外遊びが大好きな少年だった私が運動嫌いになった理由

本日1010日は「体育の日」!!

だったのはいつまでだったのだろうか?

調べてみたところ、1010日が体育の日だったのは22年前の1999年までで、翌2000年から10月の第二月曜日へと変更された。

体育の日(たいいくのひ)-コトバンク-

そして、今年2021年は遂に10月からも外された。

その結果、今年は10月から祝日がなくなった。

明日は平日なので、学生さんや、カレンダー通りに出勤される方はお気を付けください。

しかし、私にとっては未だに「体育の日といえば1010日」のイメージが強い。

というわけで、今日はスポーツの話をしたい。

・体育が大嫌いだった中学時代

わざわざ、報告することでもなかったので、特に発表しなかったが、実は、9月の終わり頃から、ランニングを始めていた。

といっても、週に23日、仕事から帰った後の時間帯に、家の周りを1km程度走るだけだが。

夜に走ることで、気温が涼しいだけでなく、昼間と違い、周囲の目を気にせずに堂々と半ズボンで外に出ることができる。

別にフルマラソンに挑戦したり、体重を大きく減らすために始めたわけではなく、適度な運動と健康維持が目的である。

それをわざわざ「運動」だと思うくらい、普段の私はスポーツと無縁の生活を送っていた。

もう若くないから、体力も落ちてきていることを考慮して、コースを決めた後は、初日は徒歩で周り、2日目は帰りのみ走ることで足慣らしをし、3日目から本格的に走り始めた。

それでも初めてフルコースを走った日は、就寝中にこむら返りを起こしてしまった。

また、慣れるまでは途中で何度も休憩を入れたり、途中で歩いたりもしていた。

情けない話だが、体力の衰えを痛感した。

若い時のようには上手くいかないや…

と、こんな書き方をすると、以前の私がスポーツ万能だったかのような印象を与えるが、実は20代前半の時も全く運動はしていなかった。

ほとんどの外出は車で済ませ、長時間外を歩くこともほとんどなかった。

せいぜい、犬の散歩くらい。

だから、体力が落ちたのではなく、元々ないのである。

学生時代は運動部に所属していなかったため、10代の時ですら、スポーツとは無縁だった。

普段、運動していないのだから、学校の体育の授業の動きは同級生に比べて劣っていた。

陸上はダメで、球技の時間は「自分の所にボールが飛んでくるな!!」と念じ続け、この記事で書いたように水泳は論外。

2年生の3学期(それも最後の最後)に唯一得意だったソフトバールで挽回した時(+担当教師が定年退職することに伴う温情査定)を除いて、成績は5段階評価で常に「2」をキープ。

当然、チーム競技では、常にクラスのお荷物扱い。

その立ち位置は普段の学校生活にも影響を与え、今度はそのことによって、益々体育が嫌いになって……という負のスパイラスに陥っていた。

・中学校で運動部に入らなかった理由

中学時代の話をすると、単に私が「体育が苦手の子どもだった」だけだと思われるかもしれないが、小学生の時は決して体育が嫌いではなかった。

休日も家でゲームをすることよりも、友人たちと外で遊ぶ方が好きだった。

当時の私が求めていたもの、正式なクラブチームや教室に入って、専門家から指導を受け、その道を極めることではなく、親しい友達と仲間内で楽しく遊ぶことだった。

野球で例えると、少年野球よりも、草野球の方が好きだったのである。

そして、そこで鍛えた腕で、運動部に所属している同級生を体育の授業で打ち負かすことが痛快だった。

今になって振り返ると、あれは私たちの腕が勝っていたというよりも、体力や発育のペースによる影響が大きかったと思われるが、それでも自分たちがやっていることに自信と誇りのようなものがあった。

学校の体育の成績もかなりいい方だった。(水泳は除く)

そんな成功体験があったから、中学生になっても「今までと同じやり方でいける」と思い、あえて運動部には所属せず、運動部に入れない落ちこぼれ学生の受け皿として存在していた文化系のクラブに入ることにした。

そこは週1日しか活動せず、学校が休みの日に呼び出されることもあり得ないから、フリーで活動できる時間は存分に確保できた。

私だけでなく、小学生の時の遊び仲間の多くは同じような時間に余裕のある文化系の部活や比較的マイナーな運動部に入ったため、学校の外では以前と同じ体制がキープできた。

ここまで恵まれた条件が整っているのだから、運動部に所属しなくても、我流で彼らに付いて行ける自信はあった。

・グループの空中分解

そんな自信に溢れて、運動部に所属せず、我流を突き進む道を選んだわけだが、結果的にこれが失敗だった。

過去にこの記事でも少し触れたが、この社会(少なくとも私の地元)では、中学生が部活動意外の場所で、外で遊ぶことを許さないという空気が強く、小学生の時と同じ自由な活動ができなかった。

なぜ、中学生だけが、そのような憂き目にあうのかは今でも分からない。

大人が休日に草野球をやることは誰も反対しないと思う。

だが、なぜか中学生が同じことをやろうとすると、「何で部活でもないのにそんなことをするの?」と不思議な顔をされる。

それだけでなく、部活外で運動することに、隠れて悪いことをするような異様な後ろめたさがあった。

私の仲間も同じことを感じたようで、次第に離れて行く人が増えた。

その結果、残ったメンバーだけでは面子が足りず、集まったはいいが、結局何もできずダラダラと過ごすことが増えて、そんなことに嫌気がさして、また一人仲間が去るという悪循環に陥った。

こんなことをやっていたら、満足な運動などできるはずがなく、私たちのグループは完全に空中分解した。

一方で、部活動をやっている同級生は毎日のように体を鍛えていた。

小学生の時の地元のクラブでは、野球部が週4日、サッカー部が週3日、陸上部が週2日の活動だったため、下手したら自主的に鍛えていた私たちの方が活動日数は多かった。

しかし、中学校では多くの運動部が週57日活動していたため、ほとんど何もしていない私たちとの体力差は開く一方だった。

体育の授業は運動部に所属している学生が取り仕切ることが常であり、非運動部の私は体力が劣るだけでなく、派閥に入れないことも相まって、さらに体育の授業が嫌いになっていった。

・原因は特定できても、解決方法は分からない

そんな中学時代を過ごしていたため、私は完全に運動から離れ、スポーツそのものに嫌悪感を持つようになった。

その習慣が大人になった今でも続き、数日に一度、1km程度の距離を軽く走るだけでも、ゼェゼェと息を切らすまでに体力が落ちていた。

これは決して、加齢による体力の衰えではなく、慢性的な運動不足が原因であり、10代後半や20代前半といった最も体力が充実している年代でも同じだっただろう。

私がここまで運動不足に陥った理由は間違いなく、中学時代に運動部に所属しなかったからである。

だが、原因は判明しても、あの時どうすべきだったのかという答えは今でも分からない。

運動部に入れば、多少は体力が付くだろうし、体育の授業でも日や飯食いを避けられたことは間違いないだろうが、それが個人的な幸福につながったのかはかなり疑わしい。

先ず、拘束時間が長すぎるため、家族や友人とプライベートな時間を過ごすことを諦めなければならなかっただろう。

それから、「先輩ー後輩」に代表される(自称)体育会系的な人間関係のしがらみもある。

当時は今よりも暴力に甘かったため、先輩から理不尽な目に遭わされた同級生も沢山いた。

私が望んでいたスポーツとはそのようなものではない。

そんなわけだから、当時の私と同じ悩みを抱えた中学生がこのブログを見てくれていたとしても、残念ながら助言できることは何もない。

また、たとえ学生時代にスポーツに興じていても、就職したら一気に疎遠になることも珍しくない。

日頃のデスクワークで体がすっかりなまり、お腹はポッコリと出て、階段で2階へ昇るだけでも息を切らす中年のおじさんが、実は学生時代はサッカーやバスケ部のエースだったということは意外と多い。(まあ、あくまでも自己申告だが…)

というわけで、「部活があればすべてが解決!!」というような部活動万能論は支持できない。

逆に、「遊びではなく、本格的に取り組まなければスポーツにあらず」という考えを捨て、自由に活動することを認める方が、気軽に始めることができて、結果的に「全く運動しない」ということを防げそうな気がする。

スポーツをする理由は「楽しいから」とか「もっと上手くなりたいから」で十分ではないか。

思い返せば、小学生の時の私も、純粋に仲間たち共に楽しく遊ぶことができたらいいという思いだけで、別に「大会で優勝したい!!」とか「周囲から認められたい!!」などという願望は全くなく、専門的なコーチングが欲しいとも思わなかった。

大人の指導などなくても、自分たちだけで上手くなれるという自信は十分にあった。

ああ、もう一度あの時に戻りたい…

この記事で紹介した架空の物語はそんな想いを込めて書いた。

今では当時の生活は跡形もなくなくなったわけだが、あの時の姿勢や経験が後に、独学で英語を学んだり、ブログを始めることにつながった気がする。

幸い、英語の勉強も、ブログも一人で、それも周囲にバレずにできるから。

そう考えると、あの時の鍛錬も、その後の挫折も無駄ではなかったと思っている。

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