ペンパルサイトで出会った忘れられない人たち①(国際派、南アフリカ人青年の夢)

前々回Hi! Penpal!で出会った人の中で、すでに「過去の人」となってしまったものの、今でも忘れることができない人の話をした。

その記事を書いていると、他にもペンパルサイトで知り合ったたくさんの人たちが頭に浮かんだ。

というわけで、今日から数回にかけて、InterPalsのような他のサイトで知り合った思い出深い人たちの話をしようと思う。

20211月現在、彼らとは連絡を取っていないが、彼らとのやり取りは今でも貴重な時間だったと思っており、彼らは私にとって「殿堂入り」と呼んでいいほどの存在なのである。

ただ、現在は本人と連絡が取れず、記事を作成する承認も得られていないため、詳細は若干変更していることを事前に申し上げておく。

・相手はどんな人

・居住地:オマーン(出身は南アフリカ)

・出会った時の年齢:23

・性別:男性

・職業:オンライン英会話講師

・交流期間:合計13ヶ月(実質は6ヶ月)

私が彼と出会ったのは5年以上前の2015年であり、私にとってはかなり初期に出会った人物ということになる。

当時の彼はオマーンに住んでいたが、国籍は南アフリカである。

父は仕事の関係で、幼少の頃から、タイ、カンボジア、ベトナム、フィリピンなど様々な国に居住した経験を持つ国際派である。

・話のネタは多岐に渡る

私たちは最初に簡単な自己紹介をした後、お互いの生活の話をした。

彼は大学を卒業したばかりで、オンライン英会話講師として働いてはいるものの、週2時間の活動であり、食い扶持を稼ぐため、他にもパートタイマーの仕事を探していた。

オマーンも多くの国と同様に、新卒一括採用など存在せず、仕事に就くためには経験年数が問われる。

当然、学校を出たばかりの彼は職探しに苦戦していた。

そんな中でこんな面白い話を聞かせてくれた。

南アフリカ人青年:

昨日、パートタイムの仕事の面接を受けたんだけど、担当者からこんなことを言われたんだ。

「君は若過ぎるよ。その年齢でこの仕事ができると思ったの? そもそも、本当に23歳なの? 18歳くらいにしか見えないよ

落とされた上にこんなことまで言われて本当に腹が立つ!!

これは年齢が若いほど就職活動で有利となる日本との違いが表れるエピソードである。

ほぼ無職の彼は比較的時間があるためか、毎日のように私に連絡して来た。

当時の私は週5日、8時から5時までの仕事に就いていたため、私との会話は毎日(日本時間で)夜の1時間程度だった。

私とのやり取りは政治、社会、日常の些細な出来事まで広範囲に及んだ。

たとえば、政治ネタでは「世界で最も権力を握っているのは某国の国家元首なのか、それとも某グローバル企業のSEOなのか?」といったことや、「資本のグローバル化による先進国から新興国への富の移転」などを話した。

日本では無職の若者が大真面目に政治や社会の話をしていても、「そんなことはどうでもいいから、とにかく就職しろ!!」と罵倒されることが珍しくないが、海外では大学を出た志の高い若者が、無職であることは何も矛盾しないため、このような話を堂々とできる。

社会事情についての話は年金制度や、職場環境、人気の仕事、結婚生活の話が盛り上がった。

彼はアジア圏の国の生活に住んでいた経験があるためか、この話に興味があったようである。

それから、日常生活ネタでは最近購入した電化製品の話や、これまで遭遇したもっとも大きな災害の話をした。

また、小心者の私たちは、たとえインターネットであっても、見ず知らずの女性にメールを送るなど恐れ多くてできないため、男性だけにメッセージを送っていたが、返事をもらえる確率がとても低いことから、「彼らはこのサイト(InterPals)を出会い系目的で利用しているのではないか?」といったたわいもない会話もあった。

こういった話ができるあたり、彼とは、住んでいる場所は違えど、本当に年の近い友人のような関係だった。

・海外で働きたい本当の理由

そんな彼の将来の目標は「世界をまたにかける英語教師」になることである。

一時期はユーザー名を「International English teacher」に変えていたほどである。

彼がこの目標を持っている理由は彼の生い立ちが関係している。

彼の生い立ちを説明するのは若干複雑になる。

プロフィールに書いた通り、当時の彼はオマーンに住んでいたが、父親は南アフリカ人で彼も国籍は南アフリカである。

一方で、母親のルーツはアジア系とは聞いているそうだが、彼に物心がついた時はすでに彼の家にはいなかった。

だから、彼は自分の母に一度も会ったことはない。

彼の父は仕事の関係でアジア各国を転々としてきた。

彼は父がその海外赴任先で現地の女性と関係を持ったことで生まれた子どもである。

伝え聞いた話によると、父はその女性と結婚するつもりだったが、外国人と結婚してその国を離れることを危惧した相手方の親族から猛反対され結婚できなかったそうである。

しかし、母の家庭はとても貧しかったため、彼の将来を思って、比較的裕福な父が彼を育てることになった。

彼は幼少の頃から母のことを知りたがっていたが、父は彼に母のことを一切話すことはなかった。

彼が自身の生い立ちを初めて知ったのは、死期を悟った祖母が、「死ぬ前にどうしてもそれだけは伝えたい」と思い、知っていることのすべてを教えてくれた時である。

祖母の話と過去の記録を調べた結果、ある程度の見当はついたが、当時の父はいくつかの国を頻繁に行き来していたため、母は具体的にどこの国の女性なのかは特定できなかった。

彼が海外で働きたいと考えているのは、実際にその地へ渡って、一度も会ったことがない母を探すためである。

彼がアジアの国の生活を知りたがっていたのは、現地の生活に溶け込むためであり、英語教師を志していた理由も、その仕事なら世界各国に需要があると見込んでいたからである。

・カンボジアで職を得る

私が彼と出会った当初は毎日のように話をした。

さすがに1ヶ月を過ぎると毎日とはいかなくなったが、それでも数日に1度は連絡を取っていた。

そんな彼だったが、4ヶ月が過ぎた頃から生活に変化が生じた。

彼は希望通り英語教師の仕事を見つけたが、場所はオマーンから遠く離れたカンボジアであったため、引っ越すことになった。

そこは彼が目星をつけていた国ではなかったが、英語教師としてのキャリアを築くために、1年近くはカンボジアで働くことに決めた。

彼がカンボジアへ引っ越してからも私たちは連絡を取り合った。

話のネタは毎日の食事や、住まい、ルームメート、正月の過ごし方などもっぱら彼のカンボジアでの暮らしについてである。

彼は子どもの頃にカンボジアで暮らしていた経験があるため、現地に溶け込むのに時間はかからなかった。

だが、家族と離れた地でフルタイムの仕事をすることはやはり大きな苦労を伴った。

移住当初は数日おきだった連絡も、徐々に週1回となり、すぐに1ヶ月に1度程度まで落ち込んだ。

その後も細々と連絡を取り合い、彼と知り合ってから1年が経過した。

私もそうだが、彼もオンラインで知り合った相手と1年以上も連絡を取り続けたのは初めてだった。

その日は1周年を記念をして、1年間のやり取りを振り返ったが、彼とまともに会話をしたのは結局その日が最後になった。

その後も簡単な近況報告をして、彼がカンボジアでの仕事を終えた後は中国へ行く予定だということは聞いたが、その後は連絡が途絶え、新年のお祝いメールを送っても返事が届くことはなかった。

「世界をまたにかける英語教師になりたい!!」

それは世間知らずの若造が考える青い夢ではなく、実の母親を探すためという何とも壮大な目標であり、同じ「海外で働きたい」という動機であっても、「日本で働きたくないから外国へ行こう」と考えていた私との覚悟の大きさの違いに圧倒された。

今の彼は一体何をやっているのだろうか?

彼からの連絡が途絶えたのは4年近く前だが、未だにそのことが気になる。

そして、実の母に会うことはできたのだろうか?

可能性は限りなく低いかもしれないが、その夢が叶うことを私も心から願っている。

次回へ続く

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