少し前のことだが、同僚が上司に対して
と有給休暇申請ならぬ、定時退社申請をしていた。(なぜ「定時で帰る」という当たり前のことに、そこまで気をつかうのかは不明だが…)
上司が(口約束であるにせよ)その申し出を承認すると、彼女はウキウキ感全開で他の同僚に同窓会の話をしていた。
彼女の話によると、今回は学年全体で行う同窓会ではなく、中学3年生の時のクラスメイトだけで行うもので、それを今年の3月に行うことに特別な意味があるらしい。
彼女は現在30歳なので、彼女が中学校を卒業したのは2005年、今から15年前になる。
ということは、今年は中学校を卒業してから、ちょうど2倍の年齢を重ねた年になる。
そして、当時の担任教師が今年で定年を迎えるという不思議な縁もあって、(誰が言い出したのかは不明だが)どうしてもこのタイミングで同窓会を開きたいと思ったらしい。
そんな彼女の話を聞いていると、私はつい自分のことについて考えていた。
・同窓会の定番ネタ
私も彼女と近い年齢だが、これまで同窓会というものに参加したことは一度もない。
同窓会では、どんな話が行われるのだろうか?
自分が参加していないからこそ、そこでどんな話が飛び交うのかには興味がある。
他人の話やメディアを通じて間接的に見聞きした情報を整理してみると、おそらく同級生や担任の教師と当時の話を懐かしむことになるであろう。
その中にはかつて教師に反抗していた元生徒が
「あの時、先生に言われたことが、今になって分かるようになりました」
「あの時、先生が叱ってくれたから道を踏み外さずに生きることができました」
と涙ながらに感謝するシーンがあるかもしれない。
自分も就職して、家庭を持ったことで、かつてはガミガミとやかましいだけだと思っていた先生のお説教も、本当に自分たちのことを考えて言ってくれていたことが理解できるようになった…
…と、本来なら感動するところかもしれないが、私はかつての担任の教師と再会する機会があったとしても、このようなことを言える姿がどうしても想像できない。
ちなみに私が中学3年生の時はたまたま学校全体の生活指導を担当している教師がクラスの担任だった。
そのためか、私が在籍していたクラスでは他所よりも一段と規則が厳しかった。
クラス運営のルールだけではなく、一人が好ましくないことをすれば、クラス全員でお説教を受けた。
・当時の先生のお説教は正しかったのか?
さて、学生の時は理不尽だと思っていたお説教の中に、今考えると「あの時先生が言っていたことが分かるようになりました!!」と思えるものはいくつあるだろうか?
意地悪にも、当時の先生から言われたことをいくつか挙げて、それは本当に正しかったのか検討してみよう。
お説教①:学校は勉強をする場所だから、お菓子を持ってきてはいけない!!
大人になってからの感想:×
これは教室の片隅にお菓子の包み紙が落ちていた時に言われたこと。
他の学級の生徒が持ち込んだ可能性もあるため、犯人捜しは行われなかったが、この言葉で念を押された。
私自身は「学校でお菓子食べたい」と思ったことはないが、大人になって考えると全く理不尽なルールだと思う。
「学校は勉強するための場所」ということは完全に同意する。
だからこそ、間食を禁止されて空腹になるとお腹が鳴る音が気になって授業どころではない。(私が大人になってからの苦しみはこの記事をご覧いただきたい)
お菓子がダメなら、せめて早弁を解禁してもらいたかった。
お説教②:子どもの時から携帯電話に慣れてしまうと将来は携帯依存症になる!!
大人になってからの感想:×
中高生の携帯電話の所有率が増えてきたため、携帯の持ち込みを求める声があった時に言われた言葉。
携帯依存(後のスマホ依存)は個人差によるものが多い。
子どもの時から携帯に親しんでも、自制できる大人はいるし、現在の40歳以上の人で中学生の時から携帯電話を使っていた人はほとんどいないだろうが、そんな年代の人にもスマホ依存症の人はいる。
せめて、「勉強の妨げになるため授業中は使用禁止」くらいの言い方なら同意できたが…
お説教③:風邪を引いたくらいで学校を休む癖がつくと就職してから苦労する!!
大人になってからの感想:△
風邪で3連休した生徒が休み明けに登校した時に言われていた言葉。
今振り返ると問題発言だが、このように考えている(ブラック)企業も多いため、100%間違いだとは言い切れないのが悔しいところである。
お説教④:勉強は学生の時しかできない!!
大人になってからの感想:×
勉強する気がない人は誰しもが親や教師から言われたことのある言葉。
とは言ってもね、私は学校を卒業した21歳から英語の勉強を始めて、周りから「もう遅いよ」と言われながら、独学で英検準1級までは辿り着いた人間だから、これは完全な間違いだと言える。
もしも、「勉強するためにはお金がかかり、それを無償で受けることができるのは恵まれたことだ!!」という言い方なら〇だったのだが…
お説教⑤:校則は理不尽だが、社会にはもっと酷い理不尽がある!!
大人になってからの感想:×
「校則は理不尽なものだ」と素直に認める姿勢は大変立派だと思う。
それに働き出してからも「パワハラ」「不払い残業」「アルコールハラスメント」など理不尽な出来事に遭遇することも事実である。
ただし、それはあくまでも犯罪として取り締まるべきことなので、「理不尽に耐えなければならない」というものでは全くない。
そこを勘違いしていると思われる。
お説教⑥:中学校の時の友達は一生ものである!!
大人になってからの感想:△
卒業式の前日に行われた最後の授業に言われた言葉。
中学の時の友人はどうしても地縁と結びついてしまうため、自分も相手も地元に残った時はそのまま友人関係を続けることができるが、どちらかが地元を離れた場合は関係を継続することが難しい。
私自身のことについて触れさせてもらうと、当時よく遊んでいた友人が2人いて、その関係は20歳過ぎまで続いたが、1人とはそれ以来1度しか会っていない。
そして、もう1人とは6年近いブランクがあったが、今ではまた私が地元に戻った時に食事へ出かける仲には戻った。
というわけで、この言葉の正しさは相手によるとしか言えない。
お説教⑦:今は「自分は自由でいたい」と思っていても、適齢期になったら結婚して家庭を持ちたいと思うようになる
大人になってからの感想:×
そもそも、適齢期とは何歳から何歳までのことを想定しているのかは個人によって異なる。ちなみに彼は「20代後半から」と言っていたため、ここでは26歳~と考えていいだろう。
現在の私は26歳を通り過ぎた。
しかし、この年になっても安定した会社で働いて家庭を築きたいと思ったことは一度もない。
それどころか、今は自称:フツーの社会人的な生き方は断固として拒否する生き方を選択している。
私にはやりたい仕事もなければ、結婚したいと思う相手もいないのだから、「欲望に従うか? 自分の生き方を貫くか?」と迷う必要がないのは幸いである。
お説教⑧:今の生活の幸せは2年経ってから実感するようになる
大人になってからの感想:〇
これは彼が常々私たちに言い聞かせていたこと。
今は何でもないと思っている当たり前の生活が2年後くらいにはかけがえのない物だったと気づくという考えである。
だから、「2年後に後悔しないように今を一生懸命生きよう!!」とよく言われた。
ちなみに「なぜ2年後なのか?」はあくまでも彼の感覚的なものであり、特に意味があるわけではないらしい。
だが、この言葉を聞いて以来、私は常に2年前の生活は良い面しか記憶に残らなくなってしまった。
おそらくこの記事で説明した「忘れてしまう痛み」が消えてしまったのだろう。
根拠があいまいで迷信のようなお説教だけは、なぜか正しいと思えるのは不思議である。
・正しいと思えたお説教はいくつあった?
中学3年生の時の担任の教師から説教されたことで、パッと思いついたことは以上の8つになる。
さて、卒業後10年以上経過した私が振り返ってみて、
・〇:(正しかったと思えるお説教)1つ
・△:(間違いではないと思えるもの)2つ
・×:(現時点では間違いだと思うもの)5つ
△を除外して数が6つで、その内〇は1つだから、1÷6で0.1666….
打率にして1割6分7厘
プロ野球選手がこの打率ならレギュラー剥奪である。
人生の先輩としてのお説教は意外と当たりませんね。
とは言っても、これはあくまでも私の一方的な言い分に過ぎない。
仮に彼が私たちに100のお説教をしてきたとして、その中でどうしても私たちに伝えたかったことが5つあったとする。
それを今改めて言われれば、私がすべて同意できるものであったとしても、私がそれを全部忘れてしまっていて、日常の中で言われた些細な小言レベルのことしか覚えていなかったために「先生の説教など大したことはない」と勘違いしている可能性も無いとは言えない。
一方で、今後、当時の担任の教師に再会して、当時の私たちに本当に伝えたかったことを聞いたとしても、人間は年を取って丸くなっているだろうし、たとえ教え子であっても(余程、道を踏み外した人が相手でなければ)大の大人に説教することに抵抗を感じることもあるだろうから、本音を聞き出すことは難しいだろう。
当時は私たちのことをあれほど叱っていた先生が本当に伝えたかったことは何だったのだろう?
今となってはそれを確かめる術はない。(なんだか故人に対する思いのようになっているけど、彼の訃報は今のところ入っていない)
ちなみに卒業文集で彼が私たちに向けたメッセージでは、
というような(それまで聞いたことのないくらい)前向きなメッセージが書かれていたが、できることなら、特別なことはなく、普段通りの説教くさい文章でもいいから、10年、20年経って改めて目を通した時に思い出してもらいたいことを書いて欲しかった。
そして、同窓会で再会した時にそれをつまみにして酒を飲むことができれば、それはなんと楽しい宴になるのであろう。(もっとも私は特別な席でも酒は一切飲まないが…)
・卒業生には「みらいへ向けた手紙」を書いてみよう
というわけで、今年卒業するクラスを受け持っている担任の先生たちには、少々堅苦しくてもいいから、生徒たちが大人になった時に改めて読み返すことを想定して、本当に覚えておいてもらいたい言葉を贈ってもらいたい。
小難しくなったり、別れの言葉にふさわしくないものであっても構わない。
学生の時にはそれが理解できなくても、大人になったらその正しさが身に染みることもきっとあるから。
以下は簡単なものではあるがテンプレートとしてご利用ください。
「先生の手紙を読んでいる みらいの君へ」
大人になった君は あのとき描いていた夢をかなえることができましたか?
あのときの友達とは今でも仲良くやっていますか?
君が〇学生のときに 先生は何度もお説教をしてきました。
あのときは こんなお説教をされても嫌な気持ちにしかならないと分かっていたけど、何度も言い聞かせることが みらいの君のためだと信じていました。
今日は先生が みらいで羽ばたいている君へ どうしても伝えたい言葉を改めて贈ります。
お説教①
お説教②
お説教・・・
あのとき先生が言ったことは いくつ覚えていましたか?
むかし先生が言ったことで、大人になった君が正しいと思えるものはいくつありましたか?
大人になった君が少しでも多くの言葉に共感してくれることを期待しています。
しかし、たとえ君が先生のお説教を覚えていなくても、先生は今の君が笑顔で幸せに暮らしていることを何よりも願っています。
先生より