前回の記事で、会話を楽しむためには自分と相手が同じ認識を共有しているという前提が不可欠であり、それを無視して日々の生活の愚痴をこぼしたり、相手が自分のことを分かってくれないと嘆くのは筋違いだという話をした。
同じ社会を生きている者同士ならともかく、ネットで知り合った外国人との会話で、その前提を構築することは簡単なことではない。
そこで私は、「彼らと海外の宿泊先で会話をしているつもりで話をすれば、自然と上手く会話ができるようになる」という話をした。
私がそのようなことを言えるのは、実際に海外の宿で相部屋になった外国人旅行者とそのような会話をした経験があるからである。
今から3年ほど前に、私はカナダのバンクーバーへ旅行に行き、宿代を節約するためにバックパッカーホテルに泊まった。
そこで相部屋となった人たちは決して社交的な性格でも、自分のことを饒舌に語れるほど充実した生活を送っていたわけでもなかった。
それでも、彼らはしっかりとした自分の考えを持っていて、自分の経験を言葉にして語ってくれた。
今日はそんな話をしたい。
・ワーキングホリデーで滞在中のイギリス人
バンクーバーの宿に着いた日、案内された部屋に入ると、そこには身長が2mはあるような大男が立っていた。
スタッフは私に部屋で過ごす時のルールや洗濯物の出し方などを一通り説明すると去っていき、部屋に居たのは私と大男の二人だけになった。
私は宿を共にする彼に名前と出身地、滞在予定期間などの簡単な自己紹介をした。
すると、彼も自分のことについて話してくれた。
彼は名前はジャック(仮名)、イギリス出身の27歳(当時)、ワーキングホリデーのためにカナダへ来ていた。
彼はその後も自分のことについて話してくれた。
二週間前にカナダへやって来て、それ以来この宿に滞在しており、現在は仕事を探していること。
カナダに来るのは今回が初めてで、前年もワーキングホリデーでオーストラリアへ1年間滞在していたこと。
カナダで1年間過ごしたら、次はニュージーランドへ行くつもりであること。
毎年のように国を変えて、ワーキングホリデーを楽しむ彼は旅行が好きな人なのだろう。
そう思っていたが、彼は意外にも「海外旅行は全然好きではない」と答えた。
それを聞いた私は彼がカナダへ来るまでの経緯について知りたくなった。
彼は私の質問に快く答えてくれた。
・母国での生活の不満
まずジャックが前年、オーストラリアへ渡った目的は仕事を探すためだった。
彼がイギリスを出るのはその時が初めてだった。
彼はイギリスでどんな生活を送っていたのだろう?
そして、それまでパスポートすら持っていなかった彼がなぜ海外へ出ることを決意したのだろうか?
彼は高校を卒業後、職業学校(日本の専門学校のようなものだと思われる)に通い、卒業後は機械修理の仕事をしていたらしい。
彼はその仕事を気に入っていたようで、数年はそこで働いていた。
しかし、その職場が倒産し、彼は別の仕事を探すことになった。
最初は同じような仕事を探していたがなかなか見つからず、何とか見つけた仕事は食品工場で野菜をカットする仕事だった。
その仕事は前職に比べると給料が安く、作業も単調で、体への負担が大きかったらしい。
そして、彼が何よりも辛いと思っていたのは労働時間の長さだった。
日勤の作業時間は朝の7時から夜の9時まで、夜勤では夜の8時から翌朝の8時まで、これが週5日勤務だった。
彼は何度もこの仕事を辞めようと思ったが、彼の住んでいる地域は仕事が乏しく、ブラック企業の経営者ではないが「仕事があるだけ、マシだと思え!!」という状態だったらしい。
ちなみに、彼の超過労働時間分の賃金はきちんと支払われていたが、イギリスでも日本でいうところの「サービス残業」のような残業代が支払われない会社も珍しくないらしい。
日本では、地方に住んでいて仕事に恵まれないというのであれば、「東京へ行けばいいじゃないか」と思う。
私は同じような感覚で「ロンドンのような都会へ出て、仕事を見つけようとしなかったのか?」と聞いた。
しかし、これはあまりにも的外れな質問だった。
ロンドンの家賃は東京よりも高いと言われている。
そして、ロンドンですら景気はあまり良くなく、すぐに仕事が見つかる見込みもなかった。
そのため、彼のように事務職や販売の仕事の経験がない人が、何の仕事のあてもなく出てくるのはあまりにもリスクが大きい。
仕事はつらい。
今の仕事を続けていても暮らしが良くなる見込みもない。
だからと言って、他に行く所もない。
完全な行き詰まり。
彼の感じていたことを日本語で表すと閉塞感だろうか・・・
そんな彼がネットで仕事を探している時に見つけたのが、海外インターンの募集だった。
その募集には応募しなかったが、これまで海外など全く興味のなかった彼に初めて、海外へ行くという選択肢が生まれた。
彼が最初に注目したのはオーストラリアでのワーキングホリデーだった。
オーストラリアを選んだ理由は最低賃金が高く、季節によっては簡単に仕事が見つかるからだった。
そして、英語圏ということもあり言葉で苦労することはないというのも大きな利点だった。
というわけで、彼はオーストラリアでワーキングホリデーを始めた。
・ここの生活がすべてではない
ここから自分の経験について語るジャックの表情が明るくなった。
彼がオーストラリアで最初に就いた仕事はホテルの清掃。
これは現地で知り合った人から紹介された仕事で、未経験にもかかわらず、給料は前職よりも高かったらしい。
未経験でも高時給だったため、仕事はどんなにハードなのかと身構えていたが、初めてみると拍子抜けするほど簡単な仕事で、イギリスでの仕事とは比べ物にならないほど働きやすかったようである。
次に就いた仕事はコンビニの店員で、それと掛け持ちでタイ人の子どもの英会話講師の仕事をしていた。
タイ語が話せない彼が、どうして英会話講師の仕事に就けたのかは不明だが、今まで経験した仕事ではこの仕事が一番楽しかったらしい。
彼はイギリスに住んでいた時は、とにかく仕事の不満しかなかったが、オーストラリアへ行って人生が変わったらしい。
他国での仕事を経験したからか、心に余裕ができて「イギリスでの生活がすべてではない」と思えるようになった。
私は彼に「イギリスに生まれて、何かいいことがあったか?」という質問をしてみた。
彼はイギリスに家族や友達がいるため、自分にとってイギリスは今でも特別な国だと言う。
しかし、自分が何よりイギリスに生まれてよかったと思えたことは公用語が英語だったこと。
そのおかげで、言葉の心配をすることなくオーストラリアやカナダへワーキングホリデーに行くことができた。
私のような日本人がオーストラリアにワーキングホリデーへ出かけようと思っても、時間をかけて英語を覚えないといけないため、「ワーキングホリデーに行きたいと思ったので、来月から出発します!!」と気軽に行けるものではない。
たしかにそれはイギリスならではのアドバンテージである。
彼はきっとカナダでも充実した生活を送ることができるだろう。
彼の話を聞いた私はそう確信したのであった。(その後の彼の様子は次回の記事で紹介する)