「あなたの全盛期は何歳?」
こう聞かれたら、あなたはどう答えるだろうか?
前回の記事を書いていると今から6年前の2013年にNHKで放送された「ソウル白熱教室」という番組のことを思い出した。
・韓国の若者が考える「自分の全盛期」
その番組ではソウル大学のキム・ナンド教授が行った講義を放送しており、その第1回のタイトルが「あなたの全盛期は何歳?」であった。
彼が韓国の大学生にこの質問をしたところ、最も多かった答えは「男性が30歳」、「女性は28歳」であった。
2歳の差はおそらく兵役が影響していると思われるので、男女間に大きな違いはなく、韓国の若者の多くは「29歳が自分の全盛期」だと考えていると言える。
(余談だが、彼は最初、最頻値ではなく平均値を取ろうとしたが、冗談なのか本気なのか、「0歳」という回答が多数出たせいで、平均が大きく引き下げられてしまい、平均を取ることを断念したらしい…)
ここで彼は30歳を過ぎた聴講者数人に問いかける。
するとほとんどの人が「違う」と答えた。
キム教授自身も「自分の全盛期は29歳」だとは思っていない。
たしかに体力的な全盛期は29歳かもしれない。
若い時の方が体力はあるし、肌も綺麗だし、髪の毛の量も多い。
だけど、人生に重要なことはそんなことではない。
今の方が人として成熟しているし知識は増えた。
だから、29歳の時よりも今の方がはるかに成長している。
だが、韓国では多くの若者が「自分の全盛期は29歳」だと考えて、その年までに何者かにならなければ自分の人生はおしまいだと考えている。
・梅の花になりたい?
キム教授はこの状況を
「韓国の若者たちは梅の花になりたがっている」
と説明している。
梅の花が咲くのは2月頃である。
なるほど。
たしかに梅は他の花よりも一足早く開花する。
しかし、だからと言って、「梅の花が世界で最も優れている」とか「世界で最も美しい」と考える人がどれだけいるのだろうか?
母親や恋人に梅の花を贈ろうと思うだろうか?
大切な日に梅の花を貰ってうれしいと思うだろうか?
バラにはバラの美しさがある。
菊には菊の美しさがある。
花を咲かせる季節が違っても、それぞれに美しさがある。
梅がまだ他の花が眠っている時に花を咲かせても、まだつぼみも出ていないバラや菊が「自分も早く花を咲かせなければ!!」と焦る必要は全くない。
若い時は悩んだり挫折したりしてもかまわない。
本当に危険なのは若い時の失敗ではなく、小さな成功である。
そこに満足してしまうと成長が止まってしまう。
・日本に蔓延する「自分の全盛期は20代だ」の病
というように、その番組の内容は大学教授が20代の若者に「20代が自分の全盛期だと思い込んで、勝手に絶望するな!!」と発破をかけて成長を促すものだった。
私も彼の主張には概ね賛成なのだが、この国では何の根拠もなく「20代が自分の全盛期だ」と考えている人たちは、すでに30歳を過ぎた人に多いと思う。
もちろん、それなりに理由があって20代の頃が「自分の全盛期だった」と思う人はそれでいいだろう。
だが、大半は過去の自分を過大評価していたり、年齢による衰えなど関係なく、自分から勝手に落ちぶれただけだったりする。
そんな「自分の全盛期は20代だった」と自己認識する人たちの主張をいくつか見てみよう。
主張①:20代の頃の自分はもっと能力が高かった
「若い時は今よりも体力があった」という主張は事実かもしれないが、「若い時は能力が高かった」という自己評価はかなり怪しい。
私が職場などで「英語を勉強している」と話した時に最もカチンと来る反応がこれである。
ウソをつくなー!!
あんた、どんだけ昔の自分が優秀だったと思っているんだ!?
私が本格的に英語の勉強を始めたのは20代前半の頃だが、その時でも単語を数回見ただけで覚えることなどできなかったし、文法の知識も参考書を一読しただけで身に着けることはできなかった。
何度も何度も繰り返しても上手くいかないことの方が多かった。
振り返ってみると、20代よりもはるかに物覚えが早そうな10代、さらに言えば10歳以前の頃でさえ、そんな能力はなかった。
漢字や算数の計算式は何度も何度も繰り返し覚えさせられた。
それでも、すべてを完璧に覚えることができたわけではない。
覚えてもすでに忘れてしまったものもたくさんある。
これは私だけでなく、多くの人もそうだと思う。
にもかかわらず、なぜ今はできないことが若い時には簡単にできたと思うのか?
年齢を理由に勝手に諦めているだけではないのか?
やる気があれば勉強なんて何歳でもできる。
主張②:若い時は夢や将来への希望があったから頑張れた
ほーん。
若い時のあなたはどんな夢に向かってどんな努力をしていたのでしょうか?
たとえ、夢を実現させることができなくても、仲間たちと共に夢へ向かって努力していた時が最も一生懸命な時だったと思うことは確かにある。
なんかの青春もののように。
しかし、大半は
「本当の自分はこんなものじゃない」
「自分には無限の可能性がある」
「若い自分には将来性があるから、平凡なおじさん、おばさんたちよりも偉い」
という誇大妄想に耽って、辛い現実から目を背けていただけだったりする。
まるで某コンビニでいつも流れている
ずっと夢を見て~ 安心して~た
(中略)
ずっと夢を見て~ 幸せだったな~
という歌のように。
主張③:20代の時は独身だったのでどんなことでも果敢にチャレンジできた。今は家庭があるからそんなことできない。
さっきと同じような答えになるが、
若い時のあなたは一体どれほど果敢なチャレンジをしたのですか?
学校を卒業した後、就職せずに芸能の道に進むとか?
自分の世界を広げるために、仕事を辞めて世界一周の旅に出るとか?
なるほど。
このように人と違うことをするのはリスクが伴い、家族ための生活費を稼ぐ必要がある人が簡単にできるものではない。
それで、あなたは一体どのようなチャレンジをしたのでしょうか?
そして、それは家族のいる現在では本当にできないことなのでしょうか?
実際、ほとんどの人は家族の生活を守ることと両立が難しいほど壮大な挑戦などしていない。
その上、家族がいる喜びよりも、家族を自分の足枷だと感じるとは…
あんたどんだけ不幸な家庭をお持ちなのですか?
本当に家族を大切だと思うのなら、具体性の乏しい夢を追いかけることよりも、家族のいる喜びが上回るものであり、その家族がいない時が「自分の全盛期だ」とは言えないものである。
主張④:20代の時はとにかく異性からモテた
なんじゃそりゃ?
この主張は女性に多いのだが、これを聞くと率直にそう思う。
このような人たちは過去の自分を誇っている様子だが、それは「自分の全盛期」と呼ぶ価値があるものなのだろうか?
そもそも「モテることはいいことなのか?」という考えについてはこの記事に書いた通りなのだが、それでも「異性にモテる(た)」というステータスに必死にしがみつく人がいる。
「20代の時は合コンでとにかくモテた」
「彼氏と付き合っていない時期なんてなかったのに…」
「ああ、あの頃に戻りたい…」
だが、その全盛期とやらは今の幸せにどれだけ結びついたのだろうか?
そうでないのであれば、あなたを評価していたのは人生において全然重要な相手ではなかったということになる。
そんな人たちからモテることに何の意味があるというのだろうか?
おそらく、このような人たちは歳を取ったからダメになったのではない。
そんな考えしかできない人間だからダメになったのである。
というよりもですね、「若い」という理由だけで、この程度の女に群がる男たちは一体何を考えているかさっぱり分からないのですが…
・まとめ
このようにして見ると、「自分の全盛期は20代」という意見の大半はじつに下らない考えであるのかが分かる。
「30代になったのだから真っ当に生きなければいけない」
「20代の時のように人生を変えることはできない」
というように、他人の目を過剰に怯えたり、勝手に限界を決めたりしなければ、年を重ねても悲観することなど何もない。
少なくとも「梅の花になりたがっている韓国の若者」を嘲笑っている人はこれくらい簡単にできるはずである。