休日の朝寝坊は本当に悪なのか?

私は平日、週5日勤務の仕事をしており、仕事がある日は毎朝6時半に起床している。

世間的に見れば特別早い時間に起きているわけではないが、アラームに急かされながら布団を出る生活を続けている。

正直なところ、目を覚ますたびに同じ感想が頭をよぎる。

「あと1時間でも寝ていられたらなあ……」

この感覚は一時的なものではなく、ほぼ毎日だ。

アラームを止めながら、半ば反射的にそう感じてしまう。

前日に残業をしているわけでも、夜更かしをしているわけでもない。

睡眠時間はそれなりに確保しているはずなのに、身体は常にもう少しの休息を求めているように感じる。

特にこの時期は寒さもあり、一段と布団から出るのがしんどい。

・せっかくの休みを無駄に過ごしてしまった…

その反動なのか、休日になると起床時間は一気に遅くなる。

前日の夜に平日の朝は毎日セットしているアラームを解除する瞬間は「明日は早起きしなくていい」と実感して、とてつもなくホッとする。

翌朝、目が覚めるのは9時や10時近くなることも珍しくない。

自然に目が覚めるまで眠っているだけなのだが、時計を見ると少しだけ後悔や罪悪感が湧く。

そんな日は、起きてもダラダラモードが抜けず、朝食時に観る動画をYouTubeで漁っていると、どんどん時間が過ぎて、気付いたら、朝食を取るまでに1時間近く経過していることが少なくない。

もはや朝食なのか、昼食なのか分からない。

そうしたダラケは電車の遅延のように後ろへ後ろへと伝染して、結局動画を観たり、ネットサーフィンをするだけで気付けばもう夕方になる

土曜日であれば翌日も休みがあるため、「まあいいか」と受け流せる。

しかし問題は日曜日である。

日曜の夕方になると、

「今日で休みは終わりなのに何も出来なかった!!

「もっと早く起きていれば、充実した一日を過ごせたかもしれないのに

という後悔が一気に押し寄せてくる。

まるで、自らサザエさん症候群を引き起こしているようなものだ。

この感覚に覚えがある人は、決して少なくないだろう。

これは「休みの日の時間浪費後悔」とでも呼ぶべき状態だ。

私自身も、度々この後悔に何度も悩まされてきた。

休日に朝寝坊をするたびに、「貴重な休みを無駄にした」と自分を責めていた。

しかし最近は別の考えが浮かぶようになった。

「休みの日に遅くまで起きないことは、本当に悪いことなのだろうか?」

・もし休日も早起きを続けたら

仕事の日に毎朝「もっと遅くまで寝られたら」と感じるのは、単なる怠け心ではなく、身体や心が発している悲鳴なのではないか。

つまり、本来必要な睡眠時間が足りていない可能性がある。

平日は社会のリズムに合わせて無理やり起きているだけで、休日に自然に目が覚める時間こそが、自分にとって適正な睡眠量を示しているのかもしれない。

もしそうだとすれば、休日に9時や10時まで眠ることは、単なる寝坊ではない。

平日に削られている睡眠時間を、休日にまとめて補充しているだけとも言える。

もし休日まで平日と同じように早起きを続けていたら、慢性的な睡眠不足が解消されないまま働き続けることになり、いずれ身体や心を壊してしまう危険すらある。

これまで私は平日の朝、毎日のように「もっと寝られたら」と感じていることを軽く考えすぎていたのかもしれない。

本当は、今の生活リズムでは睡眠が足りていないのではないか?

もちろん、いわゆる「寝だめ」は万能ではなく、平日の睡眠不足を完全に解消できるわけではないだろう。

それでも、何もせずに無理を重ねるよりは、身体を休ませる時間として一定の意味はあるはずだ。

それにもかかわらず、「休日も平日と同じように早起きをしなければならない」と考え、無理に活動し続けた結果、慢性的な睡眠不足に陥り、心身のバランスを崩してしまっては本末転倒である。

休みの日まで自分を追い立てる生活が、本当に健全なのかは疑問が残る。

また、「早起きさえすれば良い休日を過ごせる」という発想、かなり都合の良い思い込みではないだろうか?

実際には、特にやることもないのに「せっかく早く起きたから」と意味もなく外出し、必要のない買い物をしてお金を無駄にしたり、結局は街をブラブラ歩いただけで疲れて帰ってくる、というケースも少なくない。

それどころか、休日なのに早起きしたけど、眠くなったから「適当な動画を流して少し眠るか…」と仮眠を取るつもりが、気付いたら何時間も寝てしまうこともあり、これでは朝遅くまで目覚めないことと大差がない日だってある。

起床時間が早いか遅いかと、休日の満足度が必ずしも比例するわけではない。

にもかかわらず、「早起き=充実、朝寝坊=失敗」という図式が、いつの間にか自分の中に刷り込まれている。

その結果、起きた時間そのものではなく、起きた後に強い後悔を抱くことになる。

・ゆっくり休むだけでも意味がある

本当に問題なのは、休日に何時に起きたかではない。

起きたで、「こうあるべき休日」と現実の自分を比べ、勝手に失点を付けてしまう思考のだろう。

十分に眠って少しでも回復できたのであれば、それはそれで意味のある休日である

休日の朝寝坊は、必ずしも悪ではない。

むしろ、それを必要としている状態である可能性すらある。

大切なのは、社会的に理想とされる休日像ではなく、自分の身体と心が何を求めているのかを基準に休み方を考えることなのではないだろうか?

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