子どもに人生を委ねても幸せにはなれない

半月前にかつての上司の妻が、勉強が得意ではない子どもにどうしても私立の中学を受験させようとしていた時の話を紹介した。

私は彼女とは面識はないため実際の理由は知らないが、彼女が親のエゴで子どもにどうしても中学受験をさせようとする動機を考えてみた。

:私立の学校へ通うというステータスが欲しい

:自身が果たせなかった夢を子どもに託す

今日は私がそのように推測した理由を紹介したい。

・底辺脱出のための裏技

少し回り道になるが、先ずは労働者の階級闘争について考えてみたい。

労働者階級の階級闘争とは、政治活動を通じて、労働者階級の生活を向上させたり、労働者階級が階級構造に占める位置をより好ましいものへ改善する営みである。

しかし労働者が個人の努力でより好ましい階級へと脱出できるなら、労働運動や階級闘争は不可欠のものではなくなる。

なぜなら、階級闘争など行わなくてもその境遇を個人の努力で解消できるからである。

ロシア革命に参加し、ケレンスキー内閣で内閣秘書官を務め、後にアメリカに渡り、ミネソタ大学やハーバード大学で活躍したピトリム・ソローキンは「社会的・文化的移動」という著書で、移動の機会が開かれていればリーダーたちや野心のある人々は上昇の機会を得ることができるから、革命のリーダーになるのではなく、社会的秩序の擁護者となり、今ある社会体制を維持しようとすることを指摘している。

さて、自助努力によって行う階級移動とは概ねこのようなものだろう。

:生まれた家が貧しくても、勉学に励み、一流大学に入学し、卒業後は大企業に入社して(もしくは公務員になる)、安定した生活を手にする。

:末端の職員としてキャリアをスタートさせるも、仕事で著しい業績を上げ、幹部まで昇進する。

だが、自身は変わらずとも、子どもをより好ましい階級へ移動させることが、自分も一緒に階級移動しようと企む情けない人間もいる

日本の企業では、労働者の処遇が「勤続プラス査定」で決定されている。

勤続年数を重ねれば、昇進の資格は得られるが、実際に昇進できるかどうかは査定の結果次第なのである。

新入社員は一様に、底辺の職務を担うのだが、ここから上位の職務へと脱出できるかどうかは、「能力と『やる気』の競争的な発揮」に応じて決まるのである。

しかし職務の構造がピラミッド型である以上、実際脱出できる労働者は限られる。

すると競争は子どもたちの世代へと「繰り延べられ」、労働者家庭は進学競争へと巻き込まれていく。

こうして、労働運動を通じて「労働者がその職業的地位にあるままで労働生活の全体をよくしようとする考え方」は育たなくなってしまう。(参考文献:中流崩壊ー橋本健二(著)ー朝日新聞出版

以前この記事で紹介した「日本社会のしくみ」小熊英二(著)でも、戦後の労使協定で労働側が学歴による身分差別の温存に妥協した歴史が描かれている。

当時の労働者は大卒者の比率など今よりもはるかに少ないため、大多数の人にとっては不利になるはずだが、彼らは自分たちの地位を向上させるよりも、そこに自分たちの子どもを入れることで、自分たちも階級移動を図る(気分になる)道を選んだのである。

・親子共依存

いい年をした大人が、人前で自分の子どもの自慢話を止められない理由は、このように自分は変わらずとも、子どもがいい大学や一流企業に入ると、自分も一緒に社会的な地位が向上した気になれるからである。

言い換えれば、彼らは子どもを出世の道具として利用しているのである。

だが、それは所詮疑似体験に過ぎない。

この記事で登場した私の元同僚は2人の娘を大学と短大に進学、就職させたことで、自身が階級移動した気になっていたが、それだけに留まらず、自身の過去の認識まで改ざんしていた。

実際に、その男は子どもが生まれてからも、定職に就かず、妻が事実上の稼ぎ主であり、娘の進学費用は全額奨学金で工面し、自身は1円も負担できなかった。

にもかかわらず、あたかも自分が世帯主として「俺は娘を育てた!!」などと宣う様子はなんとも哀れである。

彼らがそこまでして子どもを利用した階級移動にこだわる理由は、自分自身に誇るべきものも、充実した生活も何もないからである。

彼らにとって、子どもが社会的な身分を手にすることは他に何の存在意義もない自分の人生に唯一の生きがいであり、今の自分の境遇をリセットできる手段できる手段にもなる。

そのような勝手な期待を背負わされた側はたまったものではないが…

階層移動ほど極端ではないが、どこへ行くにも、何をやるにもいつも一緒で、仲が良い「友達親子」も同じように、親が子どもを自分の人生のために利用することで生まれるものである。

「親子共依存」という言葉がある。

常に親が子どもにベッタリと寄り添い、すべての世話をすることにより、自分一人では何もできない姿は子どもが一方的に親に依存しているように見える。

だが、それは物事の一面に過ぎない。

親の方も、子育て以外に生きがいも、居場所もないため、子どもだけが心の拠り所になっている。

そのため、子どもが成長や自立することで、自分を必要としてくれるパートナーでなくなってしまえば、人生の意味を失ってしまう。

つまり、親も同様に子どもに依存しているのである。

親がいつでも、どこでも「子どもと一緒」に行動するのは、子どもを甘やかしたり、顔色を伺っているのではなく、子ども以外に自分を承認してくれる存在がないため、一緒に行動してくれなくては親の方も困るのである。

ヒステリックなお受験ママとは正反対のように見えるが、このような友達親子も、親が子どもに自分の人生を委ねることで起こる現象である。

もちろん、それが子どもの将来のためになるはずがないのだが。

・親は自分の人生を大切にすべき

階層移動の疑似体験と親子共依存のように、親の人生を委ねられた子どもは迷惑だし、赤の他人にとっても好ましくは思えない。

だが、その原因は、「子どもの成功を親の社会的な評価」だとみなしたり、子を持つ女性には24時間365日「母親」であることを要求する社会の側にもある。

ちなみに、これは日本だけに限らず、韓国でも同様の傾向がある。

以前、「人生の全盛期」をテーマにした記事で、かつてNHKで放送されたソウル大学教授のキム・ナンド氏による「ソウル白熱教室」という番組を紹介した。

その番組の第3回「名前をなくした女性たちへ」と第4回「親が子どもにできる最善のこと」で韓国の家庭や親子関係が取り上げられていた。

韓国といえば、日本以上に受験戦争が激しく、親は自分の生活を犠牲にしてでも子どもの受験を優先することが珍しくない。

また、子どもが決して傷つかないように常について周り、学校や就職先の選択や、住まいの契約などのすべての世話をする親は「ヘリコプター親」と呼ばれているらしい。

これは親の資質だけでなく、親に過度の育児を負担させる韓国社会にも問題がある。

それを表す例としてこんな意識調査がある。

・結婚して子どもがいるという設定で、同日の同時刻に次の3つのことが発生して、どれかひとつを選ばなければならない状況に直面しました。

あなたならどれを選びますか?

:取引先と重要な商談。相手は商談後すぐに飛行機で帰るため、日程を変更することはできない。

:子どもの誕生日。何日も前から「誕生日は一緒に祝う」と約束していた。

:学生時代からファンクラブに入るほど大好きな歌手グループの解散コンサート。当たり前だが、この歌手のコンサートに参加できる機会は二度とない。

キム教授は受講者に挙手をさせ、③だと答えた人に意見を求めた。

を選んだ人の意見は「仕事は他の人が、子どもの誕生日は他の日で埋め合わせができるけど、解散コンサートはその日でなければダメだから」というそれなりに筋が通ったものだった。

なお、元ネタとなったこの調査の回答結果では、①と②を選んだ人が共に48%、③を選んだ人はわずか4%に過ぎなかったらしい。

薄々感づいた人もいるかもしれないが、①は仕事、②は家族、③は個人の趣味を選ぶことになる。

このことから韓国社会では、常に仕事と家族を優先することが求められ、それらを後回しにして、自分の人生を楽しむことなどできないということが分かる。

彼はその調査結果から、大勢の人の前で③の意見を表明した受講者はとても勇気があると称賛していた。

私もその通りだと思う。

そんな社会で「子どもに構い過ぎるな!!」とか「先ずは親が自立しろ!!」なんて言われても、恐ろしくて誰もそんなことできない。

なお、同番組では韓国の有名予備校講師が、新入生が親同伴で行うオリエンテーションでの発言も紹介されていた。

ここに来ている保護者の方は圧倒的にお母さんが多いですね。

特に息子さんを持つお母さんは、お子さんが一流大学に合格し、大企業に入社し結婚して誰もが羨むような人生を送れるようにしてあげることが、母親の役目であり、「そうすることで自分は社会から立派な人間だと認められる」と思っているかもしれません。

でも、お子さんが勉強を頑張ることであなたの人生が良くなる保証はありません。

もしも、お子さんがそのような人生を歩んだとしましょう。

その結果、誰が最も得をするのか?

それはお母さんではなく、お子さんの結婚相手です。

お子さんが勉強を頑張るのはあくまでも自分のためで、お母さんは子どもに自分の人生を背負わせるのではなく、あくまでも自分の人生を大切にしてください。

「もっと自分の人生を大切にしなさい!!」

このメッセージは非行少年や不良少女だけでなく、子離れできない大人にも向けられるべきだろう。

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