前回の記事は学生時代の同級生と地元の話が中心だった。
テーマは変わるものの、今日も引き続きこの2つが中心となる。
今日は高校を卒業後に、私が地元で元同級生を目撃して感じた男女間の格差について取り上げたい。
・「俺たちまだ小学生だぜ」という感覚が吹っ飛ぶ
これまで何度か触れたことだが、20歳前後の時の私はかつての同級生たちと地元で楽しく過ごしていた。
だが、それは刹那の幸福に過ぎず、彼らが立て続けに就職すると、徐々に疎遠となり、気付くと1年以上も友人がいない生活を送っていた。
そんな中、私が久しぶりに学生時代の元同級生と再会したのはこの記事で紹介した初めて(※)ハローワークで探した職場で働いていた時のことである。
(※:厳密に言えば、2度目なのだが、最初の職場は1日でクビになったため、実質はこちらが最初だと考えている)
その日は大晦日であったが、小売業で働いていた私はいつものように仕事をしていた。
とはいっても、職場は田舎のスーパー。
そんな店へやって来るのは、のんびりと年を越す予定の地元の高齢者か、帰省者であり、都会の店のように「大晦日は書き入れ時だ!!」というような殺気だった雰囲気は微塵もなかった。
逆に、仕事の分量から私の退勤時間は通常よりも前倒しされることになった。
そんな理由から、いつもより上機嫌で店内の商品陳列をしていると、近くに子どもを連れた若い夫婦がやって来た。
子どもは女性のことを「ママ」と呼んでいたから、彼女がその子の母親なのだろう。
最初はただの親子の買い物客だと思っていたのだが、その女性と目が合った瞬間、私は彼女が中学生の時の元同級生であることに気付いた。
彼女と私はかつてのクラスメイトであったものの、特に親しかったわけではなく、お互いの存在を認識し合ったが、特に言葉を交わすこともなかった。
小売業で働いている以上、元同級生が客として職場に現れることは不思議ではない。
しかし、彼女が子どもを連れていたことには驚いた。
しかも、子どもは自分の足で立ち、言葉を発することもできたため、おそらく生後半年や1年といった年齢ではない。
彼女は一体何歳の時に出産したのだろうか?
かつて、ドラえもんで「ジャイアンが結婚!?」というエピソードがあった。
メインテーマはタイトルの通り、ジャイアンの将来の結婚なのだが、話はスネ夫がのび太とジャイアンを自宅に招き、お菓子を振る舞いながら、2人にこんな依頼をすることから始まる。
彼は隣のクラスの女子児童に恋心を抱き、将来は彼女と結婚したいと考えているため、彼女と会う機会があれば、自分がいかに素晴らしい人間であるかをそれとなく伝えてほしい。
それを聞いた二人は困惑し、こんなことを言うのである。
のび太:「何言っているの? スネ夫!」
ジャイアン:「俺たちまだ小学生だぜ!」
当時21歳の私はこのシーンを思い出した。
私はすでに学校を卒業して、成人もしていたが、同級生の多くがまだ大学に通っている年齢であるため、自分のことを大人だと思ったことはなかった。
自分自身はおろか、同じ歳の人間であっても、結婚などまだまだ遠い未来のことだと思っていた。
そのため、同い歳の知人が「結婚する!!」と宣言したら、先の2人のような反応をしていただろう。
だが、元同級生で、自分と同じ年齢である彼女に子どもがいる様子を目撃したことで、私の中にあった「俺たちまだ小学生だぜ」という感覚は一気に吹き飛んだ。
・20代における結婚の男女格差
随分と長い前置きとなったが、本日取り上げたいテーマは「地元に残った元同級生の結婚」である。
なぜ、「地元」で暮らしている元同級生に限定したのか?
それは、地元を離れた元同級生の動向が全く掴めていないため、彼らが結婚したのか、それとも、していないのかが一切不明だからである。(追記:地元から離れた同級生についてのわずかな情報は関連記事で少し紹介している)
同窓会に招待されたことも一度もない。(嫌いな人や会いたくない人もいるから招待されても参加するつもりはないが…)
21歳ですでに母親となっていた彼女を目撃した時の記憶は今でも忘れられないほどの衝撃だったが、その後も、地元で目撃した元同級生の女性の多くはすでに結婚していた。
いずれも本人たちと直接話をしたわけではないが、先の彼女の他にも、私が販売の仕事をしている店に子連れで来店していたり、スーパーや病院で働いている姿を目撃した際に名札の姓が変わっていたことを根拠に、彼女たちはすでに結婚したものだと判断した。
その他にも、私の母親から元同級生が結婚して近所に引っ越してきたことや、同僚から子どもの通う保育園で私の元同級生(最初は結婚後の苗字を聞かされたため、誰のことだか分らなかった)が保育士として働いていることを伝え聞いたことがある。
このように、学校を卒業した後も地元で生活を続ける元同級生は多くが結婚していた。
ただし、女性に限った話である。
対照的に、地元に住み続けている男性で、結婚していることが確認できた元同級生は一人もいない。
私が東京へ出てきたのは20代半ばの時だったため、私が目撃した結婚している女性も、結婚していない男性も「20代の時」の話となる。
つまり、20代の時点で多くの女性は結婚するが、男性は結婚していないということになる。
なぜこのような格差が生じるのだろうか?
まず考えられるのは「年功賃金仮説」である。
実際に彼(彼女)らに聞き取りをしたわけではないため推測の域を出ないが、20代で結婚している女性の多くは年上の男性と結婚しているではないかと思われる。
もしも、地元で働いている男性の給料が年功賃金であれば、この現象は説明できる。
20代の男性はまだ給料が低いため、家族を養う余裕はないが、女性が少し年上の相手と結婚すれば、十分に生活できるだけの生活費を手にすることができる。
しかし、私の地元にはそんな太っ腹な企業などまず存在しない。
もしかしたら、市役所のような数少ない安定した仕事に就いている相手と結婚した(または本人がそこで働いている)のなら別かもしれないが、「バカの**覚え、お笑い自称社会人」のように限定された生き方をさも標準的な存在であるかのようなアホなことを言ってはいけない。
ちなみに、「男一人の稼ぎで家族を養うことができる仕事がなければ、女性が共働きで家計を支えることができる仕事があるのか?」と言われれば、そんなことはない。
というか、地元の恥を晒すようで大変忍びないのだが、それは片働き以上に難しい気がする。
収入面のみに目を置いても、看護師のような仕事はともかく、多くの仕事の時給は最低賃金+数十円といったところである。
具体的な平均年収は分からないが、そんな収入で彼女たちは一体どのように生活しているのだろうか?
・非貨幣的資本を巡る謎
それではお金以外の資源についてはどうだろう?
以前、「小学生の子どもの世話をするために仕事を休む親」や「『普通』と呼ばれる生き方をしている人は昭和時代ですら多数派ではなかった」という記事で書いた通り、地元で暮らし続ければ、親族や古くから付き合いがある友人のネットワークに組み込まれているため、夫婦二人だけですべての経済的負担や育児を担う必要はなくなる。
彼女たちも多くはこのような人間関係資本を利用して生活しているのかもしれない。
だが、それでは男性が結婚できない理由を説明できない。
周囲の人間に助けてもらうことを当然だと考えているのであれば、彼らも同じように若くして結婚しているはずである。
しかし、彼らはそうしていない。
仮説に仮設を重ねた上での考えだが、
①:女性は最初から親族の助けを借りることを前提としているため、低い収入であることが結婚の妨げにはならず、若いうちから結婚をする。
②:男性の場合、20代の時は「一人の稼ぎで家族を養わなくては!!」という男性稼ぎ手モデルに固執し、それに見合った収入を得られない現実から、結婚を避けていたが、年を重ねるに従って、現実と妥協し、お互いの親族の助けを借りることで結婚へ踏み出した。
この2つが重なったということだろうか…
・まとめ……というか弁解
この記事に書いた通り、私は地元に住んでいた時には(離婚経験者を除くと)40歳を過ぎても独身の女性を見たことがなかった。
そのため、彼女たちも「結婚以外に生きる道はない」と悟ったことは想像に難しくないのだが、20代でその決心ができた理由は今も謎のままである。
繰り返しになるが、今回取り上げた内容は本人から直に話を聞いたわけではなく、あくまでも私が目撃した姿や地域の暮らしぶりから想像したものにすぎない。
また、対象者自体が、そもそも私が目撃したわずかな人数でしかない。
同窓会に参加して、一人ひとりに聞き取りでもすれば、もう少しマシな調査ができるのかもしれないが、そんなことを聞く勇気はないし、そもそも呼ばれたことすらない。
今回の記事は、結局のところ、疑問点を並べただけで、何の分析にもなっていないことを断っておく。