「他人の幸福を妬んで足を引っ張る人間になるな!」と説教している人に感じること

前回の記事では、私の友人である韓国人男性の婚活についての話をした。

大まかな流れとしては、彼が同僚との恋を諦めてから、紆余曲折経て新しい恋人と付き合うというものだった。

その中でも、一番の見どころ(?)はマッチングアプリで知り合った日本人女性に舞い上がって、完全に結婚を前提に付き合うつもりだった彼と、「アプリの女なんか絶対に信用したらダメだ!!」と繰り返し説く私の攻防だった。

・本音は心配ではなく嫉妬?

彼は旅行中に彼女と会い、告白することまでは成功。

「まずは友達から」という彼女の言葉を信じたが、帰国してすぐに彼女と音信不通。

残念なことに、私の予感が当たってしまった。

しかし、自分が書いた記事に目を通しているとこんなことを思った。

「もしかして私は、彼が失敗することを望んでいるのでは…」

彼は自分が上手くいっていると信じて疑わない。

私はその度に油断しないよう彼に釘を刺した。

この言動は過去の自身の経験や読者からの連絡により、「アプリの女がいかに軽薄で自己中心的な人間なのかを知っており、彼にはその被害に遭ってほしくないと思っている」からであることは間違いない。

だが、彼の身を案じつつ、

「自分が上手くいかなかった世界で、幸せを掴めると信じて疑わない彼の発言が鬱陶しくて仕方ないと感じることはなかったのか?」

「彼がフラれたと知って安堵することはなかったのか?」

と問われたら、「絶対にそんなことはない!!」と胸を張って言える保証はない。

自分がとんでもなく嫌な奴みたいだけど…

・自分が損をしてでも他人の幸福を阻止する

「不公平嫌悪(inequity aversion)」という概念がある。

これは自分と他人との間に不公平(報酬や利益の差)があることを嫌う傾向で、自分が損をする不公平だけでなく、「他人が自分より多く得をする」ことも嫌悪する。

こうした感情により、時には自分の利益を犠牲にしてでも他人の利益を減らそうとする行動さえ見せることもある。

これを「意地悪行動(spiteful behaviorまたは spite effect)」と呼ぶ。

たとえば、Aさんが500円を手にした場合、Bさんは1,000円を得ることが出来るとする。

もしAさんが500円の受け取りを拒否したら、Bさんは1,000円を得ることが出来ない。

Aさんが自身の損得を考えると、Bさんへ自分の倍の金額が渡ったとしても、500円を手に入れる方が得であることは明らかである。

しかし、Aさんは、他人が自分よりも得をする不公平感を嫌って、損得勘定を度外視してでも、500円を放棄するという選択をすることもあるという。

この行動がはっきりと表れる例として、「最後通牒ゲーム(Ultimatum Game)」という実験がある。

マッチングアプリで出会った女との婚活が上手くいくと信じている彼に対する私の感情はこれに近いのではないか?

彼の恋愛が上手く進んだとしても、私が損をすることはなく、彼に警戒するべき理由を(時には作り話も交えて)伝えることは大変な労力を伴うが、そこまでしてでも、彼のアプリ婚活に釘を刺したくなる。

Yahoo!ニュースやYouTubeで「大企業や公務員に高額のボーナスが支給される一方で、中小企業との格差がより顕著になった」とか、「子育て支援の充実の裏で、取り残される独身貧困者」いう話題が出ると、必ずと言っていい程コメント欄に

「誰かがお金をもらえることを邪魔しても、自分がそのお金を得られるわけじゃない!!」

「恵まれている人を妬むのではなく、自分が向上する努力をしろ!!」

「もっと寛容な人間になれ!!」

という書き込みが多く見られる。

また、真意の程は不明だが、「努力しない底辺が、弱者の救済に最も反対する(=田舎のムラ社会にありがちな底辺の足の引っ張り合い)」という説が異常なほど高評価へ得ていることも珍しくない。

このように、他人の幸福を受け入れられない人は非常にカッコ悪く、哀れみや嘲笑の対象となることは間違いない。

韓国人の彼がマッチングアプリで婚活に成功しないことを心の奥底で期待している私は、彼ら友愛戦士にとって、まさしく軽蔑の対象なのだろう。

・本当に他人の幸福が憎くてしょうがない人たち

私自身が器の小さい人間であることは否定しない。

だが、そんな私ですら、「あんたどんだけ人の幸福が憎いんだ!?」と言いたくなるほど呆れる人間がいる。

とある大企業であるA社が、それまで正社員に限定していた定期ボーナス、住宅補助、特別有給などの支給対象を派遣社員も含む、非正規労働者へも広げたり、同一労働同一賃金制度を導入して、正規・非正規の格差解消を目指すという話がYahoo!ニュースやYouTubeで報じられたとする。

すると、コメント欄には「正社員は非正規と違って責任が重いから、待遇が違っても差別なんかじゃない!!」と大反対する者たちがイナゴのように大量に群がってくる。

A社の正社員は利害当事者だから「自分たちの取り分が減ってしまう!!」という動機で反対するのは仕方ないかもしれない。

それはそれで「『自分は会社に貢献している』という自負があるなら、正々堂々と勝負して、正当な報酬を要求すれば?」と言いたくなるが、ここでは一旦置いておく。

だが、そのような関係者でない人にとっては、他社の非正規労働者の待遇が改善されたところで、自分が損することは一切ない。

にもかかわらず、

「正社員の特権を非正規にも与えたら、正規は怠けて働かなくなるから生産性が落ちる!!」

「正社員はやる気がなくなって、誰も正社員で働こうと思わなくなる!!」

という意味不明な憶測による感情論や屁理屈を振りかざして、大反対するのである。

モチベーションが理由なら、ボーナスが出ることでやる気が出る非正規もいれば、ぬるま湯から目が覚めて必死に働く正社員だって現れるだろうに。

こういう人間こそが、まさしく友愛戦士たちが普段から嘲笑っている「心が狭くて他人の幸福を喜べない醜い人間」なのである。

また、彼らのお気に入りである「弱者救済に最も反対するのは努力しない底辺の妬み」説を適用すると、同じ非正規でありながら自分たちが報われない立場に取り残される屈辱に苛まれる非正規労働者が、こうした非正規労働者の待遇改善に何が何でも抵抗して、恵まれた地位の正社員の大半は広い心で歓迎しているということになる。

というわけで、普段から涼しい顔で「他人の幸せを受け入れられる人間になれ!」と説教している友愛戦士たちには、ぜひともこのような底辺の僻みをまき散らしている人間たちに対して「僻み根性は止めろ!!」と一喝して頂きたい。

そして、「他人の幸福を妬むのではなく、自分が幸福になる努力をしなさい!!」と正しい道を歩むように説教して頂きたい。

これこそ、彼らが普段から主張していることであり、唯一と言っていい程の存在意義なのだから。

理屈の上ではこうなるのだが、この手の話題になると友愛戦士たちが、普段は罵倒している人たちと全く同じ、浅ましい言動で他人の不幸を祈っているのである。

「他人の幸福は素直に受け入れろ!」なんて言葉は、心が広いからでも、優しいからでもなく、無関心による他人事だから言えることなのであろう。

普段は紳士的に振舞って、他人のどす黒い感情に批判的な目を向けている人間でも、自分が渦中に入れば、化けの皮が剥がれて、他人を蹴落としてでも自分の地位や財布、心の安定を保とうとする醜い獣へと成り果てるのだなと実感する。

悲しい話だけど…

スポンサーリンク