前回は実の母を探すため、外国で英語教師として働いている南アフリカ人青年の話をした。
今日も同じく、異国で英語教師として働いている人の話をしたい。
・相手はどんな人
・居住地:中国(出身はフィリピン)
・出会った時の年齢:26歳
・性別:女性
・職業:英語教師
・交流期間:1年2ヶ月
前回の記事でも少し触れたが、私はたとえオンラインで出会う見ず知らずの外国人が相手であっても、自分から積極的に女性へメールを送ることが苦手である。
そんな中、彼女は私の方からメッセージを送った数少ない相手である。
理由は2019年の夏頃、「中国や韓国の英語教育は日本よりも数段進んでいる」という噂について調べるために、老若男女のバランスよく意見を集めようとしていたのが、まだ若年女性の意見を聞き取ることが出来ていなかった。(その時の話はこちら)
そんな時に、たまたま私のプロフィールを訪れた彼女がその条件に該当する人物だったため、私の方からアプローチすることにした。
…のだが、彼女は現在の居住地こそ中国であるものの、生まれも育ちもフィリピンだった。
・英語が話せない英語学校のスタッフ
彼女は私が期待していた中国の学校教育を受けた人物ではなかった。
しかし、外国出身であることに加え、職業が英語教師ということで、中国の英語事情について客観的な判断を下すことができるかもしれない。
そう思った私は彼女と話を続けることにした。
当時の彼女は蘇州市にある社会人向けの英語学校に勤務していた。
私が確かめたいことは「一般的な中国人は不自由なく英語が使えるのか?」であるが、そもそも社会人を対象にした英語学校が存在していること自体、「中国人は一般市民でも英語がペラペラである」という説を否定する根拠になっている気がする。
しかし、現地で暮らしている人に確認することは重要である。
というわけで、彼女には「あなたが住んでいる街では中国語を使わずに英語だけで生活することは可能か?」と尋ねてみた。
彼女の答えは否だった。
「街の人は」という前に、彼女の同僚にも英語が全く話せない人が珍しくない。
そんな時は直接話しかるのではなく、Wechatというアプリでやり取りをするらしい。
その理由は彼らが「英語の読み書きはできるけれど、会話が全くできないから」のようである。
これは「日本人英語できない論」と全く同じではないか!!?
ちなみに、読み書きができればマシな方である。
生徒の中には大学を卒業したのに語彙力や文法の知識が全くないことも珍しくないらしい。
これも「大学も出ているのに英語ができない日本人論」と全く同じである。
なお、彼女が住んでいる蘇州市は上海の近くであり、彼女もよくそこへ出かけることがあるのだが、そのような国際都市で販売の仕事をしている人は、日頃から外国人の相手をしているため、英語を話せることが多いようである。
・キャリアを捨ててでも中国で働き続ける理由
さて、フィリピン人の彼女が中国で働くことになった経緯について簡単に説明しよう。
彼女はフィリピンの学校を卒業後に数年間地元で働いた後に、吉林省の長春市で働くことになった。
しかし、その職場は1年も経たずに閉鎖されてしまったため、その後は仕事を求めてタイへ渡り、1年後に再び中国で働くことになった。
その後も中国のいくつかの都市を転々とし、私と知り合ったと時にいたのが、先ほどの蘇州の英語学校である。
だが、彼女は最初から英語教師として働いていたわけではなかった。
彼女の学生時代の専攻は看護であり、最初に中国へ渡った時も、医療関係の仕事についていた。
変化があったのは2度目の中国滞在中である。
またも勤務先が閉鎖されてしまい職を失ったが、彼女はどうしても中国に留まりたかった。
しかし、適当な仕事先は見つけられず、ビザの滞在期間も刻一刻と迫っていた。
そんな時、英語圏の国の出身者を募集する英会話学校の求人を見つけ、応募することにした。
教育課程出身でもなく、英語を人に教える経験もない自分が採用される可能性は低いと思っていたが、思いもよらず採用され、そこから英語教師としてのキャリアが始まった。
彼女がそこまでして中国で働きたかった理由の一つは実家で暮らす家族へ仕送りをするためである。
英語教師の職も中国ではそんなに恵まれた給料ではないが、フィリピンで彼女が学生時代に専攻した看護の仕事で働くよりも数倍の給料を得ることができる。
そして、もう一つは治安である。
日本人にも「フィリピンは治安が悪い」と思っている人が珍しくない。
彼女によるとそれは事実のようで、フィリピンにいた時は一人で夜道を歩くなど考えられなかったが、中国で暮らしている時はそのような不安を一切感じないようである。
・なぜ1年以上も連絡を取り続けることができたのだろう?
中国人の英語力の話をした後も、私は彼女とは連絡を取り続けた。
彼女は中国やタイといった複数の国で働いた経験がある。
現地で生まれ育った人に「あなたの国ではどんな働き方をしていますか?」と聞いても、それが当たり前と思うだけだが、彼女のように複数の国で働いた経験のある人はそれぞれの環境を相対化して見ることができるため、貴重な意見を聞くことができた。
それから、昨年はコロナウィルスが世界的な問題となり、彼女の住んでいる地域もロックダウンとなったが、その時の街の様子や、8月頃にはマスクをつける必要がなくなったことも教えてくれた。
いや、それは大丈夫なのか?
また、私はフィリピンに留学した経験があるため、その時の体験について話をした。
彼女はバギオという地方の出身で、先ほども少し触れた通り、一人で夜道を歩くことが出来ないような治安だったが、マニラはそれと比べ物にならないほど危険な場所であり、夜道どころか、昼間であっても一人で出歩くことを躊躇するレベルらしい。
その話を聞いて、私が生活していた場所はマニラの中でも比較的富裕層が住む治安が良い場所であったことを知った。
路上生活者や怪しそうな店を経営している人物が多数いたため、全くそんな場所だとは思わなかったのだが…
彼女とはそんなたわいもない話もしていたのだが、英語教師の仕事の契約更新に必要なTEFLの試験を受けるために距離を置いたことで関係は終了した。
彼女と連絡を取り合っていた期間は1年以上に及んだわけだが、改めて振り返ってみるとその期間の長さに驚いた。
私としては1年以上もやり取りを続けていた実感は全くなく、前回の南アフリカ人青年との4ヶ月の方がかなり長く感じた。
なぜだろう?
単に私が年を取って、時の流れの感じ方が変わったからだろうか…
彼女とのやり取りの内容を改めて読み返してみると、私から送ったメッセージはフィリピンへ留学していた時の話を除いて、ほとんどが彼女への質問だった。
短い文章で一方的に聞くだけではそのうち愛想を尽かされると思い、質問の後に疑問を持ったきっかけや私が考えた仮説も書き加えた後で、意見を求めるという形を取ったのだが、自分の考えを伝えるために苦労して英文を作り上げたという実感はない。
それから、私たちはお互いに「休みの日に何をやった」とか「好きな本や映画の話」といったプライベートな話は一切しなかった。
私は自分からそのような話を切り出したことはしないし、彼女も私に一切聞いて来なかった。
ちなみに、私たちはずっとペンパルサイトで連絡を取り続け、親しくなった他の人たちのように、LINEへ移行したわけでもない。
だとすると、私と彼女の関係は友達というよりも同僚やビジネスパートナーに近かったのかもしれない。
やはり、その程度の距離感を保っていた方が長続きするのかもしれない。