前回の記事は、以前投稿したFacebookを利用した話の後日談から派生した内容だった。
今日もその記事で触れた内容を深堀していきたいと思う。
・偶然の再会
私がFacebookを使うきっかけは小学校3・4生の時の担任教師であるS氏(仮名)に連絡を取るためだった。
彼女は私の学生時代の数少ない恩人であり、卒業後も偶然何度か再会したことがあるのは先の記事で紹介した通りである。
この再会は所用で訪れた一度を除き、すべて偶然によるものであり、「あの人に会いたい!」という意図があって訪ねたことは一度もない。
彼女曰く、私の同級生に限らず、小学校を卒業した教え子は成人式まで一度も会わないことが大多数らしく、私のような事あるごとに何度も再会する人物はかなり異例らしい。
今日はそんな異例の出来事の話をしていきたい。
・①:中学校の職業体験
私が卒業後初めてS氏に会ったのは3年後の中学3年生の時だった。
職業体験の授業で向かった先が、偶然にも彼女が働いていた学校で、しかも、彼女が受け持つクラスだったのである。
もっとも、これは当初の希望先が定員オーバーで、変更を余儀なくされた結果、たまたま彼女がいる学校へ行くことになった結果なのだが。
彼女は私の卒業と同時期にその小学校へ赴任したことは知っていたが、その後も在籍し続けているのかは不明だったため、特に「彼女に会えるかも」という期待はなかった。
そこで彼女と再会できたことは喜ぶべきことだが、私には別の不安があった。
自身の出身校で再会するのならともかく、別の学校を訪れた上に、かつての恩師のクラスに当たるという話は出来過ぎであり、まるで「私が彼女に会うために前もってリサーチしていたのでは?」というストーカー疑惑を持たれはしないだろうか…
そんな不安はあったが、彼女は以前と変わらない姿勢で私を迎えてくれて、私は彼女の授業の手伝いをすることになった。
私は6年生のクラスに参加することになったため、比較的年が近い子たちと関わることになったわけだが、私はその学校の出身者ではないため、知り合いは一人もいない。
だが、同じ門下生ということで、初対面であるにもかかわらず不思議な絆を感じた。
私自身、人に教える能力に加えに、学力も欠如していたため、簡単な手伝いしかできず、職業体験というよりも、交流会となったが、それでも楽しいひと時だった。
5年生に進級した後や、中学生になってからはつらいことも多かったため、かつて彼女の下で暮らしていた時の平穏な時を思い出した。
ちなみに、後輩である彼らからは「S先生って、昔はどんな人だったの?」と何度も聞かれた。
「多分、今と同じだったよ」
私はそれらしく答えをひねり出したが、その質問に答えづらい理由はこの記事に書いた通りである。
帰りのホームルームでクラス全員による別れの言葉を用意してもらい、彼女からは「ぜひ、また遊びに来てね」と言われた。
まあ結局、その後のお誘いはなく、こちらから伺う機会もなかったため、この場所で再会することは実現しなかったが…
・②:バイト先に社会科見学の引率でやって来る
次に彼女と再会したのは職業体験の2年後、私が高校生の時である。
当時の私はスーパーでバイトをしており、そこに近隣の小学生が社会科見学でやって来ることになった。
その日は平日だったが、私は授業がなかったため、昼間からバイトに入っていた。
社会科見学のことは事前に知らされていたが、もちろん、私が案内することなど無いため、何も関係ないと思っていた。
商品陳列のために店内へ出ると社会科見学の一行を見かけた。
私は彼らの邪魔にならないように道を空ける。
行列の一番後ろに担任の先生と思われる女性がいた。
私は軽く会釈をしたが、よくよく見ると、その人はS氏だったのである。
彼女も私を認識したのか驚いた表情を浮かべていたが、他の人の手前、再会を喜ぶ話をするわけにもいかず、結局、一言も会話はなかった。
2年前は私が彼女の職場を訪れ、今度は逆に、彼女が私の職場にやって来るという不思議な縁である。
余談だが、そのスーパーで働いていた時は、かつて職業体験で出会った児童が客として来店して、偶然再会したこともあった。
・③:成人式をきっかけに母校を訪れる
3度目の再会は私が20歳の時である。
成人式の数日後に、クラスのお別れ会で彼女に預けたタイムカプセルを引き取りに向かうことになった。
ちなみに、私は式へ参加していない。
その理由は、同窓会やご近所ファシズムの記事で説明した通り、一部の元同級生や、彼女の後に担任だった男の顔も見たくなかったからである。
というわけで、彼女が式にやって来ることは聞いていたが、欠席することにした。
失礼なのは承知していたが、変にトラブルを起こす方がよっぽど迷惑になると考えていた。
式へは欠席したもの、かつての同級生で、卒業後も付き合いがあった友人のマサル(仮名)に電話をして、約束通り、式の後に彼女からタイムカプセルを受け取ったことと、彼女は偶然にもその年から私たちが通っていた学校で働いていることを聞いたため、直接学校へ取りに行くことにした。
この時は彼女と会うのは3年ぶりである。
すでに高校を卒業し、式を欠席した理由も表向きは「仕事のため」と答えたことから、自然と「今はどんな仕事をしているの?」と聞かれることになった。
早川:「ごく普通の会社に勤めて、ありふれた仕事をしていますよ」
S氏:「そうなんだ。もう働いているなんて偉いね」
早川:「ははは…、ありがとうございます」
とっさにそう答えたが、本当は親のコネで入った会社でフリーターをやっていた。
ちなみに、冒頭で触れた、私のように卒業後何度も再会することは珍しいというのは、この時に言われた言葉である。
なお、この時にこうして出身校を訪れることになったのは、あくまでも成人式で会いたくない(多数の)人物との接触を回避した結果である。
決して、彼女と個人的に会う口実を作るために、わざと式を欠席したわけではないことを断っておく。
④:スーパーで買い物中に遭遇
成人式という一大イベントが終わったから、もう彼女とは当分会うことはないだろう。
そう思っていたが、その3ヶ月後には、またも彼女と再会を果たすことになった。
その場所は近所に新しくできた大型スーパーである。
その日は家族が全員不在だった私は、自分で夕食を確保するべく、そのスーパーで買い物をすることになった。
私はその店のオムライスが好物だったため、買い物をカゴを片手に総菜コーナーへ向かった。
いつもオムライスが置いてある場所の前には一人の女性が立って、商品を眺めていた。
私は彼女の後ろが去るまで、少し離れた場所から眺めていたが、その女性の姿はどこか見覚えがある気がした。
彼女は紛れもなく、S氏であった。
その店は彼女の勤務先の小学校からも近いため、仕事の帰りに夕食を買っていたのだろう。
私は彼女に声をかけることにした。
「あの、すいません。Sさんじゃないですか?」
彼女はやはりS氏だった。
その時は軽く世間話をしたが、今になって思うと、あの時は声をかけて良かったの分からない。
今の時代も同じなのかは知らないが、私が子どもの頃は学校で「手作り料理神話」をしつこく聞かされていた。
曰く、「時間をかけて手作りの料理を子どもに食べさせることが親の愛情で、出来合いの総菜を買うなど育児放棄である!!」というような理屈である。
彼女の気持ちは定かではないが、学校でそのような話を説いている以上、教師である自分が出来合いの総菜を買っている所は見られたくないと思う方が自然だろう。
⑤:親戚のお迎えで母校再訪
その次の再会は1年後だった。
その日は平日だったが、シフト休だった私は一日中家にいた。(なお、その時働いていたのは、このブログでも度々登場するこの職場である)
すると、祖母が私の部屋を訪れ、当時は小学生だった身内の子どもが足を負傷し、車で迎えに行く必要があるが、彼女の両親が仕事で不在のため、代わりに迎えに行って欲しいと言われたため、車で彼女が通う小学校へ向かうことになった。
ちなみに、迎えの場所は正面玄関ではなく、駐車場に面していた体育館だった。
体育館を訪れた私は彼女の担任教師から怪我の具合について報告を受けたのだが、およそ10年ぶりに足を踏み入れる母校の体育館が感慨深くなり、肝心の話はほとんど耳に入らなかった。
一通りの話を終え、車に向かおうとすると、聞き慣れた声の主から、懐かしい名前の呼ばれ方をした。
声の方を振り返ると、そこにはS氏が立っていた。
S氏は身内の子が私と同じ苗字であり、(私たちには全く自覚がないのだが)動きや顔立ちも私が小学生の時とよく似ていることから、彼女が私の親類であることを確信し、迎えに来るのが「親類の20代前半の男性」であることを聞いて、それが私だと悟って会いに来てくれたのである。
今回は、前回会った時にはまだ持っていなかった車の免許を取得したことで、私がまた一歩成長したことを喜んでくれた。
身内の子どもの担任教師は、私たちが旧交を温める再会した様子を見て、「S先生とお知り合いだったんですか?」と聞いてきた。
私は冗談半分、本気半分で「はい。Sさんから『来い!』と言われたら、どこからでも飛んでくる間柄ですので」と答えた。
彼女からお呼びがかかるかどうかは分からないが、また、今度もどこかでバッタリと会える気がした。
小学校を卒業して、最初に再会してからは5年間で、5度も彼女と会うことになったため、どこか「またすぐに会える」気がしていた。
しかし、今の所、それが彼女との最後の出会いとなっている。
・次に再会する時はどんなことを言われだろうか?
以上が、恩師であるS氏と再会したエピソードである。
大半は偶然であり、職業体験の時はともかく、ほとんどが感動的なことや、面白いことは一切ない、ごく平凡な出会い方である。
今度会うことになったら、彼女は今の私を見てどんな言葉をかけてくれるだろうか?
職業体験の最終日、彼女は自身の教え子たちにこんなことを言った。
「皆も中学生になったら、早川君のような人間に成りなさい」
当時の私はすでに優等生コースから脱落しており、そのことも事前に正直に伝えておいてから、それが建前や社交辞令であることは分かっていた。
あの時からおよそ15年、最後に会った時からすでに10年が経過しようとしているが、思い返せば、私がやっていることはその頃からほとんど変わっていない気がする。
今の私は正社員として働いているわけではなく、結婚もしていない。
つまるところ、人から「立派だね」と言われることは何一つない。
だが、「立派」でなくとも、「フツー」の生き方ができなくとも、私にしかできないこともある。
このブログを書くこともその一つである。
世の中を変えることはできなくても、他人が自分と同じ過ちを犯さないよう止めることはできるかもしれない。
「フツー」の世界から疎外された人に、少しでも希望を与えることはできるかもしれない。
私はあの時からは少しは前に進んでいることは確かである気がする。
今度彼女と会う時は、今の自分の姿を堂々と打ち明けることができる人間になっていたいと思っている。
次回は特別なエピソードがなくとも、今でも大切に思っているもう一人の人物の話をしようと思う。