ブログを2年間続けることで現実を変えることはできたのか?

2018年の年末にブログを始めてからおよそ2年が過ぎた。

本来であれば、ちょうど丸2年を迎えた昨年の12月に行うべきだったのかもしれないが、今日は年度末ということで、これを機にブログを続けたことで私の生活がどのように変化したのかを振り返りたいと思う。

・このブログは現実を変えることはできたのか?

「現実を変える」といっても、私は何も「世界を変えたい!!」などと大それた考えは持っていない。

副業として毎月数万の小遣いが稼げるとも思っていない。

ただ、「ブログを書くことで、この単調な生活を変えることができるなあ…」と密かな思いを抱き続けていた。

結論から言わせてもらうと、その願いは叶っていない。

プロフィールに書いている通り、ブログを始めるきっかけは日本へワーキングホリデーに来る予定だった某国人と2人で海外へ向けて日本の生活情報を発信することだった。

最初は彼と私の2人で始めて、同じような目的を持った仲間を他に数人集めて、34人体制で運営したかった。

もちろん、利害関係による付き合いなのだが、ブログの運営を通して彼らと友達になりたいと思っていた。

月に1回程度、日曜日に会議と称して家に集まって、その延長で遊びや食事に出かける。

そんなことを夢見ていたが、(幻の)相方にバックレられてその計画は頓挫した。

それでも、わずかな希望を信じてブログを始めてみたが、所詮は何の計画性もなく場当たり的に始めたものに過ぎず、次第に趣旨も変わり、気付いてみたら完全に私がプライベートオピニオンを語るだけの場と化した。

当然、そんなブログで仲間など作れるはずもない。

弟子入り志願者はいたが、他人に手伝ってもらうことなど何もないため、お引き取り願った。

そもそも、私は人に何かを教えることが得意ではない。

ブログの感想や自身の経験の提供、個人的な相談などでメールを送ってくれる読者の方は協力者であるが、仲間と呼べるほどの関係は生まれない。

これは弟子についても同じことが言えることだが、立場や、行使できる手段に差があると、そこには権力関係が生じる。

その力の差が大きい間柄を私はどうしても「仲間」と呼ぶ気にはなれないのである。

それでは、私はどんな関係を望んでいるというのか?

急にガキくさい話になるのだが、私は長年「ルパン三世とその一味」のような関係に憧れていた。

チームプレーで計画を遂行する以上、リーダー格のルパンが作戦を立て、仲間に指示を出すのだが、各々に誰にも真似できない特技があり、彼らは決してイエスマンではない。

仲間内の関係は至って対等なものである。

そんな関係を築ける人がいたらなあ…

って、いい年した大人が犯罪集団に憧れていることを公表していいものなのだろうか…

・得られたものもなくはない

「仲間を作る」という目標は達成されそうにないものの、それでも少しは私の生活に変化は起きた。

最も大きなことは、ブログという社会に自分の意見を表明する場所を持つことで、職場での承認欲求がなくなったことである。

私は普段からこのブログで主張している考えを持っている人間であるため、以前であれば、同僚、または上司が得意げな顔で社会を語る際に言い返すことが何度かあった。

たとえば、自分は株への投資経験などないにもかかわらず

「若いうちは貯金なんかせずにどんどん使え!!」

「銀行に貯金なんかしてもぜんぜん利息は付かないぞ!!」

「株に投資しろ!! ト**の株は数十年前の何倍もの値段になったんだぞ!!」

などと偉ぶって説教をしてきた50代のオヤジ社員に対して

「ふーん。じゃあ、その頃、**証券や日**航空の株を大量に買った人は今頃どうなったんですかねぇ?」

と言い返したら、それ以降、露骨に避けられたことがある。

この記事で紹介した年金の話も同じ類のものである。

このように、以前であれば、本音で言い返して逆ギレされていたのだが、ブログを始めたことで、「自分の意見はブログで発信すればいいんだ」と思い、こんなバカ共のことも適当に受け流すことができるようになった。

「その場で言い返さなくては、自分はこんな連中に屈服したことになってしまう」と思い込んでいて、職場の人にたちには「何でもハイ、ハイと同調するようなイエスマン」だと思われることを怖れていたものの、今ではそんなことなどどうでもよくなった。

会社など生活の糧を得るための場所に過ぎず、そんな場所で付き合う人間に本当の自分など理解してもらう必要などない。

よく言えば、ブログのおかげで「精神的な居場所ができた」のかもしれない。

・トータルで考えるとプラスか、マイナスか?

これまで、およそ週2本のペースで記事を投稿した。

既存の知識や記憶をアウトプットするだけでなく、記事を書くためにインプットした時間も多いため、ブログに費やした時間は相当なものになる。

成果(職場での承認欲求が消えた)を考えてみると、それは費やした時間に見合ったものなのだろうか?

正直、この程度のものなら、その時間をスキルアップのように生産性が上る他のことに費やした方が…

と思わなくもないが、それは甘ったれた幻想に過ぎない。

人間は欲深い生き物だから、リアリティが持てないことは想像力を都合のいいように働かせて、「徹底的に無駄を省けば、捻出された時間や空間、お金はすべてが有効活用されるはず」などと考える。

だが、事はそう思い通りに進まない。

以前の記事で取り上げたことだが、ゲームやスマホの使用時間を規制すれば子どもたちはその時間を勉強やスポーツに向けると考えているバカな大人がいるのだが、そんなことをしたら、彼らは有り余る時間とエネルギーを発散するためにケンカや暴走族活動に向かう恐れもある。

そんなことは、テレビの視聴時間を制限されたら、空き時間に家事やスキルアップのための勉強などするはずもなく、癇癪を起こして家族に八つ当たりをするに決まっている自分自身の行動から容易に想像できるはずだが…

たとえ、ブログによって変えることができたことがわずかなものであっても、それがなければ、先ほどのオヤジと同じように、立場上絶対に反論などできない相手に対して、自身の主張を得意げな顔で展開するろくでなしのクズ人間になっていたかもしれない。

それだったら、まだ自分の意志で読むか読むまいかを選択できるブログで発言する方がマシである。

ちなみに、ブログを始めたことで「精神的な居場所ができた」といったが、それは危険と隣り合わせであることに気付いた。

ブログに没頭することで、他の事がおろそかになる可能性があるかもしれない。

たとえば仕事である。

「ブログこそが自分の本来の居場所」と捉えることで、「仕事なんて所詮バイト」という認識を生み、それが次第に「ここは自分の居場所じゃない」「こんな所よりも他にいい稼ぎがあるはず…」という思考つながれば、仕事に身が入らなくなる危険性がある。

もしも、ブログで毎月フルタイムで働くことと同額の収入があるのなら、それでもいいのかもしれないが、現状そのレベルには到底及ばない。

ブログを続けることによって、自分の生活を若干は変化させることはできたが、所詮は秘密の趣味と呼べる領域に過ぎないし、自身を「ブロガー」などと思ったことも一度もない。

そもそも、同僚にも家族にもブログを書いていること明かしていないため、名乗る機会自体がないのだが…

まあ、そのおかげで、自分を過大評価せずにいられるのかもしれない。

展望があるわけではないが、これからも、このペースで細々と続けていくつもりである。