工場で派遣の仕事をしていた時のことが懐かしくなってきた

前回の記事で少し触れた通り、今の私は求職中である。

というわけで、最近は登録している派遣会社から仕事紹介の連絡が多く入るのだが、仕事内容の説明でこんなことを言われることが珍しくない。

「比較的スピードを求められるポジションになります」

「一から教わるのではなく、自分で学んでいただくことが多くなると思います」

「退社時間ギリギリになっての受付が多いので、毎日決まった時間に退社することは難しいと思われます」

前々回の記事の主役であるカワサキ(仮名)と同様に、決まった場所で、決まった時間に、決まった仕事だけをやりたいから、あえて正社員にならない私はこんなことを言われると気が沈む。

まあ、それだから派遣の時給はアルバイトよりも高いのだが…

このような高いスキルや責任を求められると、同じ派遣でも単純作業をやっていた時のことが懐かしくなってきた。

それは工場の仕事である。

今日はそこで働いた時の話をさせてもらいたい。

・地元の工場での単純作業

私がその仕事に就いたのは今から5年以上前の201411月である。

当時の私は実家を離れて、都市部へ働きに出ていたが、短期の仕事を終えてから5ヶ月もの間、職に就くことができなかった。

そんな中、派遣会社の登録会で担当者から「どちらの出身ですか?」という問いに答えたら、たまたま彼が私の出身地の案件を担当しており、その仕事が希望条件と一致したため、結局地元へ戻ることになった。(その時の話はこの記事にも書いてある)

その職場は私の家から徒歩15分程度の場所にある最寄り駅のすぐ隣に位置していたが、今までそんな場所に工場があることなど全く知らなかった。

以前は比較的大規模な会社で、他所に本社を構えていたようだが、今ではほとんどの部門を売却して、私が働くことになった工場だけで細々と営業を続けていた。

当時の従業員はおよそ50人。(休憩所にあったタイムカードの枚数が50人分だったが、実際はもっといたかもしれない)

その中には私と同世代と思われる人もいたが、同僚の多くは「怖いおっさん」という印象だった。

作業時間は朝の8時から夕方の510分まで。

だが、定時で上がれるのは翌日が休日の日(土日が休みなら金曜日)だけで、それ以外の日は恒久的に1時間の残業が発生していた。

ちなみに、終了時刻が中途半端なのはお昼休憩以外に10分の小休憩が設けられているためである。

私が担当することになったのは、乗り物で使うパーツの耐久検査である。

検査と聞くと何だか難しそうな響きがあるが、もちろん私が直に合否を判断するわけではなく、検査の工程で用具を組み立てたり、解体するだけの単純作業である。

立ち仕事であるが、今までの仕事とは違い、動きがあるため、そこまで疲れることはなかった。

・蘇る後悔

そんな工場の仕事は毎朝、ラジオ体操から始まる。

ラジオ体操は製造業に限らず、事務作業であっても、毎朝行っている職場もあるが、私にとっては初めての経験だった。

多くの人もそうだと思うが、これが嫌でたまらなかった。

「何で、子どもでもないのに、こんなことをさせられるんだ!!」と毎日不満だった。

体操が終わると朝礼が始まる。

最初はごく普通の業務連絡だが、その後は別室にいる会長による説教や自慢話が数分間続く。

その後は、全員で安全の標語を読み上げる。

この時は毎朝、「何でこんな所で働こうと思ったんだろう…」と考え込んでしまった。

そして、ようやく作業が始まる。

仕事は単純で、事前に聞かされていた通り、特に知識も必要はなかったが、その仕事は私一人だけで完結しないため、常に隣で作業をしている社員に声をかけなければならなかった。

その社員は決して「嫌な人」というわけではなかったが、寡黙で、機嫌が悪い時は露骨に表情に表す人物だったため、私は恐る恐る働いていた。

しかも、これまでとは全く違う業種であるため、勝手が分からず、指示されても何のことだかチンプンカンプンになることが多かった。

また、私の担当する作業は大きな音が出たり、周囲に風圧がかかることもあるため、よく苦情が入った。

この作業では隣にいる社員以外の人物とはほとんど関わらず、休憩室も社員と派遣社員は別室だったため、毎日疎外感があった。

その前年は多くの仕事の仲間に恵まれ、頼りにされていただけに、その落差も耐え難かった。

「ああ、1年前に戻りたい…」

ちなみに、前年は留学するつもりで資金稼ぎに励んでいたが、職場の居心地がよく、現地の下見に行って心変わりしたことで、進路を変更した。

だが、その判断は誤りであり、この年はその決断を激しく後悔していた。

その上、何の因果か知らないが、その下見に出かけた日のちょうど1年後が、その工場で仕事を始めることなった日だったのである。

そして、これまた皮肉なことに、1時間の残業をして退勤する時は、その時に乗った列車がちょうど出口から目の前の駅に停車していたため、ほぼ毎日のようにあの日のことを思い出した。

「何でこんなことになったんだあぁぁ!!」

・タイミングが悪かった

仲間に恵まれた前年から、一転して心細い日々を送っていたが、働き出して2週間が過ぎた頃、同じ派遣会社から増員があった。

その人物はヤマモト(仮名)という50代の男性で、前年の繁忙期も派遣されており、私よりもこの職場に詳しかった。

私たちは作業中に顔を合わせることがないため、休憩中のみしか交流はなかったが、それでも、お互いの生活やこれまでの仕事の話をすることで、初めてこの職場に味方ができた気がした。

彼のおかげで、多少の不安は和らいだが、その頃から別の問題が生じた。

この記事で触れた通り、当時の私は3年目にしてようやく英語の学習を前進させることができたため、なるべく多くの時間を確保したかった。

しかし、その職場は毎日のように1時間の残業があり、年明けからは年末年始の長期休暇の埋め合わせとして、ほぼ毎週のように週6日勤務になった。

幸い、英語のコツを掴んだのは年末休暇の前だったため、休暇期間中だけでも学習時間に充てることができたが、少しでも遅かったら、完全に時間を無駄にするところだった。

ちなみに、この仕事の時給は880円である。

今思うと激安だが、それまでは700円台が当たり前だった私にとっては恵まれた金額だった。

それに加え、ほぼ毎日残業があったため、給料はそれなりの金額になった。

だが、その時の私が欲しかったのはお金よりも時間の方だった。

今は英語の勉強に少しでも時間を費やしたいのに、何でこのタイミングで残業や週6日勤務の仕事に就いてしまったんだろう…

これまでは自分の担当の仕事が決まっておらず、小遣い稼ぎのために自発的に残業する場合は別として、時間になったら残りの仕事は社員に任せて帰ることができたため、その時のことが懐かしく思えた。

また、以前は色々な人と関わることで、人の温かさを感じることも多かった(特に年末)ことも、今の仕事への寂しさに思えた。

・退職後は天国だった

そんな不満を抱えた日々を送っていたが、この仕事は翌年の3月で契約が満了することになった。

これは自発的に契約の更新を拒んだわけではなく、最初から繁忙期のみの募集で期限が定められていたからである。

終了の2週間ほど前から、私の担当する仕事は減少傾向にあったため、他所の仕事も手伝うようになったが、その仕事はあくまでも手伝い(しかも座り仕事)だったので、気楽に働くことができた。

勤務最終日の退社1時間前、私はこれまでにお世話になった人への挨拶をすることにした。

人数が多いため、さすがに全員とはいかなかったが、工場長、副工場長、事務員の女性(過去にこの記事で登場)、手伝いの仕事を教えてくれた社員、派遣社員仲間のヤマモト、そして、同じ検査業務を行っていた社員である。

こうして、初めてだらけな上に完全アウェー状態だった工場の勤務を無事に終えることができた。

勤務が終了し、家に到着した時の爽快感は今でも忘れない。

前年も3月末で退職したが、あの時は職場を通して成長できたことや、親しかった仲間との別れ、新しい生活へ向けた旅立ちなど、複雑な思いも入り混じっていた

しかし、今回はただただうれしくて、翌日からの生活が楽しみでしょうがなかった。

次の仕事に就いたのがゴールデンウィーク明けだったため、無職期間はおよそ1ヶ月半だったが、その間は今でも忘れることができないほど「人生のオアシス」だった。

春の温かい気温の中、毎日数時間英語を勉強したり、少し離れたハローワークへ行くついでに毎回大型のショッピングモールへ立ち寄ったり、毎日、犬の散歩へ出かけたりと充実した日々を送っていた。

退職後に保険や年金の切り替えのために市役所を訪れるだけでも、無性にウキウキしていた。

今まではそんなこと何とも思わなかったが、工場で働いていた時は平日に休めなかったため、労働から解放されたことを実感できた。

・振り返ると、そこまで嫌な職場ではなかった

このように当時の心境や勤務環境を列挙すると、決して楽しい日々とは言えなかったが、今では工場の仕事が懐かしくなり、「そこまで嫌な職場ではなかった」と思えるようになってきた。

スキルや経験を問われることない上に、半年近いブランクがあっても即日採用され、分からないことを聞いても「聞く前に自分で調べろ!!」と怒鳴られることもなく、通院や確定申告の時は休みを貰えたから。

ちなみに、この職場は大企業ではないが、社員は新卒採用のみで、勤続年数に応じて昇給や出世があったり、毎月誕生会やレクリエーションをやったり、新年は社員全員で神社に出向いて安全祈願をする典型的な日本型企業であった。

ちょうどその年は、私の中にそのような会社への敵意が芽生えたことで、彼らに対して完全に心を閉ざしていたため、嫌な記憶のみが残っていたが、振り返ってみると、そこまで悪い職場ではなかったのかもしれない。

私があの職場で働いてからおよそ7年が経過する。

その職場は小売や飲食店ではないため、退職後に訪れたことは一度もない。(制服の返却先も派遣会社だった)

たまに犬の散歩で工場の前を通ったり、電車に乗っている時に、社員がたばこ休憩に出ている姿を目撃したが、もちろん、そこで話をすることはなかった。

あの時、一緒に働いた人は、今どうしているのだろうか?

そんなことが少し気になる。

と、最近は工場で働いていた時のことが懐かしくなってきているが、これは私が20代前半の時の話である。

体がすっかり座り仕事に慣れ、事務職の快適さを知った今、同じ仕事をやろうと思っても、気力も体力も付いていくのかは疑問であり、今後私が同じような工場で派遣の仕事をすることは多分ないだろう。

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