現代社会は良くも悪くも法令遵守社会になっている

最近はどういうわけだが、韓国の人と話すことが多い。

彼らと話す内容の多くは社会問題についてである。

そんな話題のひとつに世代間格差がある。

・韓国の若者は甘ったれている?

韓国の世代間格差についてはこの記事でも少し取り上げたことがある。

ただし、この問題は「アイツの方が自分たちよりも恵まれている!!」という意識の方が、実際の経済的な損得勘定を上回っていることが少なくない。

最近、この記事で頻繁に登場しているソウル大学のキム・ナンド教授による「ソウル白熱教室」でもこの話題が取り上げられていた。

その番組では、高校生や大学生の子を持つ親世代の意見が取り上げられており、

「私たちの時代と比べて、今の子どもは圧倒的に恵まれている!!」

「最近の若者はつらいことからすぐに逃げ出す!!」

「歯を食いしばってでも仕事に取り組もうとするガッツが足りない!!」

というような、どこかの国でも耳にタコができる程聞いた言葉が並べられていた。

一方で、キム教授は「親が若かった時と今の若者は生きている環境が全く違い、悩みの質も全く違うのだから、親は自分の経験だけで『今の若者は甘えている』というような一方的なことを言ってはいけない」という大人の主張を展開した。

たとえば、元大統領の李明博氏は35歳(※)で現代(ヒュンダイ)の社長に就任したが、これは経済が上がり調子の時期で、人手が足りないから時代だから可能だったことである。

(※:Wikipediaでは36歳とあるが、それは誤差の範囲であるため、どちらが正しいかはここでは言及しない)

今では韓国有数の大企業である現代も当時はまだ発展途上の会社だった。

もし、彼が今の時代に社会へ出たら、どんなに頑張っても35歳なら、良くても部長にしかなれないだろう。

現代の若者は冷暖房完備の部屋で生活できて、どこへ行ってもネットが繋がっていて、親からの手厚い財政支援もあるが、このような希望はない。

このように「今と昔のどちらが得なのか?」は一概に答えることができないのである。

・現代社会が息苦しい理由

「世代間格差」と呼ぶには大げさかもしれないが、

「昔の方が人生はイージーモードだった!!」

「今の若者は物質的に恵まれすぎて根性が足りない!!」

というような「今と昔はどちらが得か?」という小競り合いは日常に溢れている。

しかし、そのような議論はあまりにも物事を都合よく見過ぎであることが多い。

以前、このブログでも私が電車の中で目撃した「昭和時代なら、自分たちは大企業の正社員と専業主婦として、人生を楽に送ることができたのに!!」とほざいているカップルの認識の甘さを指摘したことがある。(独り身のやっかみも込めて)

趣旨は違うが、「男が得か? 女が得か?」という話題を取り上げた記事で述べた通り、目の前にいる「うらやましい」と思う人がそもそも適当な比較対象者とは限らない。

たとえ、その属性であったとしても、「そうではない人生」を送っている人だって、世の中には大勢いるのである。

そのため、私もキム教授と同様に「今の時代を生きることと、昔の時代を生きることのどちらが得か?」という議論には意味がないと思っている。

ただ、私が過去と現在の違いについて説明できる言葉を見つけるとしたら、今の時代は昔に比べて、良くも悪くも「法令遵守」の社会である点だと思っている。

アルバイトの仕事を想像してほしい。

今の時代、アルバイトでも、所定の労働時間などの法律で定められた条件を満たせば、会社の保険に入ることができるし、「明日から来なくていいよ」という経営者の気まぐれによる一方的な解雇も(ゼロとは言わないまでも)許されない。

このように正社員に比べて、身分が不安定だと言われているアルバイトで働く場合でも、法律で身分がしっかりと保証されている。

なるほど、同じアルバイトの仕事でも、現代は昔に比べて恵まれている。

だが、その一方で、「あくまでも正社員の補助労働」という労働者にとって気楽な立場を失うことになった。

かつてなら、「アルバイトはそんなもの」だと認められていた

「明日休みにしてください!!」

「そういう難しい仕事は正社員の人がやってください!!」

「今日限りで辞めさせてもらいます!!」

ということができなくなってきている。

たとえ、「家庭の責任を負う主婦パート」や「勉強が本分である学生バイト」でも、家事や家業を理由に仕事の責任を軽減、免除することは認められない。

かつては、労働者側も雇用側も「バイトはこんなもの」というように「なあなあ」で済まされていたが、今はお互いに法令遵守の責任を負うこととなった。

これはあくまでも時代の変化であり、どちらが「良いか、悪いか」とは一概に言えない。

現在の日本は「そういう社会になった」のである。

・ブラック企業経営者が見せた意外な優しさ

逆に昔は「良くも悪くも法律が遵守されていなかった社会」ということになる。

悪い面はともかく、「良い意味で法令順守ではない」とは不思議な言葉である気がするが、言い方を変えれば、「抜け穴がある社会」ということになる。

これは私がかつて短期の仕事で働いてきた時の話である。

その職場は従業員が8人程度で、会社全体でも30人ほどの中小企業だった。

社長は気さくな人物で、彼の親族も共に働き、文字通り「アットホームな職場」だった。

だが、このフレーズを聞いた人の多くが懸念している通り、その職場は正社員が休みなく働き、一日の労働時間も毎日12時間という「労働基準法など無きに等しい職場」だった。

私は時給制のアルバイトだったため、辛うじて公私の境を保つことができたものの、それでもしつこく「週6日で働いてはどうか?」と誘われていた。

職場の面々とは表面上は親しく接していたが、「間違ってもこのような会社で正社員になるのは嫌だ!!」と常に思っていた。

私にとって会社はあくまでも「お金を稼ぐための場所で、仕事はなるべく楽に早く終わらせること」であり、同僚ともなるべくプライベートな関係にはなりたくなかった。

このように、私にとって理想とは言い難い職場ではあったが、意外にも良い一面が垣間見えたことがある。

ある日、社長が女性パートに子どもが通う予定の保育所へ提出する書類を渡していていた。

その際にこんなことを言っていた。

社長:「雇用形態はちゃんと『正社員』にしておいたからね」

彼女は既婚者だったが、夫の稼ぎがあまり良くないため、1歳に満たない子どもを持ちながら働かなければならなかった。

しかし、母子家庭でもない限り、保育所に優先的に預けることができるのは圧倒的に母親が正社員として働くケースである。

おそらく、彼女もこれまで何度も審査に落ち続けてきたのだろう。

それを見かねた社長が同情して、力を貸してくれたのかもしれない。

その他にも、何年も引き籠っていたアルバイトが、他社で就職活動をする時に、ブランクのことを聞かれたら、「調査が入ったら口裏を合わせるから、その間はウチで働いていたことにしていいよ」と言われていた。

これらはれっきとした身分や経歴の詐称だが、社長が「正社員として雇うことはできなくても、満足な給料を払うことができなくても、自分にしかできないことがある」と思い、彼らの力になろうとしたのかもしれない。

昔ながらの個人経営の会社は労働基準法を遵守しているとは言えなかったが、今では当たり前となった法令遵守の会社ではできないこともやっていたため、「良くも悪くも法令遵守ではなかった」のである。

・たしかに昔は緩かったが…

「法令遵守」という視点で考えると、「昔の方が良かったのか、それとも現代の方が恵まれているのか?」とは一概に言えないことがわかる。

だが、最も悪質で品性下劣な振る舞いが何であるかということははっきりしている。

それは、自分が損害を被る時は法律でしっかりと保護してもらいつつ、自身が法律を守らなくてはならない場面では、昔のような無法を好むことである。

まるで、「固いこと言うなよ」と言って、人のことをガンガン殴っておきながら、自分が殴られたらすぐに警察に守ってもらおうとするかのような身勝手さである。

以前このブログで紹介した「たとえ他所の子どもであっても悪いことをしたら遠慮せずに叱るべきで、場合によっては手を挙げてもかまわない!!」」とドラえもんに登場する神成さんのような昔ながらの頑固おやじを支持しながら、彼とは違い、自宅隣の空き地(私有地)で子どもが遊ぶことは絶対に許さない自己中心的なオジサン(オバハン)も同類である。

彼らは「子どもに体罰を行ってはいけない」現代社会の法令遵守を「ぬるい」と批判しつつ、昔であれば当たり前のように見逃されていた空き地で遊ぶ子どもに対しては「法律」を持ち出して自分の権利を主張する虫のいい人たちなのである。

「昔は緩かったのになあ…」

その発言は間違いないと思われる。

しかし、かつてのような法令遵守ではない社会を好んでいるかのような発言をしている人は、自分の権利が法律で保護されないリスクは考えているのだろうか?

これは私が小学校低学年だった20年以上前の話である。

当時はすでに平成の時代だったが、まだ20世紀だった。

母親の実家(田舎育ちを自称している私から見ても「かなり田舎」)へ向かう途中、古びたスーパーで買い物をすることになった。

買い物を終えて、店から出ようとすると、当時大人気だったポケモンのガシャポンを見つけた。

そのシリーズは通常であれば200円するが、その販売機では100円で販売していた。

それを見た私は意気揚々とお金を投入し、ハンドルを回したが、出てきたのは全然違う製品だった。

試しにもう一度やってみたが、またも違う品物が出てきた。

私はそれを持って店員に苦情を入れると、彼は悪びれる様子もなくこんなことを言った。

店員:「あ~、それはハズレですね。当たりを引けば200円のヤツが100円で買えるんですけど、そのようなハズレが出ることもあるんですよ」

それを聞いた私は唖然とした。

販売機にはどこにも「当たり、ハズレがある」などとは書かれていない。

これはれっきとした詐欺であり、今の時代に同じことをやれば大問題である。

当時も問題だと思う人はいただろうが、こんな商売をヌケヌケと展開することが許されていたのである。

これも「昔は緩かった」の代表例と言っていいが、緩い社会を望む人は自分がこのような被害に遭う覚悟も織り込み済みなのだろうか?

このような阿漕な商売の被害に遭うことを覚悟している人だけが、緩い社会への回帰を主張してもらいたい。

スポンサーリンク