前回から「特定の相手はいないけど結婚したい!!」と切に願う不思議な人たちの動機を取り上げている。
2回目である本日のテーマはこちら。
さすがに、この共働きの時代に
と真顔で言う人はいないだろう。(たとえ、それが本音でも、まともな大人はそんなことを堂々とは言いません)
しかし、それでも男女の賃金格差は大きく、女性が一人で生活を続けていくのは難しい。(賃金格差の参考資料はこちら)
そのため、(相手はいないけど)経済的理由で結婚を望む人は珍しくない。
ということだろうか。
個人的な感想だが、経済的理由で結婚を望むのは本人よりも親であるケースが多いように思える。
・娘にしつこく結婚を勧める親
親:「あんたもいい歳なんだから早く結婚しなさいよ!!」
娘:「は!? 余計な心配しないでよ!?」
親:「そんなんだから、嫁の貰い手がいないのよ!! 父さんも母さんも、いつまでもあんたの面倒を見られるわけじゃないのよ!!」
娘:「私は成人しているんだから、子ども扱いしないでよ!! 結婚するのもしないのも私の勝手でしょ!?」
日本中の家庭で聞かれそうな会話である。
本人にとっては本当に余計なお世話で「親がうざい」と思うかもしれないが、個人的には親世代がそのように心配する理由も分からなくはない。
この国では長らく、男性はどこでもいいから正社員として就職さえすれば、結婚して、ローンで家を買って、子どもを大学に通わせて、退職後は悠々自適というような安定した人生が送れるというロールモデルが信じられてきた。
だから、結婚しないにしても、男性の場合は少なくとも正社員にさえなれば野垂れ死ぬことはないと思われてきた。(もちろん、そんなわけはないのだが・・・)
しかし、そこには独身の中高年女性のロールモデルが存在しない。
女性は結婚して男性正社員の家庭に吸収されていくものだと考えられていたから、この国には独身中高年女性なんて人は(未亡人を除いて)存在しないことになっていたし、離婚したシングルマザーには強烈な自己責任論が振りかざされてきた。
つまり、そのモデルを信じる人にとっては、女性が人並みの暮らしを送るための唯一の手段が結婚なのである。
・「娘の自立」とは嫁ぐこと?
もう少し説明すると、親世代にとっては、女性が一人で生きていくという発想がない。
彼らにとっては、娘は仕事に就いても自立した大人ではなく、親の管理下にあるものであり、成人後も自分たちが生活の面倒を見て、その生活が成り立っているうちに、結婚して嫁に行かせることで、「娘が自立した」ことになるのである。
これを裏付ける根拠になるかどうかは分からないが、私が前々から思っていたことが2つある。
①結婚前の両親への挨拶
男性が婚約者の両親に挨拶をしているシーンを想像してほしい。
婚約者:「お義父さん!お義母さん! 娘さんを僕に下さい!!」
母親:「〇〇さん(婚約者)はどんなお仕事をされているのですか?」
婚約者:「はい。××という会社に勤めております!!」(←会社ではなく、仕事を聞かれているのではないのか?)
父親:「おお!! ××といえば超大手企業じゃないか!! 君なら安心して娘を嫁に出せるよ!!」
人によっては何の疑問もない普通の結婚前の挨拶のようだが、私はこれを聞くたびに「娘(女方の婚約者)はあんたの所有物じゃないだろ!!」とツッコミを入れたくなる。
というよりも、真顔でこんな人身売買みたいなやりとりをしている様子を見たら本気で引くわ。
②娘の結婚式で見せる親の安堵感
結婚式もいよいよクライマックス。
ここで感極まった花嫁の両親が涙を浮かべてポロリと漏らす。
え?
何で娘が結婚したら、自立したことになるの?
いやはや、かなり冷たいツッコミで申し訳ないが、なぜ彼ら(彼女ら)にとっては
ということになるのだろう?
(不思議なことに娘の方も「お父さん!お母さん! 今までありがとう!!」とか言って、あたかもこれで自立したかのようなことを当たり前のように言っていたりするが・・・)
・結婚セーフティーネット論
少々、話が脱線したが親世代が娘に「早く結婚しろ!!」と圧力をかけるのは、このように結婚イコール経済的安定の獲得となるので、今後の娘の生活を考えて「どうしても、結婚してほしい!!」と思うのは自然なことなのかもしれない……
…って、ここまで「親世代は~ 親世代は~」と連発すると、まるで世代間ギャップの問題に過ぎず、あたかも2019年現在は独身中高年女性の貧困問題が解消されたような言い方になるが、この問題は現在も解決していない。
親の亡き後は女性の唯一のセーフティーネットは結婚である事実は変わりない。
そのため、娘の結婚を願う両親のことを「カビの生えた旧日本型安定モデルのバカな信者」などと非難することはできない。
と不安になって、必死に娘に結婚を勧める親の言い分も一理ある気がする。
比較になるかどうか分からないが、途上国の児童婚も似たような理由で行われているのではないだろうか?
「児童婚」と聞くと、金持ちのロリコンが貧しい地域の少女を金で買って、無理やり結婚している人身売買のようなイメージがあるが、実は同じコミュニティで暮らしている少し年上の相手と結婚することが多いらしい。
路上生活者は自分の娘が12,3歳になると友人の息子の中から少し年上の青年を探し出して花嫁候補として紹介して、娘もそれを当たり前のこととして受け入れるようである。
似たような話で、子どもが小学生くらいの頃から将来の許婚(いいなずけ)を決めて、一緒に遊ばせたり、仕事をさせたりして13,4歳くらいになったら独立させるケースもある。
親がここまで子どもの結婚に熱心なのは、年頃の娘が路上で生活していると不良に襲われたり、ギャングに誘拐される危険性が高いため、早い段階で家庭を持たせておいた方が狙われにくくなるからである。
我々、先進国の人間は「児童婚なんて人権侵害甚だしい!!」と非難するのだが、これは子どもの安全を願う親の考えとしては仕方がないことなのかもしれない。(もちろん、私欲のために、自分の娘を金持ちに売るバカ親もいるだろうが…)
話を日本に戻そう。
安定した生活のために娘の結婚を願う親の気持ちは分かる気がする。
一方で、同じような理由で結婚しない息子の心配をする親はいないのかと言われればそうでもない。
息子がしっかりと家庭を作ってくれれば、年金だけでは心もとない自分たちの生活を支えてくれて、嫁子(息子の嫁)は将来自分たちの介護をしてくれるかもしれないという期待を抱いて、しつこく結婚を勧める親もいる。
これまた年金制度や介護制度の整っていない途上国でありそうな考えである。
フランス人にこの話をしてみたら
と言われた。
全く同感である。
そもそも、私は個人の生活を保障するのは企業でも家族でもなく国だと思っている。
だから、企業が従業員の生活を面倒見て、そんな会社に勤めている人と結婚することによって生活を安定させよう発想は、
という理屈につながるので、大変危険だと思う。
(また、この記事にも書いたことだが、このような民営化された社会保障制度を「安定」とか「人に優しい」とか言って有難がる不思議な人たちもいる)
しかし、いくら理想を語っても、現実はそうではないのだから、「生活の安定を求めて結婚をする」という選択は、好ましくはないが、やむを得ないと個人的に思う。
前回の記事で、相手はいないのに結婚したいと考えている人は、結婚が手段ではなく目的になっていると嘲笑気味に書いたが、今回のようなケースは生活を安定させるという目的があって、その手段として結婚があるのだから、一概にそれが悪いことだとは言えない。
何ともやるせない気持ちになってきた。
・今日の推薦本
石井光太(著)PHP新書
日本社会の相対的貧困と海外(主に途上国)の絶対貧困を比較することで、日本の貧困の何が問題なのかを指摘する本。
本文の中で使用した児童婚の話は、この本を参考にした。