カナダのバックパッカー宿で出会った人たち②

前回は私がカナダへ行った際に相部屋となったイギリス人の話をした。

今日はその時に出会ったもう一人の旅行者の話をしたい。

・フランス人アンドレ(仮名)の場合

私が泊まった部屋には、もう一人の住人、フランス出身のアンドレ(仮名)がいた。

といっても、彼は毎晩、共有スペースで他の旅行者たちとトランプやボードゲームでどんちゃん騒ぎをしていたため、私は彼と部屋で顔合わせる機会はほとんどなかった。

明らかに私の苦手なタイプだと思ったが、私がお土産を買いに街へ出るという話をすると、彼も前日お土産を買うために街を散策していたため、いい場所を案内してくれると申し出てくれた。

私は彼と一緒に街を歩いている途中で身の上話をすることにした。

彼はフランスのトゥール(アンドル=エ=ロワール県)出身。

カナダにはワーキングホリデーのために滞在しおり、ブリティシュコロンビア州の田舎にあるコーヒー店で働いていた。

ワーキングホリデー期間中はずっと田舎で生活していたため、一度カナダの都市部を目にしたくてバンクーバーまで旅行に来ていたらしい。

私はイギリス人ジャックの時と同じく、彼の母国での暮らしと海外に出てきた理由を聞いてみた。

彼が学校を卒業した後に最初に就いた仕事は配達の仕事。

しかし、その仕事は数ヶ月で解雇。

その後はデパートで警備員として働いていた。

この仕事は長く続いたが、退屈で給料も高くない。

彼がワーキングホリデーで海外へ行こうと思い立ったのも仕事への不満が原因か?

たしかに、彼はその仕事が楽しいとは思わなかったが、彼が地元を離れたがっていた一番の理由は「地元には友達がいないことであり、その退屈な生活に嫌気がさしていた。

・遊び人の意外な過去

この告白には驚いた。

私が宿で見ていたアンドレは常に大人数でゲームやおしゃべりに興じていた。

しかも、一緒に居た人の多くは女性だった。

遊び慣れている人にしか見えなかった彼にまさか「友達がいなくて寂しいから」という理由で母国を離れた過去があったとは思いもしなかった。

とはいえ、その不満は「海外へ出て行こう」とまで思うものなのだろうか?

そして、海外へ出たからといって、簡単に解消するものなのだったのか?

この時点で私はペンパルサイトを2年ほど利用していたが、「寂しいから友達が欲しい」と考えている人は何人も見てきた。

そして、その希望が満たされることがなく短期間で連絡を絶つことが珍しくない。(詳しくはこの記事に書いている)

「友達が欲しい」というのはもっともらしい動機に聞こえるが、実は地雷である確立が高い。

彼も同じような類の人間なのだろうか?

そう考えると、彼が毎晩大勢でバカ騒ぎしている様子が痛々しく思えた。

そんなことを思っていると私たちは宿にたどり着いた。

しかし、私は彼の話の続きが聞きたくて、その後もしばらくは彼と行動を共にした。

「フランスでは友達と楽しく遊ぶことができない」

彼はそう思って母国を離れたと言ったが、その不満は海外に出て解消されたのだろうか?

彼の話によると、彼はカナダに来て、最初はファーム(農場)仕事に就いた

そこでは、自分と同じように外国から出稼ぎに来ている人たちと友達になれたようで、仕事中に雑談したり、休日に出かけたりすることが何より楽しかったようである。

今は仕事を変えたが、彼らとの付き合いはその後も続いているらしい。

しかし、それは一時的な関係に過ぎず、ワーキングホリデーの期限が切れて、国を離れてしまったら消滅するものではないのか?

・そもそも「友達」とはどんな人のことなのか?

そもそも、アンドレはどんな人を「友達」と呼ぶのだろうか?

私はどうしても彼の考えが知りたかった。

なぜなら、ある時を境に「友達」という言葉の定義を根本から考え直さなければならないほどの経験をしたことがあるからである。

これは私が小学生の時の話だが、当時の私は同じクラスであるかに関係なく、休み時間や放課後に一緒に遊ぶ相手のことを「友達」と呼ぶのだと思っていた。

読者の多くの方もそうだったと思うが、子どもというのは大人の目から離れた場所で秘密を共有したがるものである。

だから、そのような大人の監視下から離れた世界で付き合える相手で、なおかつ、顔を合わさなければならない理由がなくてもお互いに「会いたい」と思える相手のことを「友達」と呼ぶのだと思っていた。

そんな考えで友達関係を保ち中学に上がったのだが、ある日担任の教師から衝撃的なことを言われた。

「クラスや部活のみんなと距離を置いているようだけど、ちゃんと『友達』はいるのか?」

え!?

なんで、クラスや部活動の人たちと距離を取っているからといって「友達がいない」ことになるの?

そういった表から離れたプライベートな場所で仲良くするのが友達じゃないの?

私はこの発言を聞いた時は「まあ、私も担任と私生活の話をしたりすることなんてないから、この人は私のプライベートのことを知らないんだ」くらいにしか思ってなかった。

しかし、その1年後、この言葉の本当の意味を知るできごとがあった。

きっかけは、同じクラスで小学生の時からの友達だった同級生と次第に意見の食い違いが生じて、完全にプライベートの付き合いが無くなったことである。

まあ、そのこと自体は「どっちが悪い」という話ではなく、お互いに納得して選んだことであるから全く遺恨のようなものはないつもりだった(少なくとも私には)。

しかし、プライベートな付き合いがなくなったため、私は彼のことを「友達」と呼ぶことはやめにした。

「格下げ」と称するには適切ではないかもしれないが、私にとっての彼の存在は「同級生」になった。

ところが、その後も彼は私のことを「友達」と呼び続けた。

そのことに違和感があった私は彼に尋ねることにした。

早川:「もう昔みたいに一緒に遊ぶ仲じゃなくなったのに何で俺のことを『友達』と呼ぶの?」

同級生(元友達):「え!? だって同じクラスで毎日会ってるじゃん!?」

それを聞いた私は呆気にとられたが、同時に1年前に担任に言われたことと一致した気がした。

彼は私の元友達と同じく、クラスや部活動のようなシステムというべきか、表社会というべきなのかは分からないが、公的な付き合いがある間柄のことを「友達」と考えていたのだ。

だから、同級生と距離を置いていた私のことを「友達がいない」と判断したのだった。

その時私は、中学生にとっての「友達」とは、個人的に仲良くする間柄のことではなく、公的な場所で同じ集団に所属する相手のことであると知った。

そのことに一抹の寂しさを感じたが、それでも、私は今までの友達観を変えるつもりにはなれなかった。

とは言ったものの、それ以来、私は「友達」という言葉を気軽に口にできなくなったことは事実である。

今でもネットで出会った外国人から「あなたと友達(friend)になりたい」と言われたら、必ず即答しないようにしている。

・違う国の人だからこそ話し合えること

私は彼の考える「友達」の意味が知りたくて、彼に自分の友達観を伝えた。

日本人同士で「あなたの考える友達とは?」などという話をするのは恥ずかしくて気が引けるが、外国人相手では多少の意見の食い違いは「文化の違い」ということで片付けられるため、思い切ってこのような話ができる。

すると彼も私と同じ認識だったようで、それまでの不満を打ち明けた。

彼が地元の友達と遊んだのは高校生の時が最後で、彼も友達も卒業後は地元にとどまっていたものの、以前のように遊びに出かけるということは一切なかった。

日本では学生時代に仲の良かった友達でも、別の職場で働き出したら疎遠になることが珍しくない。

「職場の人間関係こそがすべての世界で、男は仕事で輝いてこそ一人前」

日本ではこのような考えの人を「社畜」と呼んで蔑むことが多いが、フランス(全土かどうかは分からないが、少なくとも彼の住んでいた地方)にも似たような考えの人がいらしい。

職場にも親しい人がいなかった当時の彼は仕事を除いて家に籠る生活を送っており、常に孤独を抱えていた。

フランスにいた時の彼は親と同居していて完全な孤立に陥ったことはなかった。

地元には娯楽がないわけでもない。

しかし、何かが違う。

彼が求めていたものは仕事の生きがいでも、カラオケやパチンコ、レンタルビデオ店(例えがあまりにも日本的過ぎて申し訳ない)のような消費の娯楽でもなく、隣にいて喜びや楽しみを分かち合う友達だった。

彼はそのことに気付いて海外へ出て、自分が本当に求めていたものに出会えた。

・二人の現在

前回紹介したイギリス人のジャックが海外へ出た理由は間違いなく金と仕事の問題。

極端な話、イギリスで満足な仕事が得られれば海外に行こうなど思いもしなかっただろう。

そして、オーストラリアでは仕事に恵まれた。

対して、フランス人アンドレの場合は母国に不満はないが、職場以外の人間関係のない退屈な生活が嫌で海外へ出て、そこで新しい世界を見つけることが出来た。

いい話風にすると、二人とも「海外へ出てよかったね」と言ってやりたいところだが、私が彼らに出会った時点では手放しでそのようなことが言える状況でもなかった。

ジャックはまだカナダに来て仕事を見つけることができていなかったし、アンドレもフランスではできなかった友達を作ることができたものの、それはあくまでも彼らが自分と同じ出稼ぎ外国人という立場であったからという理由があり、国に帰った後も同じ関係を維持できるかの保証など全くなかった。

私は彼らのことが気になったため、帰る前に連絡先を聞いて、その後も連絡を取り続けることにした。

そんな二人の現在だが、ジャックは現在カンボジアで英会話教師の仕事をしている。

オーストラリアで英会話教師の仕事が気に入った彼は、カナダ滞在中にもデパートで働きながらパートタイムでアジア系の居住者の子どもに英語を教えていた。

そして、カナダから離れた後もその道でキャリアを進めたいと思い、英会話授業を請け負う会社に就職してカンボジアで働いている。

一方で、アンドレはカナダでのワーキングホリデーを終えた後はフランスへ帰国して、それ以来、外国へ赴くことはなかった。

仕事は以前と同じ警備の仕事に就いている。

しかし、「これまでの退屈な暮らしに戻っただけか?」と言われればそうではない。

フランスに戻った彼は学生時代の友達の家を訪ねて、学校を卒業してからの出来事と友達への思いを吐露して、以前のような関係に戻りたいと告白した。

するとその友達も彼と同じく学校卒業後は友達がいなくて寂しい思いをしていたことを告げられた。

そうして、彼らは高校卒業以来途絶えていた関係を修復することができた。

それができたのは彼がカナダを去る前に現地で出会った仲間から、勇気を出して昔の友達に会うことを促されたからである。

友達がいないことに不満を持って海外へ出た男が、そこで出会った友達の助けを借りて、以前の友人との関係を取り戻すという遠回りになったが、海外に出たことが結果的にそれまでの悩みを解決することにつながった。

ジャックもアンドレも母国での生活が不満で海外へ出たわけだが、その経験を糧に今はしっかりとした生活を歩んでいる。

最近は彼らと連絡を取る機会も随分と減ったが、今の彼らなら何も心配いらないだろう。

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