マクドナルドで働く高齢者ポスター騒動から見えてくる日本社会の闇

年末年始の特集記事で旬の時期は過ぎてしまった感はあるが、半月前にこんな記事を読んだ。

1年前は会社員→今はバイト「所得が下がったようにしか…」マックのポスターに憶測 広報に聞く本当の経緯: J-CAST ニュース

マクドナルドが実際に店舗で働いている高齢男性をアルバイト募集のポスターにモデルとして起用したところ、現在の姿と、1年前に背広を着て会社員として働いていた姿を対比させた演出についてネット上でちょっとした話題になった。

・マクドナルドで働く高齢者は可哀そうな人?

マクドナルドの広報によると、モデルになった男性は実際にスタッフとして働いており、前職を定年退職した後も「社会とのつながりを持ちたい」、「健康維持に努めたい」という思いから、マクドナルドでシニアクルーとして働いているとのこと。

私もポスターをパッと見た時は、そのような印象を持った。

だが、1年前は会社員としてデスクワークをしていた彼が、現在はマクドナルドの店舗で働いている姿に対して、ネット上では「所得の低下」、「定年退職した後も引退できない」、「リストラされた」といった悲観的な姿を想像するコメントが集まっているらしい。

私もいくつかのTwitter2chに目を通してみたところ、たしかにそのような内容のコメントを多く見かけた。

あのポスターは一企業の従業員募集ではなく、「現代の日本社会の闇」を表現しているかのような言い方であった。

私も一連の話題で、この社会の闇を感じた一人ではあるが、驚いたのはマクドナルドの採用方針でも、モデルとなった男性でもなく、ネットの反応の方である。

そして、率直にこう思った。

「この社会って、アルバイトとして働く高齢男性をどんだけ哀れみの目で見ているんだ!?」

私なりにいろいろと考えてみたのだが、彼らが定年退職した後も働き続ける高齢者を哀れみの目で見ている理由は3つあると思う。

・①:現場で働く肉体労働者への蔑視

モデルとなった彼は、正社員からアルバイトという雇用形態の変化だけでなく、デスクワークから立ち仕事を伴う肉体労働へと、職種もガラリと変わった。

長年勤めた会社を引退した高齢者が、別の会社で正社員として雇用されることが難しい点についてはほとんどの人が異論はないと思う。

しかし、同じ非正規労働者としての再就職だったとしても、転職先が同じようにスーツを着たデスクワークだったとしたら、同様の悲壮感を持つ人がいただろうか?

世の中にはスーツを着て働いている非正規労働者など大勢いるし、実際に私もバイトや派遣社員としてネクタイまで締めて働いたことがある。

定年後は同じ会社で嘱託の契約社員で再雇用されている人も珍しくない。

また、正社員からマクドナルドのアルバイトに転身するにしても、前職が工場や建設のような肉体労働だったら、同じような議論は生まれなかっただろうか?

私の想像だが、その答えは限りなく「No」だと思う。

おそらく彼らの中には

デスクワークの正社員>肉体労働の正社員>デスクワークの非正規>肉体労働の非正規

(※:肉体労働の正社員とデスクワークの非正規では個人の価値観や就労状況により上下する可能性あり)

という図式があり、ヒエラルキーのトップであるデスクワークの正社員から最下位の肉体労働の非正規労働者へと移動したからこそ、単なる収入や雇用の安定といった問題に留まらず、人生を転落したかのようにさえ感じたのだろう。

今回の騒動を通して、この社会の肉体労働者への蔑視が改めて浮き彫りになった。

・②:定年退職した高齢者は年金だけで暮らしていけるという幻想

高齢アルバイターを哀れみの目で見てしまう2つ目の理由は「長年正社員として働いた会社を引退した後は年金だけで暮らしていける」という幻想が根底にあることだろう。

年金だけ悠々自適な老後生活を送ることこそが、この社会での標準的な生き方であり、高齢になっても引退せず(できず)に低賃金のアルバイトをしている人は、そんな安定した道から外れた落伍者であると。

それを「自己責任」だと痛烈に批判することはないにしても、そのような生き方が難しくなったこの国の凋落ぶりの嘆く書き込みが多く見られた。

だが、本当に昔はそのような高齢者が大多数だったのだろうか?

今からおよそ2年前に「日本社会のしくみ」(著:小熊英二)という本を基にこんな記事を書いた。

男であれば、学校を出て就職した会社を定年まで勤め上げ、年功序列や終身雇用も含む企業福祉に守られながら、子どもを育てて、家を買って、老後は静かな年金生活を送り、女性はそのような男性と結婚して添い遂げる。

これが「日本的」と呼ばれる生き方で、昔はそのような人生を歩む人が大多数だったが、バブル崩壊後の失われた30年によって、そのような安定が切り崩された。

と言われているが、そのような安定した人生を歩んでいたのは昭和の時代ですら、3割しかいなかった。

その3割という数字の根拠にいくつかの統計が用いられたが、その中に高齢者の就業率があった。

93年(平成5年)の総理府広報室「公的年金に関する世論調査」では「ほぼ全面的に公的年金に頼る」と答えたのは60歳以上で1/3だったという。

93年はすでに平成の時代だが、今から30年前であり、まだバブル経済の余韻が残っていて、日本型雇用や公的年金への信頼も今より強固だったことは間違いないだろう。

そんな時代ですら、年金だけで生活していた60歳以上の人はその程度しかいなかったのである。

それを考えると、むしろ、「60歳(または65歳)で引退したら年金だけで生活できることが当たり前の社会って、一体どこの国の話ですか?」と言いたくなる。

最近は古い価値観に縛られた人のことを「老害」とか「昭和脳」と蔑む人がいるが、「定年退職したら年金だけで生活できる人」は昭和時代ですら少数派だったのだから、そのような幻想に囚われている人は「古い」や「昭和」という言葉にすら該当しない。

ただの妄想家である。

・③:自覚なき家父長制の精神

最後は自覚なき家父長制の精神である。

男たるもの、妻も子どもを養ってこそ一人前。

当然、歳を重ねれば、スーツを着て働く会社員みたく、それに相応しい役職についているものである。

そんな考えが根底にある人間にとっては、いい歳をした男が、学生や主婦と一緒にマクドナルドでアルバイトとして働くなど、恥以外の何物でもない。

もしも、今回のポスターで同じ役を女性が担っていたら同じように話題になっただろうか?

定年退職後の再就職はもちろんのこと、たとえば、長年専業主婦だった女性が夫の死や子どもの独立を機に、アルバイトとして働き始めたとする。

そこで、例のポスターに倣って、「1年前、主婦だった私」というキャッチコピーで主婦として家事を行っていた頃の写真と対比させる。

その場合は、今回の男性ほど多くの反響は起きなかっただろう。

それは、マクドナルドの店員に限らず、非正規労働は「女性の仕事」と思われているため、どんな経緯であれ、そこで女性が働くことには違和感も関心も生まれないからである。

この記事で特集した時のように、「家父長制」と聞いたら、多くの人は「自分は違う」と思い込んでいるようだが、そんな自覚なき人たちにもマッチョな(そして、他人から見れば迷惑な)家父長制の精神は無意識に存在しており、今回のようなケースで露骨に表れている。

余談だが、私は高校生の時に学校を中退しようと思い、担任教師から思い留まるように説得されたことがある。

その時のことは、この記事にも書いた通りだが、そこで

「高校を中退しても就職先なんてないから、一生マックのバイトしかできないぞ!!」

「そんな奴は誰とも結婚できないぞ!!」

と具体的な会社名を出して、そんな仕事をしている奴は人間失格であるかのように言われた。

当時の私はその考えが全く理解できなかった。

マクドナルドで働くことの何がいけないのか?

というか、何で結婚の話?

だが、こうして「家父長制」というイデオロギーを通してみると、あの時の彼の発言の意図が理解できる。

彼らにとっては、結婚しなかったり、家族を養うことができない低賃金の職に従事している男は、半端者の負け犬(負け組)であり、社会から石を投げられたり、唾を吐かれて当然なのだろう。

もちろん、彼らの考えを理解しても、納得や賛成は全くしていないが。

・現実的な解決策はあるのか?

以上の3点が、私がこの社会でアルバイトして働く高齢者が哀れみの目で見られる理由だと考えることである。

高齢になってもアルバイトとして働く人たちよりも、彼らに対する風当たりの強さの方がよっぽど問題だと思う。

特に厄介なの②の「昔は年金だけで生活できたのに!!」という幻想である。(①と③については「バカだな、お前は!!」、もしくは「この差別主義者!!」の一言で片が付く)

昭和時代ですらそんな人は多数派ではなかったし、今は当時に比べて、支給開始年齢の繰り上げや保険料の値上げといった年金受給への逆風が起きているため、今後も「老後は年金だけで安心して暮らせる」なんてことは夢物語が実現するとは思えない。

だからといって、「これからは国なんて信用できないから個人で貯金をしろ」、「投資や資産運用を!!」なんて自称エコノミストやインチキ投資家(=詐欺師)みたいなことは言いたくないし…

結局は国や社会が、高齢になっても働く生き方を前提にして、彼らをバックアップしながら、「昔は定年まで勤め上げたら、退職後は年金だけで悠々自適に暮らせた」という幻想や差別主義者を一人でも減らすことしか解決策は思いつかない。

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