「経済特区」という言葉を聞いたことはあるだろうか?
この言葉をgoogleで検索してみると、このような説明が一番上に表示される。
地域や国全体の経済発展の推進を目的に、他の地域とは異なる税制上の優遇措置や規制緩和など特別な措置を設けられた特定の地域のこと。経済特別区ともいう。
1978年から中国で改革開放政策の一環として4都市(後に海南省が追加され5都市)に設置されたことで、さかんに外国企業が進出し、工業・商業・金融業などが発展した。
上海等に代表される「経済技術開発区」との違いは、域内外への往来が、国境並みに厳重に管理されており、一般の中国人が自由に往来できない点であるらしい。
2年程前に更新が途絶えているものの、日本でも「特区」を設置しようという動きがあり、提案を募っていたこともある。
国家戦略特区 | 首相官邸ホームページ (kantei.go.jp)
私は提案と呼べるほどのものは持ち合わせていないが、もしも、そのような特区を作ると言うのであれば、ぜひとも実現してもらいたい案がある。
それは、現代の文明から隔離され、日本の古き良き伝統を守る「昭和特区」なるものを作ることである。
・日本全体を昔に戻すことはできなくても…
「昔はよかった」
仕事であっても、家庭であっても、教育の面であっても、至る場面でこのような言葉が聞かれる。
この「昔」という言葉がいつのことなのかは定かではないが、多くのケースは「昭和時代」のことである。
当時は、今とは違って、
・真面目に生きれば誰もが正社員として雇われ、一生安定した暮らしを送ることができた。
・誰もが結婚することができた。
・家族やご近所の絆が強かった。
・他所の子どもが悪いことをしたら、キチンと叱った。
・多様性なんかなくとも、一体感があった。
・貧しくとも夢があった。
そんな時代に戻りたい…(なぜか、当時を生きていない人であっても、このように「戻りたい」と言っている人が珍しくない)
しかし、単純に今のやり方を昔と同じように戻したとしても、社会や経済状況が違うため、上手くはいくはずがない。
私も、日本全体をそのような時代に戻すことはできないと思っている。
だが、一部の地域を特区として扱い、様々な規制を張り巡らせて、最終的にはお上に調整してもらえば、その地域だけでも、当時と同じような社会にすることはできるのではないだろうか?
というわけで、今日は私が考える「昭和特区」の話をさせてもらいたい。
・大学進学と就職
最初にこの特区で目指す「昭和」とは「具体的にいつのことなのか」についてハッキリさせておきたい。
今回の記事では目指すべき「昭和」の基準は昭和40年代(1965~74年)半ば頃とする。
私自身、特にその年へのこだわりはないものの、今からおよそ50年前で区切りがいいから選んだ。
統計が1年単位で確認できる資料の数字を使用する時はちょうど50年前の1971年の数字を用いることにする。
可能な限りこの時代の暮らしに近づけるため、社会の制度は外の世界とは独立したものとしなくてはならない。
もちろん、素晴らしき昭和時代に少しでも近づけるためには、この馬鹿ども(男版、女版)のような甘ったれた妄想ではなく、今とは違う負の側面もキチンと再現しなくてはいけない。
たとえば、大学進学について。
以下のサイトによると今から50年前の1971年の国立大学の授業料は年間で12,000円となり、現代の価値に換算すると42,578円らしい。
国立大学授業料|年次統計 (nenji-toukei.com)
参考までに同サイトで紹介されている私立大学の文系・理系の授業料を同じ条件で調べてみると、それぞれ257,106円、332,271円となっている。
私立大学授業料(理系)|年次統計 (nenji-toukei.com)
私立大学授業料(文系)|年次統計 (nenji-toukei.com)
これは現代の日本から見るとかなり恵まれていると言える。
まさに、「昔はよかった」と言える。
もちろん、昭和特区ではこのような面を忠実に再現すべきだが、大学進学率も同様に26.8%まで絞り込まなくてはならない。
というわけで、大学は選りすぐりのエリートだけが集う場所となり、残りの一般庶民は高卒(もしくは中卒)で働くことになる。
とはいっても、そこは昭和の世界である。
学歴はなくとも、就ける仕事などいくらでもある。
しかも、派遣やフリーターではなく安定した「社員」として働くことができる。
もっとも、労働基準法なんて法律は存在せず、企業福祉は完全に企業のお情けによる施しとされ、鬱病や過労死は「甘え」と一蹴されるが…
そんな状況では、多くの企業が長時間労働可能な男性ばかりを欲しがるため、優秀な人であっても女性は労働市場から排除され、自然と結婚に行き着く。
その結果、今と違ってほとんどの人は結婚して自分の家庭を持つことはできる。
人によっては、この面は羨ましいと思うかもしれない。
もっとも、年功序列・終身雇用の大企業的な身分を手にすることができるのは、せいぜい自労働者人口の1/3で、多くの人たちは、一人の稼ぎで家族全員を養うことなど不可能な地元の中小企業である。(詳しくはこちら)
当然、「結婚さえすれば誰でも専業主婦になれる!!」という甘い世界ではない。
少なくない女性はパートのように少額の賃金で働きながら家事や育児を行うことになる。
そんなことできるのか?
無理なら義理の親や地元の仲間に頼って凌いでください。
これぞ、昭和クオリティである「家族と地域の絆」ではないか?
・交通手段と買い物
車は今や私たちの生活に不可欠である。
今ではよほどの都会でもない限り、「一家に一台」ではなく、「一人一台」と言っても過言ではない。
それだけ車の所有は一般的だが、71年の普及台数は一世帯当たり0.505台であり、2015年の1.069台と比べるとおよそ半分である。
都道府県別の自動車の普及率データ – 車査定マニア (kuruma-sateim.com)
r5c6pv0000003pv2.pdf (airia.or.jp)
昭和特区では、この社会を忠実に再現するために自動車の所有も許可制にして制限することにしよう。
家業を営む世帯や、あまりの僻地は所有を認めざるを得ないが、たかだか田舎程度であればバスや電車のような公共交通機関で済ませる。
鉄道の運営は旧国鉄を彷彿とさせる国有企業が行うため、路線が赤字であっても廃止にはしない。
もっとも、職員がストライキを起こして、電車が動かなくなる可能性は否めないが…
「でも、車がないと日々の買い物もできないのでは?」
そんな心配はご無用。
昭和特区では、自由な出店を認めず、徹底的な規制によって、買い物においても当時の生活を再現することとする。
たとえば、セブンイレブンが1号店をオープンしたのは1974年、マクドナルドの1号店は1971年だから、どちらも当時は「一般的だった」とは言えない。
大手のコンビニやハンバーガー店は特区内の中心地に一店舗のみ出店を認めるのが妥当である。
となると、庶民の買い物の味方となるのはダイエーやイトーヨーカドーのようなスーパーである。
しかし、意外にも、大手のスーパーが本格的に生鮮食料品を販売するようになったのは76年の関西スーパーまで待たなくてはならない。
それ以前は「全く売られていない」ということはなかったが、マニュアル作業による標準化がなされておらず、職人の気まぐれで販売されていたため、今とは似ても似つかない販売形態だったようである。
(参考書籍:『商店街はいま必要なのか 「日本型流通」の近現代史』 満薗 勇(著)講談社現代新書)
というわけで、スーパーの生鮮食料の扱いも規制して、主な供給店は個人商店に限定しよう。
もちろん、酒やタバコも当時の規制を再現して、免許を持った自営業者のみが扱えるようにする。
そうすれば、ほとんどの買い物は徒歩圏内の商店街で済ませることができるから、車は必要ない。
当時はなんと言っても、客が車でやってくることを前提にして郊外に出店している飲食店、レンタルビデオ店、大型ショッピングモールなんてものは影も形もないのだから。
それに、チェーン店のようにどこの誰だか分からない人から接客されるよりも、地元の馴染みの店で買い物をすれば、店員と友達になることもできる。
買い物に楽しみを見出したい人は、それこそバスや電車に乗って、半年や一年に一度の特別な日に都心の百貨店へ出かければいい。
でも、そんなことをしたら、やる気のない自営業者やぼったくり店の殿様商売に拍車がかかるだけだって?
それも莫大な無駄や非効率を楽しむ結構な昭和クオリティではないか?
ちなみに、家電の販売はメーカー希望の小売価格(定価)でしか販売を認めないこととする。
「経営の神様」と呼ばれた、の方の命令ですから、昭和時代愛好家の人はきっと喜んで受け入れてくれることだろう。
(参考書籍:商店街はなぜ滅びるのか 新 雅史(著)光文社新書)
・「多様性よりも一体感」を実現するための切り札
昭和時代の特徴の一つは、「多様性などなくとも、『みんな同じ』という一体感がある」ことだろう。
そのために、自家用車ではなく公共交通機関を、郊外のチェーン店ではなく地元の個人商店を利用する生活を送らなくてはならない。
だが、一体感を強めるために最も先に行わなくてはならないことはメディアの数を絞ることである。
何よりも優先すべきは、災害などの特殊な条件を除いて、インターネットの使用を禁止することである。
主な情報源はテレビや新聞のようなマスメディアとし、その他は趣味を楽しむ程度の雑誌や教養を身に着けるための書籍のみ流通させる。
外の世界でそんなことをすれば、
「情報統制だ!!」
「偏向報道だ!!」
と言われそうだが、そんな些末な事よりも、みんなと同じテレビ番組を見て、その話をネタに会社や学校、井戸端会議で盛り上がることで一体感を得られることの方が大事なのである。
報道の内容が真実かどうかなど二の次である。
隠れて一人でコソコソとネットを覗くことは止めて、目の前の人とのコミュニケーションを大切にすべきである。
分からないことは直接、人に尋ねればいい。
GoogleもYouTubeもないが、そんなものよりもリアルな人間関係(友達)に囲まれた方が幸せな生活を送ることができるだろう。
・まとめ
まとめると昭和特区では
・大学へ進学するのは高卒者の4人に1人で、その他は高卒(人によっては中卒)で働く。
・フルタイムの仕事は正社員だが、福利厚生は企業のお情け次第。
・女性は結婚しなければ生きていけないが、結婚後も専業主婦になれるとは限らない。
・車は本当の意味で「なければ生活できない」人しか所有できない。
・スーパーでは生鮮食料品は買えない。
・家電は定価販売でなければ購入できない。
・テレビや新聞、雑誌のようなマスメディアからしか情報が得られない。
という暮らしを送ることになる。
ちなみに、この記事で触れた通り、昔の日本社会は法令遵守ではなかったが、この昭和特区では、当時の人が実際に遵守していなかった法律は最初から設けないことにする。
言い換えれば、「緩いことを強制する」のである。
たとえば、アルバイトを雇う時は雇用者が雇用の責任など持つ必要はないし、労働者も責任など一切発生しない。
また、この記事で紹介した通り、子どもへの体罰はある程度まで不問とするが、同様に空き地で遊ぶ子どもを(ダブルブッキングでもない限り)追い出すことはできないし、親の責任を追及することもできない。
その他にも、公共の場であっても、いたるところで喫煙可能とし、死者が出ない限り、仕事中の飲酒も飲酒運転も認める。
何とも緩くて楽しそうである。
ちなみに、私がこのような特区を作ってもらいたいと思っているのは、自分が考える理想郷を実現させたいからではない。
むしろ逆に、二言目には
「昔はよかった」
「昭和に戻りたい!!」
と叫んでいる人が暮らす世界を作ってほしいと考えていたからである。
これまでにも、自分は現代社会の恩恵を受け取っていながら、自分は伝統的な社会の継承者のごとく思い込んでいる人たちのことを何度か取り上げてきた。(関連記事:①、②)
そんな人たちには、ぜひとも昭和特区(いわば、ゴミを入れるための「ゴミ箱」)へ移住してもらいたい。
そうすれば、彼らが外の世界から隔離されて平和に暮らすにせよ、危険で不便な暮らしに耐えられず逃げ戻るにせよ、私たちの住んでいる世界に「昭和」という名の箱庭ユートピアを投影することを止めるだろう。
さて、ここまで楽しく書いてきて、最後にこんなことを言うのはなんだが、実際のところ、私はこんな特区が作れるとは思っていない。
というのも、このような昭和特区には外の世界(今の時代)では許されない影の部分が存在しているからである。
その一つが最後に取り上げた「体罰」と称される子どもへの暴力や、受動喫煙、酒を飲んで行う仕事や車の運転である。
望んで移住した本人がそのような被害に遭うことを仕方がないのかもしれないが、親のエゴでそのような世界で暮らす子どもが被害に遭うことはさすがの私でも抵抗がある。
何かいい解決法をお持ちの方はご意見をお待ちしています。