今日は6月30日である。
6月と言えば、「ジューンブライド」ということで、いたるところで結婚関係の広告を目の当たりにする季節である。
私もその潮流に乗じて「どうしても結婚したい!!」と願い懸命に行動する人を応援するために、3つの言葉を贈ることにした。(その記事はこちら)
書き終えた後に、一読していると、どうしても追加で取り上げたいと思うことが出てきた。
というわけで、月末日である今日はジューンブライド月間の駆け込みとして、この記事を書くことにした。
・家族の温かさを感じる時
「一人の生活は寂しい」
「温かい家庭が欲しい」
そんな思いから、結婚を願う人も少なくないだろう。
一方で、実際に家庭を持っている既婚者であっても、このような家庭が築けいている人ばかりではないため、単に「結婚したら解決するのか?」と言われたらそうでもない。
家族の温かさが身に染みることのひとつは、家族の誰かが(ほとんどは母親か祖母だろうが)料理や掃除などの家事を無償で行ってくれることである。
一人暮らしで、仕事に疲れ切って帰宅した後に、慣れない家事をしている時は特にそのことを痛感する。
「これまで家のことはすべてお母さん(もしくはお婆ちゃん)がやってくれた」
「自分もそんな支えが欲しい」
「家庭に入って支えられる人間になりたい」
「何でそんな当たり前の家庭が築けないのか…」
このブログを読んでいる人もそのように感じているかもしれない。
でもね、「料理や洗濯といった家事が当たり前」と思われるようになったのは比較的最近であり、それ以前は「家事能力」が人間(特に女性)にとって不可欠なスペックだとみなされていたわけではないのですよ。
なぜか。
それは、それまでの生活ではそんなもの必要でなかったからである。
・家事が必要になったのは比較的最近になってから
先述の「どうしても結婚したい人へ贈る3つの言葉シリーズ」では主にこちらの本を参考に用いた。
21世紀家族へ — 家族の戦後体制の見かた・超えかた 第4版
落合恵美子(著) 有斐閣
そちらの第2章「家事と主婦の誕生」に家事と主婦の起源が詳しく取り上げられている。
たとえば、イギリスで家庭料理が普及したのは19世紀にビートン婦人が「家政読本」(Beeton’s Book of Household Management)という本で、料理法を紹介したことがきっかけだという。
それ以前の人たちも、もちろん食事をしていたわけだが、それは「料理」という名に値しないくらい簡単な作業だった。
たとえば、燻製などの貯蔵用の肉やチーズが少々あり、パンをテーブルに置いて、家族のそれぞれが手に持ったナイフでチーズや肉を削り取りながら、パンと一緒に食べるというように。
これが当時の主な食事である。
そのような食事は、食べる前に「料理」と呼ばれる作業をほとんど必要としない。
これは私自身の暮らしを考えてみてもよく分かる。
現在一人暮らしをしている私は、毎朝自分でトーストを袋から取り出して、マーガリンとジャムを塗り、食しているのだが、その作業を「食事の用意をする」と呼ぶことはあっても、「料理をする」などとは決して言わない。
現在、食事の準備のための時間は、一日三度の食事の直前に分散しているが、かつては保存食を作るための加工が大部分だった。
保存食を作るのは、この季節には漬物を漬けるとか、この季節にはソーセージを作るとか、一年の中に分散させられていた年中行事だった。
現代のように、生の肉や生の野菜を使って、食事前に調理ができるというのは、輸送技術の発達を含めた市場社会や冷蔵庫の発達があって初めて可能になった。
今でこそ、当たり前だと思われている料理というものは、 近代的な社会基盤がなければ、実現できなかった。
ところで、ビートン夫人が紹介した家庭料理のルーツは、実はレストランにあったという。
「家庭料理は古くからある伝統的なものであり、レストランの方が家庭に変わって料理を作る新しいもの」のように思われているが、実は違う。
革命で貴族が没落した後、館の料理人が街に出て、中産階級相手にレストランを開店し、そこに食事にやってきたブルジョワジーが、料理というものを知り、レストランの料理の方式を簡素化して家庭に持ち込んで、家庭料理ができたのだという。
食事の他にも、私たちが「当たり前」だと思っているような家事は、近代になって今日のようになったのである。
たとえば、洗濯については、20世紀初めまでのフランスの農村部では、年に2回しか行わず、シーズンになると、半年分ためておいた汚れたシーツや下着類を何日もかけて、場合によっては洗濯女も雇って洗っていたらしい。
・母性愛は女性の本能ではない
洗濯や掃除の回数や水準が上昇し、「家事」が家庭に不可欠なものとなった理由は、衛生思想の普及による影響だが、近代以前はそもそも共働きが基本であり、女性が一日中家に居て、家事を行う余裕などなかったからでもある。
実際に著者は自身の子どもが幼かった時の80年代の体験としてこんな話をしている。
子どもがまだ赤ん坊のころ、乳母車を押して畑の間の道を抜けて、公園までよく散歩に出かけました。別に暇をもてあましていたわけではなく、「赤ちゃんに日光浴させてあげなくちゃ」「外気にふれないと夜泣きするし……」などと思って、忙しくても疲れていても毎日そうして散歩していたわけなんですけれど、親しくなった農家のおばさんに、あるときこんなことを言われました。「今の若い人たちはいいね。遊んでりゃいいんだから。」
わたしが乳母車を押して歩いているのが、遊んでいるというふうにしか見えないんですね。こちらは一生懸命子育てしているつもりでも、その方にとったら、子育てなんで片手間仕事だった。子育てに専念する余裕なんてなかった。よく言いますよね、「畦に腰をおろして赤ん坊にオッパイあげるときあれが唯一の休憩時間だった」なんて。オッパイあげた後って、ふうっとくたびれて眠くなる。力が吸い取られてしまう感じ。わたしなんか、重労働だな、くらいに思っていましたけれども、昔の農家のお嫁さんたちにとったら、そんな授乳が休息であるくらい、ほかの仕事のほうがきつかったんでしょうね。
(23ページより引用)
ここで重要なのは、専業主婦が農業を営む女性よりも楽かどうかではなく、出産後も働くことが当たり前だった年上の女性は、育児はその程度のものとしか思っていなかったということである。
農業に従事しながら子どもを育てていた世代の人から見れば、育児など仕事の合間に行うものに過ぎず、子どものためを思い、忙しくても、疲れていても毎日一生懸命散歩させることは「母親として当然のこと」ではなかった。
もちろん、それができないことなど、全く悲観していなかった。
家事と同様に、母親が子どものために行うきめ細かい育児も、それが「当たり前」と思われるようになったのは最近のことであり、それ以前は、愛情をかけて育てなければならない「子ども」と、それを行う「母親」という概念すら存在していなかったようである。
エリザベート・バダンテールの「母性愛という神話」によると、18世紀のパリでは母親の母乳で育てられる子どもはおおよそ3分の1程度で、残りの子どもは住み込みで働く乳母の乳や、里親の下で育てられていたらしい。
ちなみに、現代では当たり前に聞こえる「女性にとってもっとも重要な役割は、母親であることであり、母性愛は何ものにも増して崇高な感情である」という言い方は18世紀頃にルソーらによって主張され始めたようである。
また、バルザックの「結婚契約」という小説によると、明日結婚することになった娘の母親が、最近の若い女性は、終始夫や子どもと一緒に生活して、子どもに母乳を与え、家の中にばかりいるようになってしまった現状は「ルソーのせいだ!!」と嘆き、娘にはそうならないように助言する場面が登場する。
一方で、娘の方は母親の主張に「お母さんは古いのよ!!」といって反抗する。
目指すべき方向は違えど、やっていることは現代人と全く同じである。
このように、「女性は他の何者であるよりも、母親であることを優先すべきだ」という規範意識は歴史が浅く、人間社会の伝統でもなければ、生物としての本能でもない。
・主婦=天使による浄化
高水準の家事も育児も昔は当たり前のことではなかったわけだが、それを聞いたら、「そんな家庭でくつろげるのか!?」と疑問を持つ人もいるかもしれない。
そのような疑問はもっともである。
だが、それでも当時の人々は普通に生活でしていた。
なぜなら、そもそも「家族が精神的にくつろげる憩いの場」とみなされていなかったからである。
以前もこのブログで「結婚と家族のこれから~共働き社会の限界~ 筒井淳也(著)光文社」という本を紹介した。
ここから先の参考書はそちらへ移る。
その本によると、前近代社会では家族とは「食っていく」ための生産拠点の場に過ぎず、「家庭」という言葉に温かいイメージが含み込まれたのは、早くても19世紀以降のことだったらしい。
ちなみに、男性が都心部で働き、女性が郊外の住宅で専業主婦をしていた1960年代までのアメリカでは、家庭はしばしば「天国」に例えられていたようである。
家では専業主婦がすべての家事を完璧にこなし、男が会社でバリバリ働くための英気を養う。
これは今でも、男性一人の稼ぎで家族を養うサラリーマン世帯の人なら誰もがイメージしているかもしれない。
だが、この考え方が最初に浸透したのは、労働者ではなく、資本家階級においてだった。
ラッシュというアメリカ人の学者がこんなことを述べている。
ビジネスの空間と家庭は対比される。そして家庭は「天国」であり、専業主婦は天国を守る天使になぞらえられたのである。 家庭=天国という考え方は、他方では、そこから離れた空間にあるビジネスに対する考え方にも特定の解釈を及ぼした。……つまり、天国の外で、労働者を使っていかに悪質なビジネスを行おうとも、家庭=天国に入れば、主婦=天使によって浄化されてしまうというわけである。したがって、「産業社会」と「暖炉を囲が一家団欒」は相互補完的な関係となる。
(158ページより引用)
いや、待たんかい!!
ビジネスの場で傷つき、家庭で癒しが必要なのは、彼ら資本家にコキ使われる労働者の側ではないのか?
「家族がいるから、つらい仕事も頑張れる!!」というような「温かさ」とは随分違いますが…
しかし、「労働者を使っていかに悪質なビジネスを行おうとも、家庭=天国に入れば、主婦=天使によって浄化されてしまう」ですか……
なるほど。
「家庭を持つことのすばらしさ」を語る人間が、その舌の根も乾かぬうちに、「独身者は人間にあらず」などと他人を傷つけることを平気な顔で言える姿に唖然とすることが多いが、彼らも、どんなにド汚い言葉で他人を罵り、傷つけても、家庭に戻れば、その非人道的な言動を浄化してもらい、綺麗な人間でいられると本気で思っているのかもしれない。
・「理想」はあくまでも理想
資本家階級に安息の地としての家庭が広がったのは19世紀であり、労働者階級がそのような温かい家庭を築けるのはまだ先のことである。
というよりも、温かい家庭を理想とすることはあっても、全員がそんな家庭を築ける社会など本当にあるのだろうか?
カナダの社会学者、エリザベス・ボットによると、1950年代のロンドン東地区の労働者階級の家庭では、配偶者との結婚生活よりも、親族や友人などのローカルな近隣ネットワークの中で生きることを重視していたようである。
このような家庭にとって結婚は「人生の一大事」ではなく、場合によっては別れてしまっても特に凹たれることもなく、配偶者と別れる以外はこれまで通りの生活を続けることがきる。
当時のイギリスは工業化により近代化が進んでいた社会であり、農業や自営業中心の前近代社会から脱却していたと思われるが、そんな時代でも、天国とは言えない家庭で暮らしている労働者が少なくなかったのである。
このように、人類の歴史では「家庭とは常に温かい安息の場」というわけではなかった。
現在、結婚できない、もしくは理想の家庭とは程遠いことに悩んでいる人がいるかもしれないが、そもそも私たちが育った時代の家庭も本当にそのような「完璧で温かい場所」だったのだろうか?
「理想」はあくまでも理想だが、この男のように、自分は一家の大黒柱とは言えないながら、社会規範に合わせて記憶を修正(捏造)し、勝手に自分もそのような「家族」を築いていたと思い込むイタイ(そしてキモい)人もいる。
何度でも繰り返すが、大事なことは「立派な家庭をつくること」ではなく、「生きること」である。
ありもしない幻想を追いかけるよりも、目の前にいる大切な人との絆を大切にしよう。
家庭や結婚をテーマにした記事では、どの角度からアプローチを試みても、結局、そこに行き着いてしまう。