上京して以来、初めて地元に帰りたくなった

2022年も残り半月になった。

そろそろ今年一年を振り返る季節である。

私個人の話をすると、今年は上京して5年目にして初めてある感情が生まれた。

それは・・・

「地元に帰りたい」

これまでも地元への想いに耽ることはあっても、ここまで強く帰郷が頭に浮かんだことはなかった。

今日はそう感じた理由について話をしたい。

・地獄の日常が戻ってくる日はそう遠くない

今年のゴールデンウィーク明けにこんな記事を書いた。

ここ数年はコロナのおかげで東京名物(?)の通勤地獄は鳴りを潜めていたが、ゴールデンウィーク明けから、徐々に復活しつつある気配を感じた。

コロナ渦では速達電車で楽々通勤ができたが、今では帰りはともかく、行きは各駅停車の電車にしか乗れない。

しかも、混雑だけではなく、遅延や車内、駅内でのトラブルも頻発している。

私は少しでも混雑を避けるように、先頭もしくは最後尾の車両を利用したり、複数の行き先がある路線では一本待ってでも空いているであろう電車を利用するなど最大限の努力をしているが、今は電車に乗ることが怖い。

こういう言い方は嫌いだが、ここ数年のコロナによる平和ボケから叩き起こされ、東京で暮らすことのリスクを再認識した。

前職を辞めた一番の理由は職務内容だったが、通勤面の苦痛があったことも紛れもない事実である。

元々は上京後、2年くらい頑張って、その後はワーキングホリデーへ出かける予定だったため、計画通りであれば、とっくに東京から去っているはずだった。

それが、良くも悪くもコロナの影響で延命することになった。

通勤地獄完全復活への足音が聞こえてくる現状では、「しばらくはこのままでいいかな」というここ数年のんびりした気持ちはすっかり消え失せてしまった。

・脱出者の歓喜の声

退職の意志を表明した時は派遣会社からも派遣先からも引き留められた。

勤続期間は半年だったため、呆れられる程の早期退職ではないが、「自分の希望を伝えるだけでは簡単に退職できない」と感じ、交渉の際の参考にしようと派遣の仕事を早期退職した人の体験談を探していた。

そうして、役に立ちそうな情報が書かれているブログを何件か見つけたのだが、その中のひとつの管理人がたまたま私と同郷の男性だった。

プロフィールを見ると、彼は私と同世代で、大学卒業を機に上京し新卒で就職したものの、その会社を半年で退職し、以後は東京で派遣の仕事を転々としていた。(しかも、彼が以前住んでいた場所も今の私の住まいの近くだった)

それらのことも、彼に親近感を持つきっかけになった。

そんな彼だが、1年前に地元へ戻り、直近の記事は地元の暮らしぶりを伝えるものばかりだった。

紹介されていた場所に馴染みがあった私は、ますます彼に感情移入することになり、彼の経緯について調べることにした。

正社員の仕事を退職した彼はその後10年以上東京に留まり、主に派遣社員として働きながらブログを書き始めた。

そして、コロナによる行動制限の影響で、「これ以上、東京に留まり続ける理由はない」と決心し、2年前に地元に戻った。

今はブログによる収入も安定しているため、派遣社員として働きながら、地元で気ままな一人暮らしを謳歌している。

家族や親戚の近くで生活することができるだけでなく、そこでの日常は、今の私が直面している狭い住まいや通勤地獄のような質が低い暮らしによる悩みとは無縁のようだった。

東京を離れた理由は私とは正反対だったものの、ブログを通して見える彼の様子が羨ましくてしょうがなかった。

・初めての土地で見かけた平和な世界

私が東京を離れる暮らしに心が揺らいだのは彼のブログを見た時だけではない。

今年はいろいろと事情があって、帰省を除くと、上京後初めて泊りがけで遠方へ赴くことになった。

そこで福島や宮城、山形といった東北地方を周ったのだが、休日ということを差し引いても、電車での移動が東京と比べ、あまりにも平和的だったことに驚いた。

たとえば、スマホを操作しながら乗り降りをしたり、イヤホンを聞いている乗客がほとんどいない。

それから、ホームの乗り場にはきちんと整列している。

現地の人にとっては当たり前なのだろうが、東京で電車に乗る度に神経をすり減らしている私は「何という素晴らしい光景なのだろうか!!」と感動した。

こんな平和な世界で生きていたら、私はホーム上や車内でルールを守らない不届き者の襲撃を日々警戒する必要はないだろう。

そして、東京ではスマホ片手に列に並ばず平気な顔で割り込み乗車をしたり、人を突き飛ばしても謝る素振りさえ見せない不逞の輩も、こんな環境であれば、生き残るために悪魔に魂を売り渡すことなく、穏やかな人間でいられたのかもしれない。

そのようなことからも、自分が異常な世界に身を置いていたのかが実感できた。

東北地方に一度しか出向いたことがない私がこのようなことを言うのはいかがなものかと思うが、この違いを生むものはお国柄や県民性ではなく、環境面によるものなのだと感じた。

私自身、地元に住んでいた時は周囲の人間を見ても何とも思わなかったが、今のように距離感ゼロで体が触れ合うような生活をしていると、道を空けずにボケーっと突っ立っている、前を見て歩かない、突然立ち止まるといった他人の些細なことでイライラするようになった。

やはり、東京のように人口密度が高く、狭い場所で限られた座席を大勢で奪い合うような生活をしていると人間は少なからずダメになるのだろう。

また、移動中は車窓沿いに建設作業や農作業に従事している地元の人もたくさん目にした。

彼らは日本の首都東京から遠く離れた場所であっても一生懸命働いていた。

そんな姿が地元で共に働いていたかつての仲間たちと重なった。

・それでも戻れない理由

ここまで書いたら、「もう地元に帰ったらいいのでは?」と思う人も出てきたかもしれない。

周囲には民家と畑しかないド田舎である実家へ戻り、安定した職に就くことは難しいにせよ、地元でブログを書いている彼のように、都心部に住めば、仕事と豊かな暮らしの両立ができるのかもしれない。

実際に、東京の就労先で同僚から、出身地と上京した理由を訊ねられて答えると、よくこんなことを言われる。

「え!? ○○県だったら、上京しなくても仕事はたくさんあるんじゃないの!?」

そうである。

そのイメージは間違いではない。

試しに派遣の仕事を掲載しているサイトで、私の地元の県庁所在地の仕事を検索すると、東京に比べると時給は下がるものの、ある程度の数は見つかる。

だが、それでも私はそこに移住して仕事を探そうとは思わない。

なぜなら、かつてそのような生活を送ることを試みて挫折した経験があるからである。

このブログで今から8年前の2014年の時のことを度々取り上げている。(直近の記事はこちら

前年の2013年は留学のための資金稼ぎに精を出していたが、なぜか職場で自信を付けたことで、翌年は都会に働きに出て、親からの経済的自立と豊かな暮らしの獲得を図るつもりだった。

しかし、7ヶ月の滞在で働いていたのは1ヶ月の短期の派遣と、小遣い稼ぎ程度の日雇いの仕事だけで、憧れていた派遣の事務職どころか、アルバイトにすら就くことができなかった。

しかも、「何でアルバイトにそんなことを期待するの!?」と呆れるくらい、求人のハードルが異常に高かった。

その結果、その年は私の20代の中でワーストともいえるひどい一年を過ごすことになった。

今でも私にとって、そこは忌まわしい記憶を生んだ薄汚い場所という印象でしかない。

当時の私は20代前半で、色々と経験を積んだ今の自分とは違うかもしれない。

だが、金輪際そんなところで暮らしたいとは思わない。

さて、冒頭にも書いた通り、今年は私が上京して5年目に当たる。

上京して3ヶ月が経過した頃、なかなか仕事が見つからず、地元に帰ることも頭に過った私はネットで、帰郷を考えている地方出身者向けのアドバイスが書いてある記事を見かけた。

そこに「地元に帰るのは2年を目安に考えることがおすすめ」と書いてあった。

2年目に帰るのであれば、「1年間は東京で頑張った」という自信が持てるし、2年間頑張ったのであればなおさら一区切りつく。

そのため、私も2年を目処にしていた。

しかし、気付けばもう5年間も東京に居ることになる。

3年目にコロナがやって来たことで、それまでの暮らしも当初の計画も一変したわけだが、コロナが収束へ向かう時が来たとしたら、私は一体どうなるのだろうか?

そんなことを考えている。

スポンサーリンク