誕生日のお祝いはどうしても当日でなければいけないのか?

先日、ネットで知り合ったマレーシア人が誕生日を迎えた。

この記事に書いたことだが、私は以前、ブラジル人の男性(48歳)から誕生日のことを聞かされていたにもかかわらず、当日にお祝いのメールを送らなかったため、激怒され、連絡を絶たれたことがある。

そのため、1ヶ月前に彼から誕生日のことを聞かされると「もしかしたら、彼も…」という不安が頭をよぎり、数日前から「絶対に忘れたらダメだ…」という思いでいっぱいだった。

後にこの話を彼に伝えると大笑いされたのだが、その際に興味深い話をしてくれた。

マレーシア人男性:「誕生日のお祝いをしてくれることは嬉しいけど、僕には『それは当日でなければ嫌だ!!』というこだわりは全くありません

今日の記事はこの発言がきっかとなり生まれることになった。

・重要なのは誕生日そのものではない

彼がそのように思うきっかけは子どもの時の生活にある。

彼の父親は船乗りで、彼が誕生日の時期は一緒に過ごすどころか、お祝いの連絡すらできないことが多かった。

また、母親も働きに出ていたため、彼の誕生日に合わせて、遊びに出かけることも、パーティーを開くこともあまりなかったという。

だが、両親共に毎年、誕生日でなくても、誕生祝い自体はしてくれた。

そのため、今でも彼は「誕生日を機にプレゼントを貰ったり、特別な場所へ行くことは大好きだけど、どうしても『誕生日でなければダメ!!』」という考えは持っていない。

彼からその話を聞かされた私は「随分とクールな考えだ」と感じたが、言われてみれば、子どもの時の私も同じだった。

小学生の時は誕生日を機に親や親戚からいろいろなものを買ってもらったり、遊びに連れて行ってもらうことはあった。

しかし、よくよく思い返すと、「それは本当に誕生日であったのか?」は疑問である。

様々な記録や記憶を探ってみても、「確実に誕生日であった」と断言できるものは、小学1年生の時に祖母と二人で、その年に結婚した叔母の住まいを訪れ、叔母夫婦から遊びに連れて行ってもらったり、ケーキを買ってもらったことくらいである。

翌年以降も誕生日近辺ではプレゼントを貰うことはあったが、それは当日ではなかった。

それを理由に「誰も自分の誕生日を大切にしてくれない!!」と激怒したことは一度もなかった。

というよりも、そんなこと思いもよらなかった。

・「子ども」という作られた概念

そんな子ども時代を過ごしていたわけだが、いつの頃からなのか、「誕生日は他の日とは違う特別な日でなければならない!!」と思うようになった。

もっとも、私自身、祝ってくれる相手もいなければ、祝うべき親しい相手もいないから関係ないのだけれども。

だが、「他人は当然そう思っているのだろう」と何の根拠もなく信じていた。

特に子どもはそうなのだと。

以前、手料理をテーマにした記事を書いた時に、おいしさや栄養面からではなく、「時間をかけて手料理を作ることが親の愛情」という動機から手料理にこだわる珍説を取り上げたことがある。

しかし、子どもは本当に親の手料理を望んでいるのだろうか?

少なくとも私は一度もそのようなことを思ったことはない。

この記事で、子どもを慈しむ「母親」と、愛すべき対象である「子ども」は、近代になって作られた人工的な概念であることを紹介した。

手作り(とくに母親による)の料理を望んだり、どうしても誕生日にお祝いをしてもらいたいと思っている「子ども」という存在も同様に、大人が作り上げた虚像である可能性が高い。

とはいうものの、彼から誕生日の話を聞かされるまで、そのことに気付けない私もどこか抜けていた。

半月前に書いた記事で、韓国人の大学教授が用いた三択問題を紹介した。

・結婚して子どもがいるという設定で、同日の同時刻に次の3つのことが発生して、どれかひとつを選ばなければならない状況に直面しました。

あなたならどれを選びますか?

:取引先と重要な商談。相手は商談後すぐに飛行機で帰るため、日程を変更することはできない。

:子どもの誕生日。何日も前から「誕生日は一緒に祝う」と約束していた。

:学生時代からファンクラブに入るほど大好きな歌手グループの解散コンサート。当たり前だが、この歌手のコンサートに参加できる機会は二度とない。

この質問の目的は、①仕事、②家族、③個人の趣味のどれを優先するかという意識調査であり、それぞれの回答率は①と②を選んだ人が共に48%、③を選んだ人はわずか4%に過ぎなかったらしい。

その中で、あえて③を選んだ人の意見で「仕事は他の人が、子どもの誕生日は他の日で埋め合わせができるけど、解散コンサートはその日でなければダメだから」というものがあった。

質問者である教授は「人前でその意見を表明することはとても勇気が必要なことである」と絶賛していた。

だが、「子どもは自分のお祝いパーティーを絶対に誕生日でなければならない!!」という価値観に何の疑問も持たなかった私は、③を選ぶ人の意見を聞いて、「仕事は別の人が代役を勤めることができるが、誕生祝いの変更は子どもが可哀そう」という根拠のない思い込みから、釈然としなかった。

しかも、その回答者が女性だったことも大きな理由だった。

これは大きな反省である。

・子どもの時のお祝いは本当にその日でしたか?

というわけで、子どもを持つ親御さんは子どもの誕生日に予定が重なってしまうと、「子どもの誕生日を優先しないと子どもが傷つく」と思ってしまうかもしれないが、本当にそうなのかは本人に確認して、前日や翌日のお祝いではダメなのかを聞いてみることをお勧める。

前日や当日のドタキャン(もしくはその連絡すらしないバックレ)でもない限り、多くの子どもは受け入れてくれるのではないか?

これは私の偏見だが、子どもの誕生日を誰よりも祝ってくれそうなのは祖父母である気がするが、彼らは誕生日を祝いたくても、一緒に、もしくは近場に住んでいなければ、その日に合わせて会いに来ることは容易ではなく、あなたが子どもの時も、祖父母のお祝いは必ずしも当日ではなかったのではないだろうか?

それを理由に「おじいちゃんやおばあちゃんは僕(私)のことを大切に思っていない!!」と拗ねたことが一度でもあっただろうか?

これもほとんどの人が「No」と答えることだろう。

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