20代の男が独身中年女性の女子会に参加して気付いたこと

前回の記事では、これまで邪悪な生き物であるかのように思っていた人々が、実際に会ってみたら、全く違う人たちであったため、何とも言えない虚しさに襲われたという話をした。

思えば以前にも似たようなことが一度あった。

今日はその時の話をしたい。

・この人たちはどんな生活をしているのだろう?

この記事に書いた通り、私は以前、職場の独身女性が主催した食事会に参加したことがある。

ちなみに参加者の女性で一番若い人は42歳で、その他の人の年齢は40代後半から50代前半だった。

そんなグループに20代の男性である私が参加するのは異様な光景である。

私が誘われた理由は、同じ職場で働く女性社員(この記事で登場した社員A)が、上京して日が浅くて親しい友人もおらず、東京のこともあまり知らない私のことを気遣ってくれたからである。

私はその誘いを受けて参加したわけだが、もちろん、断れずに半強制的に参加させられたわけではない。

私がその食事会に参加した理由は、純粋に彼女たちがどんな人たちで、どんな生活をしているのかを知りたかったからである。

私は東京に出てくるまで、離婚経験者を除いて、40歳を過ぎても独身を貫いている女性を見たことがなかった。

そのため、上京後、初めての職場で50近い年齢になっても一人で暮らしている女性を目の当たりにした時(それも一人や二人ではない)は衝撃的だった。

一体、この人たちはどんな生活をしているのだろうか?

密かにそんなことを思い続けていた。

今回の誘いはその疑問を明らかにするいい機会になるのではないかと思い快諾した。

・未婚女性外道論

しかし、私は未知の生き物を詳しく知りたいというような好奇心だけで参加したのではない。

以前、「生活に困窮した非正規労働者は自己責任だから社会が救済する必要はない」という理屈は「非正規という働き方は正規労働というなにがなんでも外れてはいけない唯一絶対の普遍的な人道を踏み外した外道である」という考えから生まれる「非正規外道論」という思想を提唱したことがある。

この考えはもっぱら男性だけに突き付けられていることが多い。

一方で、女性は「別に正規・非正規関係なく自由に生きてもいいよ」と言われているかと問われればそうではない。

彼が考える女性が果たさなければならない道義、それは結婚と出産である。

そのため、その人倫に反して、いつまでも独身生活を謳歌する女性は悲惨な将来を迎えても自己責任であり、社会は彼女らを一切救済する必要はない。

これが「未婚女性外道論」である。

私が上京する前にテレビやネットで目にして植え付けられていた独身中年女性の姿とはこんな感じだった。

若い時は、男をえり好みして遊んでいながら、適齢期を過ぎた頃から焦り始めて「結婚!! 結婚!!」と溺れ死にしそうな中で必死に藁に縋ろうとしている女性や、年老いた親と自身の貧困に苦しみながら孤独に苛まれる女性。

この国の社会保障は男性が勤め先の充実した企業福祉に守られて、女性はその男性に養われることが前提になっている。

だから、大企業の男性正社員のような恵まれた福利厚生も、養って生活の面倒を見てくれる夫や親もいない中高年の独身女性は貧困に陥りやすい。

彼女たちは結婚以外の選択を認めない社会で、何とか堅気(?)になろうと足掻いていたり、結果として、それができなかったのだろう。

前回の記事で取り上げた人たち(厳密に言えば、人の前に「私がそうだと思っていた」がつくが)が、特定の生き方しか認めない社会の加害者だとしたら、真逆に彼女たちは被害者というわけである。

つまり、彼女たちは私と同じこの社会の外道として扱われている身なのではないかと思っていた。(もっとも、自分の意志で選択したのか、努力した結果なれなかったのかの違いはあるが…)

私は彼女たちにそのようなシンパシーを感じて、ぜひとも話を聞きたいと思っていた。

・聞きたい話が出てこない

食事会当日、私は勤務終了後に社員Aと待ち合わせをして、職場の近くにある飲食店に入った。

私以外の参加者は計6人。

社員Aを含む3人が職場の同僚で、他の3人は同じ敷地に出店している会社の従業員で、所属先は違うが全員面識のある相手である。

全員が席に着いて、注文を取ったところで、主催者でもある社員Aが簡単な挨拶をした。

その後は、各々自由に近くに座っている人同士で話をする。

これまで私は、女子会とは女同士で集まり、お互いに日常生活の不満を言い合う様子を想像していた。

その話に上手く相槌を打って同調していれば、次第に私が期待しているような話も引き出せるだろう。

私が潜入した目的は彼女たちとの交流を楽しむためではなく、あくまでも彼女たちの暮らしぶりを探ることである。

そのため、私の自己主張は最小限にとどめて、彼女たちの聞き役に徹することを心掛けなければならない。

そもそも、私が会に誘われた理由も、人畜無害で中高年の管理職男性が好むような自慢話や説教をしないと判断されたからだろう。

こういう時は普段の「大人しい田舎の青年」のイメージが役に立つ。

そんな腹黒いことを考えながら、機会をうかがっていた。

のだが、彼女たちが話題にするのは次の休日の予定だとか、先月は連休を取ってどこに旅行へ行ったという話ばかりで、将来の不安感や社会への不満、結婚への固執など全く出てこない。

今回の参加者は、主催者の社員Aを除いて全員が非正規労働者である。

そして、小売業という職業柄、給料は低く、土日も仕事をしなければならない。

とてもではないが、プライベートを楽しむ余裕などないはずだと思っていた。

しかし、彼女たちは職場のつながりとは別に、登山やバレーのような趣味仲間も充実しているようだった。

母親と二人暮らしをしていて、家のことは何でも自分たちでやらなければならないということで、日曜大工が得意であり、仲間からもその腕を買われている強者もいた。

そんな調子だから、私に対しても休みの日は何をしているのかと聞いてくる。

私は、「いやあ、地元にいた時は家族と一緒に車で買い物に行ったり、犬の散歩に行くったりしていたのですけど、こっち(東京)だとそういうことができないので、まだ趣味と呼べるものはまだないですね。ハハハ…」と言って話を濁すしかなかった。

・選んだ道は違ってもたどり着いた場所は同じだった

会は終始このような穏やかな雰囲気で終了した。

家路につく電車の中で私は不思議な気持ちに襲われた。

というよりも、頭の中がパニックになった。

もちろん、不幸な暮らしを送っていると思っていた人たちが、意外にも幸せな生活を送っているのだから、それは喜ぶべきことである。

しかし、私は自分の予想が外れた落胆や「自分と同じだと思っていた人たちが、そうではなかった」という裏切られたような感情とは違う、妙な虚しさや嫉妬のようなものを感じた。

これまで見聞きした話や、私が立てた仮説では、独身・非正規・中年という3つが揃った女性はこの社会では悲惨な生活を送ることは明白だった。

だが、私が実際に目の当たりにした独身中年女性たちは驚くほど普通に生きていた。

その「生きる」とは「脳や心臓が止まらないから死ねない」というものではなく、会社や夫のように自分を守ってくれるもの縋ろうとするのではなく、今の自分にできることをやって、充実した人生を送ることである。

私は別に「女性は男性に守られるべき弱者である」と思っていたわけではない。

これまでも「肝っ玉母ちゃん」のようなたくましい女性は何人も見てきた。

しかし、それはあくまでも、「妻」や「母親」といった家庭での役割があることが前提であり、それがなければ、彼女たちの暮らしは貧困に直結することになる。

そんな状況で日々の生活に生きがいや楽しみを見出すことなどできるはずがない。

それまで、メディアを通して見聞きした典型的な独身中年女性は、その生活を何としてでも抜け出そうと結婚に執着する人たちであり、私はそんな彼女たちに対して同情はしたが、見下してもいた。

外道として生きることを決めた私は、そんな他力本願な一発逆転にかける彼女たちが哀れに思えた。

なぜ、他人に頼ってばかりいるのだろう?

なぜ、叶わない夢に固執して、別の道を生きていこうとしないのだろう?

そう思って、彼女たちのことを軽蔑していた。

一方で、私の方は「外道」を自称して、そのようなくだらない押し付けを断固して拒否する道を選び、何とか今日まで生き延びたわけが、それに代わる別の幸せを追求する生き方を見つけたわけではない。

私が選んだのは、「生きがい」や「楽しみ」といった情緒的感情の一切を殺して、憎しみを燃やし、孤独に生きていくことだった。

この社会で生きていくためにはそうするしかないと確信していた。

だが、今となっては、あの人たちのように、仕事や結婚といった表社会の承認(簡単に言えば「世間から評価されること」)がなくても、今の自分ができることを精一杯やって、仲間と手を取り合って生きる方が、私よりも強く正しく生き方なのだとはっきりと分かる。

それが、あの時、彼女たちに嫉妬した原因なのだろう。

私と同じく社会のはぐれ者でありながら、あんなに充実した生活を送っていた彼女たちが、自分よりも気高く生きていることを薄々感づいたから。

私のようにプライベートな幸福追求のすべてを放棄すること孤独に生きることは、これまで蔑んできた「結婚しないと幸せになれない!」と嘆く人たちのように、「特定の(フツーの)生き方ではないと幸せになれない」という発想と同じだったのである。

あのようにはなりたくないと思って進んだ道だったが、たどり着いた場所は結局同じだった。

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