
私は2年前から、年末年始に帰省するようになり、今年も帰省することになっている。
上京してからしばらくの間は、お盆も正月も帰省せずに過ごしていたが、ここ数年はすっかりこの習慣が定着した。
ただ、帰省を迎える前にある疑問が頭をよぎった。
年末年始に帰省する人は少なくないが、その行為は本当に合理的なのだろうか?
・多くの人にとって当たり前の習慣となっているが…

冷静に考えてみると、年末年始の帰省にはリスクや負担が非常に多い。
まず、交通機関の混雑は避けられない。
長距離移動の疲労に加え、人混みによるストレスも大きい。
気温が低い時期に、多くの人と密集した環境で移動する以上、風邪や感染症のリスクも高まる。
さらに、北国や日本海側の地域の場合、雪で交通網が麻痺する可能性も高い。
その上、数日から1週間ほど自宅を空けることによる防犯面の不安や、郵便物・宅配物への対応など細かな心配事も増える。
実家に帰れば帰ったで、親族へのお年玉や、自宅では当たり前存在しているものが置いていない場合の購入費用といった出費も発生する。
費用面を見ても、年末年始は航空券や新幹線、宿泊費が高騰しやすく、通常期に比べて明らかに割高だ。
快適に移動したい場合は、荷物を別送する必要があり、その費用も決して安くはない。
これだけのコストとリスクを背負ってまで移動する合理性があるのかと問われれば、正直なところ首をかしげざるを得ない。
「この時期しかまとまった休暇が取れない」、「地元の親族と全員顔を合わせる機会があるのはこの時期しかない」という人も少なくないかもしれないが、この時期に帰省するという習慣は理にかなっているのだろうか?
帰省についての疑問は、個人の問題だけにとどまらない。
多くの企業が年末年始に長期休暇を設けているが、会社全体が一斉に止まることで生じるデメリットも少なくない。
休暇前後に納期・締切・問い合わせなどの業務が過密になり、現場は調整に追われる。
取引先とのスケジュールも歪み、生産性が落ちるケースもあるだろう。
また、以前の私がそうだったように帰省しない人や、特に年末年始を重要視していない人にとっては、会社が止まること自体が「ありがたい休み」ではなく、むしろ迷惑に感じられる場合もある。
それでも、多くの企業が年末年始休暇を採用し続けている。
ちなみに、この時期が稼ぎ時だという業種もあるのだが、決して良いことばかりだとは言えない。
最も稼いでいそうな交通機関だが、彼らは年間で最もピークとなる時期に備えて施設や人員を用意しなければならず、その他の時期は設備も人員も過剰となり、無駄な維持費がかかる。
販売や配送などの業界はこの時期だけ臨時の人員を補充することも可能だが、毎年素人に一から教育する時間や労力もバカにならないし、彼らに指示を出す現場監督者はただでさえ業務に追われるというのに、過労や急な体調不良でダウンしたら、現場はたちまち大混乱になる。
幸い、私が地元で販売職に従事していた時はそこまでの修羅場を経験したことはないが、多忙によりその一歩手前まで行ってしまったことはある。
・それでも帰省する理由

ここまでは、費用やデメリットの面ばかりを見てきたが、年末年始の帰省によって何が得られるのだろうか?
あくまで私の場合だが、実家で過ごすのは数日程度で、親戚全員と顔を合わせるのもほんの1日ほどに過ぎない。
地元の友人との再会など、この時期にしか出来ないこともあるが、その他に特別なイベントがあるわけでもなく、毎日何か生産的なことをしているわけでもない。
はっきり言ってしまえば、費用対効果で考えると、この時期の帰省は明らかに割に合わない。
もし合理性だけを基準に判断するなら、混雑を避けられる時期に、有給休暇を使って帰省した方が、身体的にも経済的にもずっと楽だろう。
それでも私は、今年も年末年始に帰省する。
特に最近は、実家で何をしたいという希望があるわけではなく、「実家で新年を迎える」ことそのものが第一の目的になっている。
どうやら、実家で年を越すという行為に、具体的な内容以上の意味を見出しているようだ。
もしそれが叶わなければ、「誰とも繋がっていないような恐怖」や「自分が社会から切り離されてしまったのではないか」という孤独感に襲われる気がする。
これは理論や合理性よりも、感情を優先していることの表れだろう。
損得勘定だけを見れば不合理だと理解していながら、それでも感情が求める選択をしている。
だが、こうした感覚は、決して私だけのものではないはずだ。
年末年始に多くの人が一斉に帰省する光景を見れば、少なくない人が同じような不安や孤独、帰属意識への渇望を抱えていることがうかがえる。
それを明確に言語化していなくても、心のどこかで
「この時期だけは、どこかに属していたい」
「一人で年を越すのは怖い」
と感じているのではないだろうか?
この事実を見ても、年末年始の帰省という習慣は、合理性や経済性だけでは説明できないことが分かる。
昨今の日本社会では、「感情論」や「精神論」は軽視されがちで、とにかく「理論的であること」や「合理的であること」が善とされやすい。
だが、年末年始の帰省という行動を冷静に観察すると、人間は決して理論だけで動いているわけではないことがよく分かる。
人は重要な局面では理論よりも感情で動く。
年末年始の帰省は、その事実を毎年のように突きつけてくる、非常にわかりやすい例なのかもしれない。








