
今回も前回の記事と同様にプロ野球のシーズンオフの話題から入りたい。
シーズンが終わり、各チームで首脳陣の入れ替えが行われる季節になると、選手の移籍と同じく、スポーツニュースやネットのコメント欄で監督・コーチの進退に関する話題が上がる。
ファンから惜しまれて退団する人がいる一方で、残念ながら退任を歓迎される人もいる。
・選手を自分の型にはめる指導者

結果を残せなかった首脳陣への評価はおおむね厳しいが、特にファンの批判の矛先が強く向けられるのが「選手を自分の型にはめる指導をして、意に沿わない選手を干す」タイプの監督やコーチである。
このタイプの指導者は、現実や選手の適正を無視して、「自分の理想とするプレースタイル」や「チームの形」を強制して、従わない選手を容赦なく排除する傾向がある。
例えば、長打力が魅力の打者に対して、
「(右打者の場合)右方向へ転がせ!!」
「コンパクトに振れ!!」
と選手が得意としない方向へ導き、個人もチームも成績を悪化させるにもかかわらず、自らの指導を反省するわけでもなく、結果を残せない選手をスタメンから外す、といった具合である。
本人に悪意はなく、むしろ「チームのため」、「選手のため」と信じて疑わない。
結果的に選手の個性を奪い、チーム全体の可能性を狭めてしまうことも少なくない。
改めて文字に起こすと「いかにも嫌な指導者だな~」と感じる。
だが、忘れてはいけないことは、程度の差こそあれ、私たちも皆、何らかの主観や個人的な信念によるフィルターから逃れることは出来ず、100%他人の意思を尊重することは出来ないということ。
「自分には関係ないから、どうなろうと知らん!」という放置や突き放しは別として。
自分ではどんなに「相手を尊重している」と思っていても、そこには必ず「自分が理想とする相手像」が影のように付きまとう。
また、こうした「型にはめる指導」は、プロ野球の世界に限ったことでもない。
会社や学校、家庭など、人が集団を形成するあらゆる場で見られる。
彼らは自分が信じるやり方を「正義」、「王道」として掲げ、それに従わない者を「間違っている」、「努力が足りない」と断じる。
そして、往々にして、自分の主張を「相手のため」と言い換える。
その実態は、相手の幸福よりも、自分の価値観や心の拠り所を守るための防衛反応に近い。
私自身、身近な世界でそのような「型にはめる人々」に何度も遭遇してきた。
・頑なに正社員しか認めたくない理由

私はこれまで派遣社員として働く期間が長かった。
もちろん、派遣という雇用形態には短所もある。
昇給や賞与の機会が乏しく、自分に落ち度がなくても、会社都合で契約が打ち切られることも珍しくない。
それでも私は、パートや契約社員より時給が高く、仕事内容が事前に明示されていて、合わない職場であれば契約を延長せずに退職できるという柔軟さに魅力を感じていた。
煩わしい人間関係ともある程度距離を保てる点も、私にとっては大きな利点だった。
フルタイムで働けば、社会保険に加入出来て、怪我や病気で働けない時は傷病手当の対象となり、厚生年金や雇用保険も適用されるなど、正社員と比べて特段社会保険が乏しいとも感じない。
そして、前回の記事で詳しく解説したように、3ヶ月毎の契約更新のタイミングで更新を盾に現状の不満の改善を訴えたり、時給の交渉も出来る。
つまり、私は「派遣社員」という立場は「他のどの雇用形態よりマシ」という消去法ではあるが、自分の生き方に合った働き方として、自らの意思で積極的に選んでいたのである。
これは紛れもなく本心である。
ところが、その考えを全く理解せず、事あるごとに「早く正社員になれ!」と説教をする人たちがいる。
彼らの主張は毎回同じ。(それこそ「すべて型に当てはまる」と言えるくらい)
正社員は…
「勤続年数に応じて給料が上がり、ボーナスや退職金が出る」
「怪我や病気で働けない時でも手厚く守られる」
派遣社員は…
「社会保障に守られていないから将来が悲惨だ」
「30歳を過ぎたら誰も雇ってくれない」
と、まるで呪文のように繰り返す。
「派遣にも社会保険はあるし、厚生年金や傷病手当金も正社員と同等の権利が保障されている」という事実は彼らの頭には一切入らない。
挙げ句の果てには、
「あなたは将来を真剣に考えていないから、『派遣でも良い』なんて言っていられるんだ!!」
「これはあなたのためを思って言っているのよ!!」
と言い出す始末である。
彼らは「正社員として働くことはバラ色の未来が、派遣社員は悲惨な老後が待っている」という願望を事実のように語り、派遣の働き方を擁護する人には「派遣会社や小泉・竹中等の新自由主義者の手先、日本の良さを破壊する外国勢力のスパイだ!!」と幼稚な陰謀論を展開、失業や貧困で苦しんでいる中高年を見ると「それ見たことか!!」と他人の不幸をせせら笑う底意地の悪さを隠しきれないなど、人としても終わっている。
その姿は、まさに前段で触れた「選手を型にはめる監督・コーチ」と全く同じではないか?
彼らも「あなたの将来を思って…」などと言いながら、「正社員はどんな無能であっても、会社から見捨てられず、(働きぶりに似合わない)定期昇給や莫大なボーナスや退職金が支払われる」という自分の世界観を壊されたくないのだ。
だから、その型の外にいる人が平然と幸せに生きていると、心のどこかがざわつくのだろう。
彼らは自分が信じている宗教的価値観が根本から揺らぐのが怖い。
宗派に背く不逞の輩を見かけると、「あなたのためだから!」と自分にも他人にも言い聞かせながら、あらゆるウソと屁理屈を動員して、相手を否定しながら、自分が信じる「正しさ」を強制しようとする。
彼らの言動は「善意による忠告」ではなく、「自分の世界観を守るための自己防衛」である。
・無能コーチを嘲笑っている場合か?

「この社会で働く者は、学生、主婦、本業を引退した高齢者を除くと、1%の変り者以外は全員が正社員じゃなきゃダメだ!!」という人間は、自分の型に選手を当てはめる指導しかしない無能な監督・コーチと同様に性質が悪いことはお分かりいただけたと思う。
しかし、私が彼らの存在以上に恐ろしいと考えていることがある。
それは彼らのような人間を、先の無能監督・コーチと同様に「他人の人生を無理やり自分の型に当てはめようとするな!!」と批判する声がほとんど(というか「全然」)聞かれないことである。
おそらく、型にはめようとする人が責められないのは、彼らほど積極的(そして、下品)でなくとも、同じ価値観を有しているため、「正社員になれ」と言う行為が「型の押し付け」であることに気づかないのだろう。
むしろ、それを「親切」、「常識」、「非行からの更生」として称賛する空気さえある。
この構造こそが恐ろしい。
あんな過激思想による迷惑行為を繰り返す人間を放置されると、私個人としても不愉快な思いにさせられるし、「正社員じゃないから、怪我や病気、妊娠、出産で働けなくなった時の保障がない!」というデマを繰り返すことは、社会的にも害悪である。
私は、ブログでこそ彼らの悪行を何度も取り上げているが、周囲の人間からそんなことを言われた時はいちいち反論するのをやめた。
代わりに、彼らとの距離を取るようにした。
連中は理屈ではなく、宗教に基づく信念で動くため、言葉で説得を試みても無駄である。
人間は誰しも、自分が信じていたり、他人にこうあって欲しいか願う「型」を持っている。
それ自体は悪いことではない。
問題は、その型を他人にも強要し、従わない者を「間違っている」とみなすことにある。
監督が選手を型にはめるのも、上司が部下に自分のやり方を押し付けるのも、親が子どもに理想の人生を託すのも、すべて根は同じだ。
選手を型にはめるプロ野球の監督やコーチが結果を残せずにチームを去る時は、多くの人、特にそのチームのファンから喝さいを浴びる。
だが、私はそんな姿を見る度に、「彼らのことを無能、パワハラ、老害、自己愛性主義者と嘲笑っている場合か?」と毎回のように感じている。









