Facebookで元同級生の様子を覗いて感じたこと

半年前の記事で、高校卒業後も地元で暮らす元同級生について取り上げた。

地元で暮らし続ける元同級生の女性は若くして結婚したことを紹介したが、逆に「地元を離れた人たちは何をやっているのか?」については一切情報がない。

窮屈な地元のしがらみを離れ、「ウェーイ!!」とでも言いながら、都会の生活をエンジョイしているのだろうか?

その詳細は今でも不明だが、今回はわずかな手がかりを掴むことができた。

今日はその話を紹介したい。

本当にわずかなので、あまり期待しないでください。

10年ぶりに恩師へ連絡する

結論から言うと、今回、私が元同級生の情報を得たのはFacebookを使い始めたことがきっかけだった。

話が長くなるので、詳細は割愛するが、今月に入っていろいろな事情が重なって、小学生の時に担任教師だったS氏に連絡を取りたいと思う事情が生まれた。

彼女はこれまで出会った担任教師の中で、私がもっとも信頼している人物である。

卒業後も、中学校の職場見学で私が偶然彼女のクラスを訪れることになったり、彼女が受け持つクラスが私のバイト先に社会科見学で訪れることになったりと、少なくとも5回以上は再会した。(彼女との再会の様子についてはこの記事にまとめてある)

また、成人式の贈り物として、渡された手紙には自宅の連絡先が記載されていたこともあり、自然に連絡をすることができる。

そう思って、手紙に記載されていた番号に電話してみたが、すでにその番号は使用されていなかった。

まあ、その手紙は20年以上前に書かれたものであり、彼女とも10年以上会っていないから、連絡先が変わったのは無理もない。(ややこしい話だが、彼女の電話番号が書かれていた手紙はタイムカプセルのようなものであり、20年前のクラス替えの時に書いていたものを成人式の日に渡された)

そこで、彼女の連絡先を知るために、次の手段として考えたのが、Facebookである。

Facebookは本名登録が原則だから、名前だけが手がかりとなった今では、これが最後の手段である。

幸い、彼女の名前で検索してみるとヒットしたが、こちら側もログインしなければ、詳しい個人情報や写真を閲覧できない。

元同級生に現状を知られたくない身としては、ネット上で実名を公開することは大きなリスクを伴う。(だから、今までFacebookを使わなかった)

しかし、今回の目的は元担任教師と同じ名前の人が、私が探している人であるかを確認するだけである。

本名でアカウントを作成しても、確認が終わり次第、すぐに消去すれば、知り合いに気付かれることもないだろう。

そう思って、Facebookのアカウントを作成した。

その結果…

おそらく彼女は別人だった。

結局、ここでも目的は果たせず終い。

こうして、私の恩師探しの旅は終わった…

と、話はここで終わらない。

Facebookを使えば本名で人を探すことができるのだから、元同級生のアカウントを見つけて、彼らの投稿に目を通せば、私が求めている情報が見つかるのでは?

普段なら自分の実名を晒すことも、知り合いのアカウントをこっそりと覗くことも躊躇するが、「連絡先探し」という大義名分があると、気が大きくなり、全く怖くなくなった。

私がFacebookで情報収集する目的は、すでに彼らの現在の様子を探ることへシフトしていることは公然の秘密である。

幸い、FacebookにはInterPalsのような自身のプロフィールを閲覧した相手が表示される機能がないため、私が嗅ぎまわっていることは本人にはバレないだろう。

もちろん、こちらから友達申請(リクエスト)をするつもりもない。

そう思った私は、小学校の時の同級生の名前を片っ端から調べてみることにした。

Facebookで元同級生の動向を探ることが難しい理由

しかし、Facebookで元同級生の動向を探ることは簡単ではなかった。

その原因は2つある。

:小学校の同級生の名前は意外と思い出せない

Facebookを使って元同級生を探すために、最初にやるべきことは、彼らの名前を検索することである。

そんなこと改めて述べる必要もないと思うかもしれないが、これが意外と難しい。

なぜなら、彼らの名前を知っていても、「名前を漢字で憶えているか?」と言われたら、案外思い出せないから。

中学・高校の同級生は初対面の時から相手の名前を漢字で憶えるが、小学校の同級生は多くが名前をひらがなで記憶した相手である。

学年が上るにつれて、名前を漢字で書くことはあるが、一度、ひらがなと音で記憶した相手をわざわざ漢字で再認識することはないため、「名前は知っているが漢字で書けない」人というのが意外と多い。

せっかく、名前を入力するだけで、知り合いをダイレクトに探せる魔法のツールがあるのに、肝心の名前がなかなか出てこないため、検索できない。

その上、結婚によって、苗字が変わっている可能性もある。

こうなったら、対象者を中学生以降の同級生へと拡大しよう。

(もはや「同窓会の連絡先を探す」という建前とも矛盾するようになってきたぞ)

すると、それなりに本人だと思うアカウントを見つけたが、ここで2つ目の壁にぶつかった。

:ほとんどの人は学校卒業時点で更新を止めている

私が見つけた元同級生は、20代前半の頃、つまり大学や専門学校へ通っていた時は頻繁に投稿していても、多くは就職と同時に更新を止めていた。

しかも、毎日更新していたのが、月一に減るという「投稿ペースの減少」ではなく、何年も使用していないように見えた。

プロフィールも○○学校卒業までしか表示されていないことが多い。

今でも毎週のように更新を続けている元同級生が一人だけいたが、彼女はローカルタレントとして活動している女性であり、内容も芸能人にありがちな宣伝であることが多く、一般的な「元同級生」とは呼べない例外的なケースである。

彼らが就職と同時にFacebookから離れるのはなぜだろうか?

学生時代と違い、忙しくて友人との時間を取ることができないから?

個人的には「普段の生活でなかなか会えなくなるから」こそ、つながりを保つために続けるべきだと思うのだが…

もしかすると、公開範囲を「友達のみ」に限定して、続けている可能性もある。

だが、5年以上前にプロフィールやカバー写真の更新を知らせる投稿があり、その写真を今も使い続けていることを考えると、やはり、彼らの大半はもうFacebookをやっていないのだろう。

そんなわけで、元同級生の現在の動向を探る(覗く)ことはできなかったが、中学を卒業してからの様子を少し目にすることはできた。

そのいくつかを紹介したい。

・顔も見たくないゲス野郎の進路

このブログでも、何度か中学時代の嫌いだった同級生のことを紹介したことがある。

その人物は、生徒総会で自転車通学許可の距離制限を撤廃する案が議論された時に、この案への賛成を必死に呼びかける同級生に対して、「生徒全員への自転車通学を認めたら、駐輪所が手狭になる」という理由で反対したり体育祭の練習(強制労働)では人のことを奴隷のように扱いながら、自分は「家庭教師の時間だから」と言って早退するなど自己中心的で、権力や既得権が大好きなゲス野郎なのである。

既出記事では紹介しなかったが、体育祭の練習ではさらに酷いエピソードがある。

私が通っていた学校では、体育祭の1ヶ月前からは午後の授業時間が毎日練習に充てられるため、練習時間は一日3時間以上に及ぶ。

その間、最低でも1時間に10分は休憩を入れなければならない。

それは安全確保のために当然のことである。

だが、この暴君は「休憩なんて無駄だ!!」と勝手なことをほざいて、休憩時間も練習を強要していた。

しかも、その毒牙は下級生にも向けられた。

たとえ同じ部活の先輩後輩ではなくても、12年生が3年生の先輩に逆らうなどできるはずがない。

その時は他の(良心的な)幹部たちによって、彼の暴走は食い止められたが、いかに腹の底まで腐りきっている人物であるのかが分かる。

こんな自己チューで、傲慢で、下品で、攻撃的なクズ人間は間違っても人の上に立たせたらいけないことなど火を見るより明らかである。

そんなゲス君であるが、高校卒業後はなんと…

教育大学に進学していた。

私は教育のことなど全くの素人だが、この類の人種は、児童生徒に性的な目を向けるロリコンと同じくらい、教壇に立たせてはいけないことくらいは分かる。

彼のFacebookを見ると、大学を卒業したところで更新が止まっていたため、その後、教職に就いたことは確認できないが、こんな人間がいけしゃあしゃあと教育大学へ入学できたことに入試制度の限界を感じる。

これ以上被害者を出さないためにも、やはり、高校入学の時点でお礼参りの告げ口をしておくべきだった!!

ただ、彼がゲスの極みだったのは今から15年ほど前の話であり、その後は更生した可能性も、万に一つだが、なくはない。

私も、別に不登校に追い込まれる程のひどいいじめを受けたわけではないため、彼が過去の過ちを自らの戒めとして胸に留め、教え子たちが同じ過ちを犯さないように尽力してくれれば、今さら彼に復讐しようとは思わない。

彼には「あれから変わった」と思えるような真っ当な人間になってもらいたい。

もっとも、この類の人間は公職について立派な肩書や名誉を得ることを「真っ当な人生」だと勘違いしていそうだが…

・変わってしまった幼馴染

「当時から変わる」といえば、残念な方向へ流れてしまった人もいた。

これは小学校入学時からの友人だったN君(仮名)の話である。

彼は大学を卒業した2年後に警察官として県に採用された。

そのことは、本人からの報告や、口コミではなく、たまたま地元の情報誌に彼が載っていたことで知った。

ちなみに、その記事を発見したのは、警察官としての就職を目指していた私の知人だったのだが、彼曰く、N君の所属先は年齢を考えると異例の場所だったらしい。

実際に、N君の父親も警察官で、しかも地元ではなかなかの有力者だったため、その力が働いたものだと予想される。

はっきり言えば、採用そのものがコネである可能性も否定できないが、家が近所であり、幼少の頃から彼のことを知っている私としては、それは絶対にないと信じていた。

彼は昔から、私と違って、正々堂々とした性格で、ウソや卑怯なやり方を嫌う人間だった。

大学卒業後、すぐに採用されなかったことも、その裏付けだと思った。

彼がその間、何をやっていたのかは知らないが、それは「他の道を断ってでも、絶対に警察官になるんだ!!」という決意や地道な努力の表れのように見えたし、彼が父親の力を借りて、警察官になったのであれば、卒業と同時に採用されていただろう。

彼は親のコネで警察に入るような人間ではない。

そう思っていた。

Facebookを見るまでは…

彼もその他の元同級生と同じく、就職後は更新をストップしていたが、警察官として採用される前は頻繁に投稿していた。

だが、その投稿内容は想像を絶するものだった。

彼は「とにかく公務員になりたい!!」という心の叫び(本音)とも思えるメッセージを連発し、近隣の市町村の採用試験を見境なく片っ端から受けていたことをウキウキと報告していたのである。

「彼が警察官になったのは、その仕事に憧れていたからではなく、あくまでも『公務員』という身分を得るための手段に過ぎなかったのか…」

そう思うと、彼が警察官になれたのも、父親に「どうしても公務員になりたい!!」と泣き付き、コネを利用することで成し得た可能性が高まってきた。

私は別に「警察官は聖職である!!」とか「過去にひとつの汚点もなく、常に清廉潔白であるべきだ!!」とは思っていない。

彼らだって人間だから、おならをするし、ウ〇コもするし、ギャンブルだってする。

魔が差して歩きスマホをすることもあるだろうし、婚姻外においての性行為だって日常茶飯事だろう。

だから、「安定した公務員になりたい!!」という不純な動機や、親族のコネで職に就いている人がいたとしても別に驚かない。

しかし、子どもの頃からよく知っていた(つもりの)彼がそんなことをしたと思うと、やはりショックだった。

ちなみに、体育祭の練習の休憩時間廃止というゲス君の暴走を真っ先に諫めていたのは、彼だった。

そんな彼が、どうしてこんなに変わってしまったのだろう…

「そんなことを知るのなら、Facebookで彼のことを調べなければよかった」と後悔している。

前回の記事で取り上げたように、距離が縮むことで、その人の嫌な一面も目にすることになる。

彼が公務員に焦がれていた頃は、私も思い通りにならないことが多かったため、彼がネット上で不満を訴えていた気持ちはよく分かる。

だが、数年経った今でも、その書き込みを表示し続けるのは「脇が甘すぎる」と言わざるを得ない。

昔はそれも彼の良い所だと思っていたが、今ではただただ嫌悪感しか湧いてこない。

・輝いている人たち

ここまでは暗い話しか出てこなかったが、明るい発見も無くはなかった。

そんな人たちの様子も少し紹介したい。(もっとも、彼ら、彼女らもここ数年は新規の投稿をストップしているようだが)

たとえば、ある同級生は高校卒業後に専門学校へ進学してからも、中学時代の同級生と遊びに出かけた様子を投稿をしていた。

投稿はなくても、友達リストに学生時代の同級生が多くいる様子を見るだけでも何だかホッとした。

また、学校卒業後に仕事に就いたものの、退職して、海外留学へ出かけた人もいた。

彼女は現地で、仲間たちと楽しそうに触れ合う様子を何度も投稿していた。

学生時代の彼女はどちらかというと、大人しい子だったため、そんな生活を送っているのは意外だったが、写真の中の彼女はとても幸せそうだった。

ちなみに、彼女が海外生活を満喫していた様子を投稿した日付を見ると、私(並びに前段で紹介したN君が苦しんでいた時期であった。

そんな時に彼女は海外で仲間たちと楽しい生活を送る様子をFacebookに投稿していたのである。

それはまさに当時の私が手にしたかった生活そのものだった。

とはいうものの、不思議と彼女に対して、狂おしいほどの羨ましさや嫉妬を感じたり、「彼女に比べて自分は…」と落ち込むことは一切なかった。

たしかに、Facebookに投稿された写真の彼女はとても輝いていたし、「いいね」ボタンを押された回数も多かった。

だが、彼女がその生活を得るまでには、決してFacebookで他人に公開することがないたくさんの苦労があったはずである。

苦しい資金集め、言葉が通じない外国での生活で感じる不安、せっかく手にした仕事を辞めることへの周囲の反対、etc…

私がFacebookで目にした彼女の写真は、それらをすべて乗り越えた結果、撮られた一枚なのだろう。

・月の裏側

そんなことを考えていると、ある言葉を思い出した。

このブログで度々紹介している「ソウル白熱教室(NHK)」という番組で、ソウル大学教授のキム・ナンド氏が、チャップリンの「人生は遠くから見ると喜劇だが、近くから見ると悲劇」という名言を引用する形で、面白いことを言っていた。

私は誰かの人生を羨んだり、その人だけが特別に不幸だとは思わない。

私たちはいつも自分と他人を比較して「あの人はあんなにいい人生を送っている」「それに引き替え、自分は…」と考えてしまう。

だが、私たちが見ている他人の姿というのは、その人の人生にとっては一つの局面に過ぎない。

その裏には、本人以外には見られることがない努力や苦悩がたくさんある。

人は誰もがこのような「月の裏側」を持っているが、それは他人からは決して見えない。

その結果、つい「自分だけがそのような苦悩を抱えている」と思ってしまう。

Facebookに限らず、ブログやインスタグラム、もっと大物になると書籍やテレビで、自分の知り合いが輝いている姿を見ると、どうしても「それに比べて自分なんか…」と卑屈になってしまう。

しかし、それらはあくまでの、その人にとっての一瞬のスナップショットに過ぎず、その写真を撮るまでには、本人にしか見えないたくさんの苦悩があるのである。

裏を返せば、自分も他人から「羨ましい」と思われている瞬間があるのかもしれない。

私だって、見栄を張るために、良い所だけを取り出してハリボテのプロフィールを作ると、なかなか見栄えが良い人物像を作り上げることができる。

  • かつては地元の友人たちと楽しい時を過ごしていた。

  • 今は東京23区内に住んでいる。

  • 英検準1級を持っている。

  • オンライン上でつながる外国人の友人が複数人いる。

  • 留学先で仲間たちと、国内では行かないような場所へ出かけ、楽しく遊んでいた。

  • 外資系企業で勤務した経験がある。

  • 一部上場企業の正社員に仕事を教えていた経験もある。

  • 月間PV4桁を1年以上継続しているブログを所有している。

このような都合のいい一面をFacebookで公開したら、それを見た人から羨ましがられるかもしれない。(「ウザい」と思われるのが関の山だが)

だが、その裏にはあまり公にしたくない事実もたくさんある。

たとえば、

  • 地元の友人が就職すると、彼らは実家に住み続けていたにもかかわらず、一方的に連絡を断たれて、1年以上、人生の楽しみも目標もない孤独な生活を送っていた。(詳細はこちら

  • 今のアパートに引っ越す前は、正社員でなく、保証人となる親も60歳を超えていたため、借りたかった部屋の入居審査に2度落ちた。

  • 英検準1級を取得するまでに6年の歳月を費やし、最初の3年間は中学レベルの文法も身に着けることができなかった。(詳細はこちら

  • 留学先の宿舎では、日本では見たことがないほどの大きなゴキブリやネズミに日々怯えながら暮らしていた上に、水しか出ないシャワーで体を洗い、紙も流せないトイレで用を足すなど衛生的にしんどい思いをした。

  • 外資系企業では仕事の言いつけを守ってくれない外国人スタッフと腐れマネージャーの板挟みに苦しみ、半年も持たずに退社した。(詳細はこちら

  • ブログも開始3ヶ月は合計閲覧数(※:合計であって、「毎月の」ではない)が100に届かなかったし、某通販サイトのアフィリエイト審査に何度も落ちた。

このように私の人生には良いこともあれば、その裏には悪いこともあったのである。

そのため、Facebookに投稿される他人の様子と自分を比較して、自分の人生が不幸の連続だとか、人一倍頑張っているとは思わない。

さて、今回はおよそ20年前の担任教師の連絡先を探すためにFacebookを使用したわけだが、当初の目的は果たせず、その後、思いつきで始めた元同級生の現状調査も失敗に終わった。

読者の方が期待している情報を入手することはできなかったことは申し訳ないと思っている。

しかし、個人的にはそれなりに有意義な発見もあり、心境の変化もあった。

今の私は、自分の社会的地位や私生活を堂々と公開できるような立派な人生を送っているとは言い難いことは重々承知しているが、かつての同級生や、今でも恩師だと思っているS氏に胸を張れるように生きていこうと思う。

追記:半年後にFacebookを使って元同級生の様子を再度調べる(覗き見る)ことになった。その時の話はこちら

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