今月最初の記事で、私が本格的に英語の勉強を始めた時の話を紹介した。
それは10年前のできごとである。
あの日以来、私はプライベートの多くの時間を英語学習に費やした。
最初は上手くいかないことばかりで、試行錯誤の連続だったが、諦めずに続けたことで徐々にコツを掴み、後に英検準1級を取得することもできた。
そんな私であるが、最近はこれまでにない程、大きな壁に直面している。
・真剣に悩みと向き合う時
最初に言っておくが、今の私は決して、「何度繰り返しても、この単語が覚えられない!」というようなスランプに陥っているわけではない。
仕事が忙し過ぎたり、別の趣味に熱中することで、学習時間を確保できないわけでもない。
私が「壁にぶち当たっている」と感じる理由。
それは
ズバリ!(←〇尾君(伏字になっていない)風に言う)
全くやる気が起きない
ことである。
もう1ヶ月近く、英語関係の本を開いていないし、音声も聞いていない。
ここまでやる気が起きないのは学生時代以来である。
この記事で書いたことを実践してみたが、それでも全くやる気が起きない。
決して、今の生活から英語が疎遠になったことで、自然消滅しているわけではない。
それどころか、今は日常的に英語を使用する仕事に就いている。
短期の派遣の仕事とはいえ、学習のモチベーションを上げることに関しては、これ以上の環境はない。
その上、同僚も英語ができる人がいないため、英文の読解や文章の作成が必要な時はよく私に頼ってくる。
ちょっとしたスペシャリスト気分である。
彼らから感謝の言葉を貰った時は、「今まで英語の勉強をしてきてよかった」と心から感じる。
にもかかわらず、自宅に帰ったら全くやる気が起きない。
さすがにこれは異常事態であることを実感する。
これまでも迷ったり、立ち止まった時はあったが、難しいことは考えず、がむしゃらに突っ走ることで乗り切ってきた。
だが、今回は一時的なスランプではなく、今後の人生にも直結するような重大な危機である気がする。
そのため、「なぜ、ここまで英語の勉強をする気が起きないのか?」について、真剣に考えることにした。
・良い所取りができる職場
先ず、考え着いた答えは仕事である。
英語を勉強していた動機のひとつに、「英語を使って高時給の仕事に就きたい!」ということがあった。
そして、前段でも触れら通り、今の私は英語を使う仕事している。
仕事で英語を使うのは3年前に働いていたこの職場以来であり、目標を実現させただけでなく、自分の能力を十分に発揮できていると思っている。
…が、同時にそれが成長を阻害している気がする。
たとえば、業務で英語を使うタイミングは海外支社から送られてきたメールの対応や、英語表記しかされていないシステムの操作のような読み書きのみである。
しかも、仕事中は自由にインターネットに接続できるため、翻訳ソフトを使うこともできる。
この程度の業務は、おそらく英検3級の実力であれば簡単にこなせるだろう。
一方で会話については、同じようにこなせる自信がない。
私が働いているオフィスには、常駐しているアメリカ人の社員がいて、彼女は英語しか話せないが、彼女が同僚と話をしている様子を耳にしても、何のことを言っているのかさっぱり分からない。
だが、私が彼女と業務について話をすることはないので、その弱点が露呈することはない。
前回、英語を使っていた職場では、私以外の人も(会話も含めた)英語ができることが当たり前であり、それは特別なことではなかった。
むしろできないと業務に支障が出るから、職場で恥をかかないように、勤務時間外も必死に勉強していた。
しかし、今の職場は違う。
2,3行の短い英文メールの送信作業を代行するだけでも「すごい!」「さすが!」と感謝されるし、他所の部門の社員が私たちの部署に英語が伴う仕事の依頼をする時は、真っ先に私に頼むようになっている。
一方で、苦手な会話が発生することはないので、「もっと上手くならなければ!」と必死に取り組む動機も生まれない。
つまり、今の仕事は、私にとって、絶妙なバランスで「良い所取り」ができているのである。
そんな環境では「自分は毎日勉強なんかしなくても、ちゃんと英語ができる」というような錯覚を起こして、完全に「お山の大将」となってしまっているのではないか?
・コロナで断たれた夢
仕事以外に思い当たることがもうひとつある。
それは将来の目標である。
そもそも、私が英語の勉強を始めたきっかけは、「英語を活かした仕事に就くこと」ではなく、「『海外で暮したい』と思ったから」である。
「海外で暮らせば今のように息苦しい仕事をせずに済む」
「そして、休日は地元な仲間たちと楽しく過ごす」
「そのためには何としても英語を覚えないと!」
そんな思いから、ワーキングホリデーを計画していたが、いろいろと事情があって頓挫した。
とは言っても、東京へ出てきた後も、「海外で暮らしてみたい」という夢を完全に断ち切っていたわけではなかった。
派遣社員であることを理由に、アパートの審査に立て続けに落ちた時。
満員電車での通勤が思いのほかしんどかった時。
ブログを始めたが、ネタに困り、アクセス数も全然増えなかった時。
このように生活が苦しい時は「やっぱり、自分はこの社会では生きていけない」という思いに駆られ、その度に「外国へ行けば…」と考えていた。
もちろん、東京に永住するつもりはなかった。(今でもない)
そのため、いつ気が変わってもいいように、日頃から英語の訓練は怠らなかった。
だが、2020年に事体は一変した。
コロナウィルスの蔓延を防ぐために、世界各国で入国の規制されて、渡航が困難になった。
仮に、渡航できたとしても、コロナ不況により、現地で生計を立てられるような仕事を見つけることも難しいだろう。
しかも、この状況は数ヶ月程度で収束する気配はなく、数年続くことは多くの専門家から予測された。
その時はおそらくビザが取得できる年齢をオーバーしてしまう。
つまり、海外進出の最後の希望はコロナによって完全に断たれたのである。
それ以来、私の中では英語を勉強することが、夢や希望とは無縁になり、これまでの惰性で続けるだけの習慣と化していたのだろう。
これはおよそ2年前の出来事である。
裏を返せば、そのような状況になっても、2年間も英語の勉強を続けていた方が奇跡だったのかもしれない。
・絆を失わないために
まとめると、今の私が英語を勉強するモチベーションを完全に失ったのは、
・職場で中途半端に実力を発揮できていること
・海外で暮らすという夢が完全に断たれたこと
この2つだと思っている。
前者については、目標にしていたことが実現したからこそ、それまでの動機が消失してしまい何とも複雑である。
もちろん、長年英語を勉強し続けたからこそ、今の地位を得られたことは事実である。
たとえば、業務の中で以下のような単語を目にすることが多々ある。
vehicle:車
warehouse:倉庫、貯蔵所
purchase:購入
これらは英検準1級の試験に備えて覚えたもので、かつては「こんな単語どこで使うんだよ…」と嘆いていた。
しかし、今ではそのような単語を存分に使用する機会があることで、「あの時の努力は無駄ではなかった」と実感している。
この喜びが更なる高みを目指す動機につながらないものだろうか…
ここまではっきりと自分のやる気のなさを自覚しているのだから、「仕事で痛い目に遭ってようやく改心する」という回り道は避けたいところである。
後者については、今後も改善される見込みは全くない。
海外で暮らすどころか、プライベートな楽しみにおいても、「英語を覚えなきゃ!」という動機はない。
だが、「私生活で全く英語を活かす機会がないのか?」と言われればそうではない。
これまでにオンラインを通して知り合った仲間とやり取りをする時はほぼほぼ英語を使っている。
このまま完全に英語から遠ざかってしまったら、彼らとの関係も維持できなくなってしまう。
この記事に書いた通り、今も付き合いがある人の多くは、もう何年もやり取りを続けている人たちである。
「そんな彼らとの絆を失わないためにも、英語を学び続けなければ…」
今の私にとっては、それが唯一の動機付けになるのかもしれない。