジャイアンの常套句「のび太の物は俺の物」というジャイニズムに等しい。
しかも、金遣いが荒い夫を抑制するために管理するというのならまだしも、夫をのけ者にして、子どもとの遊びのために使うなど言語道断。
このブログでも頻繁に登場し、とにかく日本人女性が大好きで、日本人女性と結婚することを長年の目標にしているフランス人男性(初登場の記事はこちら)ですら、この話をした時は唖然としていた。
かつて、この記事で紹介した「結婚不要社会(著・山田昌弘 朝日新書)」という本でも、著者がロサンゼルスにある日本人とアメリカ人の出会い(ほとんどは日本人女性とアメリカ人男性らしいが)を斡旋する施設を取材した際に、結婚後の家計の分離を巡ってトラブルが絶えないという話をされたという。
日本人女性は「結婚したら当然夫の収入は自分の物として好きに使うことが出来る」と思っていることが少なくないが、諸外国ではあり得ないのだ。
そのような社会では、稼げない女性が結婚した場合、夫の言いなりになるしかなく、結婚を機に人生が一発逆転などという白馬の王子様ストーリーは成立しない。
また、「女性差別はどう作られてきたか(著・中村 敏子 集英社)」によると、著者の中村氏が1980年代にイギリスに滞在していた時は、当時のイギリス人の妻が買い物をする時は小切手で支払いをすることが多かったのだが、夫に署名をしてもらえなければ日々の買い物も自由に出来なかったという。
それくらい、結婚後は妻が夫の収入を我が物顔で使うことは国際的に見れば非常識なのである。
これは個人の感想ではなく、統計的にもいかに異質であるかが分かる。
世界的にみて異質「なぜ日本の家庭では妻が財布の紐をにぎるのか」 女性の家計を分担する意識が希薄 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
つまり、日本の主婦は「夫の収入を自分の物として自由に使うことが出来る」という世界的に見ればかなり恵まれている特権を与えられており、生活費どころか趣味や娯楽にさえお金に不自由しない生活を送ることが出来るのだ。
これを「家事の対価としての給料」と言わずに何と呼ぶつもりなんだろうか?
・「家事に報酬を払え!」という理論が生まれた背景
家事に値段をつけることを提案したのはイヴァン・イリイチというオーストリアの学者が最初だという。
彼が家庭内における主婦の仕事を「シャドウワーク」と名付けたおかげで、外注すれば対価(報酬)が発生する仕事なのに、家族が行えば無償とされることの不当性や、我々の生活の基盤はそのような評価されない仕事によって支えられていることが世界中に認知された。
「主婦というのは給料が貰えず、人から見下されることも多いけど、こんなに大切な仕事をしていたんだね」
「皆、奥さんやお母さんに感謝しなきゃ!!」
彼の理論がこうも世界中から受け入れられたのはなぜか?
それは、アメリカにせよ、ヨーロッパにせよ、専業主婦の地位が低く、社会からも、家族からも全く評価されていなかったからである。
これは決して、女性の社会進出により、主婦の地位が低下したからではない。
欧米諸国は今でこそ男女平等を気取っているが、元々は日本とは比べ物にならない程、女性の地位が低かったのだ。
たとえば、前段で紹介した中村氏の著書では「カヴァチャー」という言葉が登場し、イギリスでは15世紀頃から、「結婚したら男女は一心同体で、女性は男性の庇護下に入る」という名目の下、徹底的な主従関係が強制され、女性の財産の所有権はすべて男性のものとすることが法律で定められ、そうした妻の無権利状態は20世紀まで続いていたという。
さすがは大英帝国。
立場が弱い相手はとことん蹂躙しますね。
このような歴史があるからこそ、先ほど登場した「 稼げない女は夫の言いなりになるしかない」という言い方は、決して大袈裟ではないことが分かる。
そんな社会を生きる人たちにとっては、主婦がそんなに大切な仕事をしていたとは夢にも思っていなかっただろうから、イリイチの主張は主婦たちを勇気付け、彼女たちのつらい境遇に同情して「女性の地位向上を!!」というフェミニスト運動が活発になるのも頷ける。
一方、日本ではフェミニストが浸透しない。
男社会や家父長制丸出しのマッチョな男だけでなく、(自分は勝手に仲間だと思っている)女性からも嫌悪感を持たれることが珍しくない。
その理由は、日本ではすでに主婦の社会的地位が認められており、「財布の紐を握る」と称して自由に使えるお金も持っていて、わざわざ声を大にして地位向上を訴える必要が無いからである。
決して、性別役割分業が日本人の体質に合っているからでも、自称フェミニスト(クソフェミ)がヒステリックで、下品で、攻撃的で、何の生産性もない話しか出来ないほど頭が悪くて、女尊男卑の差別主義者だからというわけでもない。(後者については否定しないが…)
似非フェミニストは日本社会の男女不平等を嘆き、北欧がいかに女性に優しい素晴らしい社会であるかを主張する。
しかし、このように「日本は世界に類を見ない程、専業主婦の居心地が良い」という自分たちにとって都合が悪いことは一切触れない。
「欧米男子は日本人と違って、レディーファーストの精神に満ちている!!」
「外国では女性がこんなに大切にされている!!」
などという寝ぼけた戯言(妄想)は一体どこを見て言っているのだろう?
前回の記事では「田舎のお兄さん」や「長男の嫁」という幻の家族を当てにすることは親子の絆を引き裂くという話をしたが、今回も同様に「結婚後も妻を大切にする欧米の男性」などという架空の存在に囚われていたら、今の幸せに気付けず、不満だけが膨れ上がることだろう。
今回まで3回に渡って「ジューンブライドを機に考える家族の話」シリーズをお送りしてきた。
長いこと家庭生活を営んでいると結婚当初の夢や理想から乖離して、思い通りにならない現実に頭を抱え、「こんなはずじゃなかった…」と感じてしまうこともあるだろう。
だが、(稀に例外はあるかもしれないが)「この人と結婚する」と決めたのは自分自身である。
辛くなったら、当時の気持ちや、今の生活を送ることが出来るのは決して当たり前ではないということを思い出して、自分の家庭は本当に絶望する程、最低なのかということを改めて考え直して欲しい。