20代半ばで上京して生活を安定させるまでの話④(シェアハウスの暮らし編)

前回まで3回に渡り、20代半ばで上京した私が東京での生活を始めた時の話をしてきた。

今日はその最終話で、上京後に暮らしていたシェアハウスの話を紹介しようと思う。

・内見時の印象

下見の日、私は最寄り駅で管理人と待ち合わせることになった。

場所は某地下鉄○○線の××駅である。

簡単な自己紹介を終えた後は世間話をしながら物件へ向かったが、駅から徒歩5分もかからない場所だったため、すぐに到着した。

部屋の間取りについては、初回の記事で説明した通りなので、今回は省略させてもらうが、中に入った時は正直

「うわ、狭!!」

と思った。

通路は人がすれ違うのがやっとという狭さで、一番広い共有スペースであるダイニングでさえも、スーツケースを開けば足場がなくなってしまう。

一応、ロッカーや段ボール一箱の私物保管スペースが与えられたが、スーツケースのような大きな荷物は置き場所がないということで、ポリ袋に包んでベランダに置かれていた。

設備を一通り案内されて感じたのは水場があまり綺麗ではないということだった。

というよりも、台所は手狭で調理をするのは困難だと思われた。

まあ、私は普段から調理などしない人間だったので、特に不自由にはならないが…

そして、プライベートの空間は別の住人曰く「小屋」と呼ばれるほどの寝室だけである。

「本当にこんなところで暮らすことができるのだろうか…」

「やっぱり、やめようかなぁ…」

と思ったが、宿の滞在期間中に他の物件を見学するような時間も残されていなかったため、そのシェアハウスで暮らすことに決めた。

・日常生活について

入居日は管理人の案内はなく、直接住まいへ向かった。

インターホンを鳴らすと出迎えてくれたのが、この記事にも登場したカメダ(仮名)だった。

彼からカードキーを受け取り、ハウスルールの説明を受けた。

といっても、「大音量で音楽を聴くことは禁止」とか「ゴミはきちんと分別すること」というような当たり前のことだけだったが…

この家の同居人は11人である。

この人数で1つのトイレやシャワーや洗濯機を使い、2人掛けのテーブルで食事をしなければならない。

というわけで、「毎日、必ず何時に使う」と考えていると、間違いなく予定通りにいかないため、空いている時はすぐに使うようにと助言された。

「随分と窮屈な生活になりそうだなあ」

そう思ってシェアハウスの生活が始まった。

彼のアドバイスに従って、仕事を始めるまでは、他の人が仕事に出かけたであろう10時頃に起床して朝食を取り、夕食は彼らが帰宅する前である5時頃に取ることにした。

食事はこの2回だけで、外出する時以外は昼食を取らなかった。

そして、シャワーや洗濯機は彼らが留守にしている昼間に使うことにした。

仕事を始める前はほとんど家にいたため、膨大な時間はあった。

しかし、仕事も決まっていない状況で遊びに行くような心の余裕などなく、ずっと家にいた。

実家にいた時の暇な時間にやることは英語の勉強や読書が主だったが、英語の勉強は声を出せない上、書くこともできない状況だったため、文を読むことくらいしかできず退屈で、ほとんどやらなかったし、読書は東京へ来る際に本の持ち込まなかったことに加え、引っ越しの際に重荷になることを嫌いほとんど購入しなかったことから、本自体がないため不可能だった。

というわけで、空いている時間は、ひたすら自室にこもってネットサーフィンかペンパルとのメール交換しかやらなかった。

仕事を始めてからは、こちらにも事情があるため、人のことを構っている余裕はなく(特に朝の出勤前の時間帯)、食堂で片方の椅子が使われていても、もう片方が空いていれば、遠慮なく使わせてもらうことに決めた。

そう覚悟していたが、意外にも他人と被らなかった。

おそらく、定職に就いている人はほとんどいなかったためである。

しかし、困ったのは帰宅後のシャワーである。

どういうわけだか、ずっと家にいたであろう人も私が帰宅する時間帯の夕方に浴びる人が多かった。

しかも、人によっては20分近く使用している人がいて、女性なら仕方ないと思えなくもないが、何日も髭を剃らず、穴の開いた服を着ていて、定職にも就いていないような男が長時間しようすることにはさすがに腹が立った。

「あんたがそこまで長時間シャワー室を占領する必要ある?」

というわけで、帰宅直後はシャワールームの空きを確認して、使用中であれば、最初に夕食を取ることにした。

とはいっても、真夏に汗だくになって帰宅した時に汗も流さずに夕食を取ることはかなりしんどかったし、食後にシャワーを浴びるのも私には耐えられなかった。

こればっかりは私一人の事情で変えられることではなかったため、勤務先にお願いして、勤務時間を30分繰り上げてもらうことで、対処できた。

・所有物について

繰り返しになるが、私が住んでいたシェアハウスはスペースが狭く、所有する私物の数も限られていた。

とはいっても、そんなことはあらかじめ想定済みであり、上京の時点でスーツケースと旅行バックそれぞれ1つ分しか持ってこなかった。

衣服についてだが、下着は上下で5枚程度用意したが、部屋着であるTシャツ、半ズボンは2日に1回しか洗濯しないため「着る・洗濯・待機」のローテーションを組むために必要な3着までにした。(洗濯後はランドリーで乾かすことになったため2着で十分だったが…)

そして、洗濯の間隔が長いセーター、室内用の長ズボン、外出用のスラックスは2着までに留めた。

仕事で使用するかもしれないYシャツやジャケットは上京後に購入したが、ひょっとすると仕事で使用しない可能性も考慮して、最初は1着のみ買って、必要に応じて買い足すことにした。

服以外の私物は携帯、パソコンなどの家電は持ち込んだが、目覚まし時計や延長コード、炊飯器などは東京で購入した。

その他に持ってきた物は本23冊程度だった。

「それだけの持ち物で生活できるのか?」

と思われるかもしれないが、仕事を安定させて、一人暮らしを始めるまでの一時的な滞在のつもりだったし、それまで娯楽はネットサーフィンなどで済ませようと思った。(結局半年以上滞在することになったが…)

東京の物価は目が飛び出るほどの高額というわけではなかったため、基本的には上京後に買い揃えても大きな問題にはならなかった。

・同居人について

入居日にカメダから住まいのルールについて説明を受けた時に、この家の実質的な支配者の話を聞かされた。

その人物は前出の記事で登場したB(仮名)のことである。

彼女は数年もの間このシェアハウスに住んでおり、家の中の実権を握っていて、荷物置き場や冷蔵庫のスペース、靴箱の境界線が彼女の都合でいつの間にか変わっていることが珍しくないとか。

それから、そのシェアハウスにいつの間にか子どもまで住まわせているらしい。

しかも、その子どもも彼女の実子ではなく、仕事仲間が客との間に作った子どもを預かっているのだとか。

親しい人には面倒見がよく、「姉さん」とか「姉御」と呼ばれていた。

というわけで、この記事では彼女の仮名は「姉御」にしよう。

ちなみに彼女の連れ子の呼び名は「お嬢」である。(これも仮名ではなく、本当にそう呼ばれていた)

先ほども話した通り、この家は姉御を中心に回っているため、人間関係も「姉御と仲が良いか・良くないか」によって決まる。

姉御に気に入られると社交的な関係を築けるが、そうでなければ基本は一人で生きていくことになる。

まあ、「一人で生きていくことになる」といっても、仕事や学校のいじめでよく見られる「村八分」ではないのだから、他人に干渉されないことを好む人にとっては好都合なのかもしれないが。

ちなみに、私は姉御が腰痛で動けない時にお嬢と二人で彼女の身の回りの世話をしたことで、彼女から認められて、その後もいろいろと気にかけてもらえた。

まあ、その結果、お嬢の世話を押し付けられたことが何度もあったが…

その他に私が親しかった同居人はこの記事の主人公であるC(仮名)や、私と同じくお嬢の世話を押し付けられていたことで仲間意識が生まれた会社員のD(仮名)だった。

なお、これはあくまでも友好的な関係が築けた面々だが、中には新卒で入った仕事を1ヶ月で辞めて、そのまま家賃滞納で夜逃げしたり、定職に就かず、ギャンブルで生計を立てようとしているヤバそうな面々も多くいたが、幸いにも私は大きなトラブルに巻き込まれることはなかった。

・シェアハウスの生活を振り返ってみて

私はこのようなシェアハウスで8ヶ月ほど暮らすことになった。

後に管理人から聞いたが、そのシェアハウスに8ヶ月住み続けるというのは、どちらかというと長い方で、ほとんどの人は長くても半年で出ていき、2,3ヶ月で退去する人も珍しくないらしい。

住み始めた時は、話し相手もおらず、最低限のプライバシーこそ保たれていたものの、「この生活がいつまで続くのだろう…」と不安に満ちて、逃げ出したい一心だった。

当初は、「すぐにでも仕事を見つけて、3ヶ月もすればアパートを見つけてここから出ていくだろう」と予想していたが、仕事に就くまでに4ヶ月もかかってしまったため、それまでは精神的におかしくなりそうな時もあったが、親しい同居人と世間話をすることで気が紛れたし、仕事を始めてからはそんなことを気にする暇など無くなっていた。

というわけで、仕事を始めた後の記憶というのはあまり残っていない。

あるとしたら、同居人が台所でボヤ騒ぎを起こして消防署のお世話になって、火を使用する調理が禁止になったり、お嬢から外食をねだられたり、誕生日のお出かけに同行させられたことくらいだった。

私がシェアハウスに住んでいた時から数年が経過した今は、相変わらず友人も恋人もいない生活を送っているため、いろいろな人と同居していた当時のことが懐かしく思えた。

ちなみに、シェアハウスの同居人の「親しい」というのは、あくまで共同生活の中での話であり、(お嬢のお守を除いて)みんなで楽しく食事に行くというようなプライベートな付き合いは一度もなかった。

あの時の関係は「家族」というよりも、会社の「同僚」に近かったのかもしれない。

実際に、当時仲の良かった人とも今は誰一人連絡を取っていない。(このブログを読んでくれているのなら、ご連絡お待ちしています)

・今回のまとめ

今日まで4回に渡り、私が上京して生活を安定させるまでの数ヶ月についての話をした。

改めて要約すると、シェアハウスに住んで就職活動をしながら、経験ある職種で派遣として働くことで、その後の住まい探しや、興味のある仕事への就職につなげた。

派遣の仕事はともかく、シェアハウスの生活は個人の資質や物件に良し悪しによって合う合わないがあるため、簡単には勧めることはできないが、いきなり一人暮らしを始める時のように高いアパートの頭金や家具家電一式を買い揃える初期費用が不要であり、合わないと思ったら、すぐに別の物件へ移動するメリットもあるため、選択肢の一つとして頭に入れておいてもらいたい。

それから、地元で暮らしている時に想像していた、「物価が高い」というのはあまり気にならない。

ちなみに、今回のシリーズのきっかけとなった女性からの質問の一つにこんなものがあった。

「地元では会うことがなかった類の人との出会いはあるのか?」

この質問に回答する機会がなかったため、この場で答えさせてもらいたい。

私は上京後、習い事や職場から離れた交流の場に顔を出したことが一度もないため、彼女の求めている答えになっている自信はないが、それでも地元では出会うことがなかった多くの人たちと出会うことができた。

たとえば、この記事で紹介した同僚の女性たちである。

地元で暮らしていた時には、(離婚経験者を除いて)彼女たちのような40歳を超えても独身で暮らしている女性を見たことなどなかった。

それから、この記事で私と同い年の女性と働いた時の話をしたが、よくよく思い返すと、彼女に会うまでは自分と同じ年齢の人と働いたことなどなかった。

そう考えると、職場の人間関係だけでも、地元では出会えないような人と出会うことができたのかもしれない。

スポンサーリンク