
決して、シリーズ企画を行っていたわけではないが、今回も前回の記事と同様に「愛されたい人たち」をテーマにした記事をお送りする。
・見返りを求めたら愛ではない?

近年、恋愛や結婚を巡る議論でよく見聞きするフレーズがある。
それは「見返りを求めるものは愛じゃない」という「愛無償論」である。
SNSでは特にこの言葉が広まりやすく、「純粋さ」や「美しさ」を象徴する格言のように扱われている。
この言葉を根拠に「見返りを求める=ダサい」、「見返りを期待する時点で愛じゃない」といった空気を作り出している。
この言葉には、次のような前提が含まれていると考えられる。
-
無条件に与えることこそ愛であるという理想化
-
見返りを求める行為は打算的で、恋愛を損なうという価値観
-
恋人に期待すること自体が「依存」や「執着」として語られる傾向
-
恋愛で不遇な結果になっても「期待したあなたが悪い」と処理する風潮
こうして並べてみると、理念としては理解できる部分もあるのだが、私はこの理屈が人類のDNAに刻まれている価値観であるとは思わない。
そもそも、彼らは骨の髄まで拝金主義の精神が染み込んでいるからか、「見返り=お金やサービスのような取引」と考えているようだが、見返りには「安心」、「尊重」、「一緒に居て心地良いこと」、「裏切られないこと」、「感謝されること」という心理的なリターンも含まれる。
これらの精神的な見返りを全く求めないというのは人間の心理としてほぼ不可能である。
むしろ、「全く見返りを求めない人」は、自己犠牲癖や依存の問題を抱えていることすらある。
さらに、「見返りを求めるな」と言う人ほど、見返りを求めているというパラドクスが存在する。
冷静に考えると、「無償で尽くさない人は本当の愛じゃない」と主張する人こそ、相手に無償の奉仕を求めている。
これだって「無償の愛」を口実にした見返りの要求ではないのか?
本当に安定した関係は「あなたが喜ぶと私も嬉しい」、「あなたが大事にしてくれるから、私も大事にできる」という双方向の循環で成り立つと思う。
これは取引関係とは違い、もっとゆるやかで自然な相互性と言える。
「心理的な満足や安心まで求めるな!」という主張は現実の人間性を無視している。
・現代の「無償の愛」はなぜか男性にしか適用されない

「愛に見返りを求めるな」という言葉は、一見すると説得力があるように思えるが、この考えがいかに胡散臭いかは十分に述べたつもりである。
だが、私が最も眉を顰める(ぶっちゃけると「大嫌い」)理由は他にある。
それは、この言葉がほぼ例外なく男性の側だけに向けられている点である。
男性が恋愛で悩んだとき、ネットではしばしば次のような反応が返ってくる。
「見返りを求める時点で愛じゃない!!」
「本当に愛しているなら見返りを期待するな!!」
「尽くして報われないのは当然、期待する方が間違い!!」
「そんな考えだから、お前は非モテの弱者男性なんだ!!」
しかし、これと全く同じ言葉を女性に対して使う例は驚くほど少ない。
まるで「見返りを求めてはいけない性別」が暗黙のうちに決まっているかのようだ。
夫や彼氏が家事を全くせずに、手伝いをしても「ありがとう」の一言もなく、浮気まですることに深く傷ついている女性を想像してみよう。
彼女が「私はこんなに彼のために尽くしているのに、どうして彼は私を愛してくれないの!?」と嘆いたとする。
この女性に対して、「愛しているなら、浮気されても、家事を押し付けられても、見返りを求めずに愛し続けろ!!」と言ったらどうなるだろうか?
発言者は間違いなく袋叩きに遭う。
「女性へのモラハラ擁護だ!!」
「DVを正当化している!!」
「前近代的な家父長制の押し付けだ!!」
「女を奴隷のように扱う九州男児だ!!」
と罵詈雑言の批判が殺到することは非を見るより明らかだ。
つまり、この言葉は「絶対に女性へ向けられない言葉」なのである。
にもかかわらず、この発言に激怒するような人たちが、なぜか男性に対しては、平気で同じモラハラ発言を吐いて、被害男性を非難するのだ。
紳士面して、「僕は女性や弱者の味方です!!」なんて言っている連中が、「自分はこんな悪者たちとは違う!!」と信じて疑わない差別主義者と全く同じ薄汚い本性を隠せずにいるのは、お〇んぽ騎士団(チン騎士)の典型的な醜態と言えよう。
つまり「愛は無償であるべき」という言葉は、決して純愛思想ではなく、自己中心的な拝金主義者や差別主義者たちが都合よく使っているだけなのだ。
・ネットde真実の愛に目覚めた者たち

男性にだけ無償の愛を求める考えが、いかに醜いものであるかはお分かりいただけたかもしれないが、こうした偏狭で差別的な考えは、必ずしも人類普遍の現象ではなく、日本の伝統的な文化というわけでもない。
むしろ、2010年代後半〜2020年代にかけてネット文化の中で急速に強まった潮流と言える。
2000年代前半までも「愛は無償」という観念は存在したが、男女差は比較的薄かった。
ドラマや少女漫画では「男性が女性へ一途に尽くす像」はあったものの、フィクションの世界の美談であり、リアル世界で道徳として強要されるほどではなかった。
SNSもなかったので、「自分の彼氏や夫もこんな人だったらなあ…」という願望があったとしても、思想が急速に広まることもなかったのだろう。
ところが、2000年代後半から2010年代前半にかけて、草食化言説の登場で、男性の恋愛に関する自己主張が弱まる一方で、男性に「積極性・リード・我慢・包容力」が強く求められ、男性側が要求や不満を言いづらい雰囲気が形成された。
この頃から、相談系掲示板で、男性の恋愛感情や失望を語ると「男性側の感情は甘え」、「器が小さい」と叩かれる現象がネットコミュニティで可視化され始める。
ただし、この時点ではまだ「潮流」というほど強くはなかった。
2010年代後半〜2020年代にこの潮流が一気に進む。
X(Twitter)、インスタ、YouTubeなどのSNSの普及で「情報の偏り・過剰一般化」が加速して、恋愛コンサル、恋愛インフルエンサー、エモ系恋愛ポエムアカウントが爆発的に増加して、「献身美徳」を量産して、高度経済成長期の環境汚染並みに金儲けのため無責任に垂れ流す。
こうしたアカウントは、主に女性フォロワー向けであり、「愛するなら見返りを求めない男性が理想」、「本物の男は無償で尽くす」という自堕落な女に媚びる言説を大量に拡散した。
SNSは基本的に情報弱者(「バカ」と読む)向けの商売で成り立っているので、「美女アカウント」だけでなく、このような女に媚びへつらう「自称モテ男(チン騎士)」の投稿が拡散されやすい特性がある。
そのため、
という超人的なスペックが求められる風潮が強まり、男性が「報われない」とか、不満を言うと「器の小さい男」と切り捨てられやすくなった。
第二次安倍政権で「女性活躍」というフレーズが出された際に、「女性に、仕事も家事も育児も完璧にこなすことを求めるな!!」という批判的な声が続出したが、SNSで拡散されているモテ男像もそれと同等の批判を向けられるべきである。
男性限定の「愛とは無償」とは、そうした中で拡散された恣意的な価値観であり、この言葉を無条件に信じている者はまさに「ネットde真実の愛」に目覚めた(溺れた)と言えるだろう。
こうして、2020年代は「男性の不満を言うと叩かれる」、「見返りを求めるな」現象が定着してしまった。
・「愛は無償説」として教科書に載せたいシーン

今でこそ、「女性に向けて『愛に見返りを求めるな』と吐き捨てるなど言語道断」という世の雰囲気だが、かつてはそのようなタブーは存在せず、地上波で堂々と切り込んだドラマも存在した。
2002年にTBSの昼ドラとして放送された「温泉へ行こう3」という番組が放送された。
その34話に次のようなシーンがあった。
夫と仲が良い高齢の宿泊客・飯野ヨネ(演・花原照子)が、亡くなった大女将(演・藤村志保)の仏壇に線香をあげた際に、彼女の娘で現女将の薫(演・加藤貴子)に「(大)女将には、何度手を合わせても足りないくらいの恩がある」と言った。
彼女は夫の希望で仕事を辞めて、専業主婦になったが、子どもの手が離れた頃、「私の人生なんだったんだろう」と悩み、死さえも考えるようになる。
「主人が浮気をした」と聞いたら、皆こう言って同情した。
「可哀そうね。ひどい旦那ね」
自身も「私を裏切ってひどい」と夫を恨んだ。
しかし、大女将だけはそんな彼女を一喝する。
「旦那さんを大切にしていたか、粗末に扱わなかったか、胸に当てて考えろ!!」
「愛しているのか、もう一度(いっぺん)考えろ!!」
「旦那が大切なら、怒ることより、愛されないことを嘆くよりも、自分から先に愛することを始めろ!!」
「相手がどうこうじゃない、自分が『どうしたいか』だ!!」
彼女は言葉で自身の甘さを痛感。
それ以降、彼女は自分から夫を愛することを始め、今では周囲から羨ましがられるオシドリ夫婦となり、自身を変えてくれた大女将を恩人だと考える。
娘の薫もその言葉に感動して、「私、お母さんに敵いそうにないや」と言って、良い話風にまとまる。
今から20年以上前のドラマとはいえ、今の感覚からすると「それ言っても大丈夫なん?」と言いたくなる程かなり強烈だ。
放送時間は平日の13:00~13:30だったため、専業主婦や休憩中の女性パート労働者が主な視聴者だったと思われる。
そんな視聴者層へ向けて、このような言葉を発するのだから、何とも恐れ入る。
現在で同じシーンを放送すれば、似非フェミニストを中心にSNSで即炎上、テレビ局も「DV・モラハラの容認だ!!」、「家事・感情労働を女性に押し付けるな!!」等と批判の嵐になるだろう。
だが、よくよく考えてみてほしい。
この大女将の発言こそ、愛無償説の根源的な価値観ではないのか?
つまり、ネットで無責任に垂れ流されている「愛に見返りを求めるな!!」という主張を全面支持して、拡大再生産している連中は、このシーンに対して「私の想いをよく言葉にしてくれた」と絶賛するのが筋である。
それが出来ないのなら、今後は一切、「見返りを求めるものは愛じゃない」などという言葉を使う資格はない。
その資格があるのは、自分自身がその言葉通りに生きる覚悟を持っている人間だけである。
至って当たり前の話であるが、ネットde真実の愛を知った者たちは、金切声を上げて、「自分たちの愛こそが真実で、それはオールドメディアが国民を洗脳するための偏向番組だ!!」と大真面目に主張しそうだけど…(笑)









