地元にあった思い出の施設が廃業していた①

先月、とても悲しいニュースを耳にした。

その知らせを聞いた私は思わず声を上げた。

「ええー!! ウソだろ!?」

私にとってはそれくらい衝撃的だったが、多くの人にとっては「そんなニュースあったかなあ…」と首をかしげることだろう。

そのニュースとは、私の地元にあった思い入れのある施設が取り壊されたことである。

正確に言えば、施設そのものが廃業したわけではなく、今も営業を続けている。

しかし、私にとって、そこを訪れる一番の目的だった展示物や遊技場が解体されてしまった。

今回はその施設に関するエピソードと、その知らせを聞いた後の私の心情についての話をしたい。

・地域おこしの目玉

その施設は私の実家から20kmほど離れた場所に位置しており、田舎育ちの私から見ても、「かなり田舎である」と思える場所にある。

元々は地元企業が直営で販売や飲食業を行っていたが、田舎ならでは広い土地を活かして、10年ほど前に別会社が営業終了後に解体する予定だった代物(しろもの)の一部を移築して、地域おこしの目玉に据えていた。

私はその代物が現役だった時から何度も利用していた経験があったため、それが地元で保存されると聞いた時はとても喜んだ。

当初は外観展示のみだったが、後に内部の見学も可能となり(しかも無料で)、それとは別に子ども向けの遊具も設置された。

この類の保存は解体時に「壊すのはもったいない!!」という勢いで救済したものの、結局、すぐに熱が冷めてしまい、採算の見込みは外れ、費用の面からも維持が困難になり、すぐに荒廃し朽ち果てていくことが珍しくない。

だが、今回の保存は(全国的に見れば「中小企業」かもしれないが)地元では比較的安定している企業が所有者であり、資金面では安泰だと思われていた。

その上、企業側も入場料を徴収しないため、最初からそれ自体で維持費を稼ごうと考えているわけではない。

ネットで拾った情報では、前回補修されたのが3年前で、さらに、その3年前も同様に補修されていた。

そのため、保存先としては恵まれており、インターネットに投稿されていた解体1週間前の写真を見ても、塗装の剥がれ程度は見られたが、今にも崩れ落ちるような朽ち果てた様子ではなかった。

私が訪れたのはすべて平日だったため、そこに自分と連れ以外の人たちがいる姿を見たことはない。

しかし、ブログで紹介されている姿を見ると、休日は私のようにかつての経験に思いを馳せてやって来た者だけでなく、現役時代を知らないであろう若い人が興味津々で見学していたり、隣にある遊具で小さな子どもが遊んでいる写真も散見された。

遊園地のような活気や、博物館のような上品さはなくても、地元の人から愛されていたことが伺える。

ここ数年はコロナの影響で内部への立ち入りは禁止されていたが、関係者に聞いたところ「コロナが落ち着いたら、また入れるようになるよ」と言われたという記事もあった。

だが、それが突然の解体である。

しかも、事前の告知はなく、いきなり取り壊された。

理由も「老朽化のため」としか発表されていない。

解体の様子は地元のローカルニュースでも放送され、ネット上では怒りや無念の気持ちを表す声も聞かれた。

4度の訪問

ここからは私の経験について話させてもらいたい。

私がその土地を訪れたのは計4回。

最初は保存が決まった年で、その時はまだ整備途中だったため、周囲には立ち入ることができず、外観も工事用の足場の外から屋根のみが見えるに留まったが、これからのことを思うとワクワクして、それまでであれば絶対に興味を示さなかったであろう所有企業の販売店に立ち寄って、意気揚々とお土産を購入した。

その次に訪れたのはおよそ1年半後のことである。

近くにある本屋で古本を売却した帰りに立ち寄った。

その時はすでに展示品の外観は整備されており、内部への立ち入りこそできなかったものの、移築前とほとんど変わらない姿に感動して、地元企業が手作りで備えたであろう温かみのある資料館も見学した。

3度目の来訪はその2ヶ月後である。

その時は初めて写真を撮影し、それは今でも大切に保管してある。

前回と同じく古本の売却が目的だったが、今回は免許を取得した直後であり、自ら車を運転して訪れた。

余談だが、前回は行き道にバスを利用して、帰りも同じ路線を利用するつもりだったが、出発時刻を勘違いしてしまい、徒歩で4時間かけて家路につくことになった。

そして、最後はその数年後の2016年である。

家族を乗せてドライブをしていた途中で立ち寄ることになった。

保存されたすでに5年以上経過していたためか、外観に多少の傷みはあったものの、所々は補修された形跡があり、今後も末永く保存されると信じていた。

その日は雨が降っていたものの、内部も公開され、一緒だった二人の連れと思う存分楽しんだが、結果的にそれが最後の訪問となってしまった。

・楽しい思い出とは結びつかない?

4度の訪問は私にとって楽しい思い出であることは事実である。

だが、同時にこんなことも思うのである。

「『あの時に戻りたいか?』と聞かれたら、それは違う」

当時はつらい思い出のことが多かった。

実は私がその場所を訪れた時期というのは、何れもこのブログで書いたことがあるエピソードと関連がある時期である。

初めて訪れた時の私は19歳だった。

これまでにも、高校卒業後は2人の元同級生と楽しく遊んでいたという話をしたことがあるが、この記事で紹介したB(仮名)という友人から、中学を卒業して以来連絡が途絶えていたA(仮名)という同級生が地元へ戻ってきたという知らせを聞いたのが、まさに最初に訪問していた時だったのである。

2度目の訪問した時は、すでに彼らが就職したために、会えなくなってから1年が経過していたため、私は孤独を抱えて生きていた。

そして、この記事で紹介した通り、突然仕事をクビになったわけだが、クビを言い渡された日が2度目の訪問の翌日だった。

その後、失業者となった私は自動車学校へ通って免許の取得を目指していたが、その時は「学校を卒業したら、正社員として就職しなければならない…」という恐怖に毎日怯えていた。

当時はブラック企業が問題化される前で「(長時間労働だろうが、残業代の不払いだろうが)何が何でも正社員になりなさい!!」という空気が蔓延していた。

その恐怖に耐えられなかった私は免許取得後、沖縄へ逃亡することを計画していたことはこの記事で書いた通りである。

友人もいない以上、地元を離れることに抵抗はなかったが、「そうしたら、あそこへも行けなくなってしまう…」という思いで向かったのが3度目の訪問だった。

それが免許取得の数日後だったため、初めて自分一人で車を運転して訪れたのが、あの場所となった。

4度目も、別れの前の挨拶が目的だった。

その時はこの記事で紹介した通り、直前にキャンセルすることになったものの、この国に見切りをつけて海外へ脱出するつもりでいた。

外国へ行ってしまえば、再度訪れることは沖縄へ行く時よりも難しくなる。

その前に、一目会いに行くつもりだったが、結果的にこれが最後の訪問となった。

改めて書き出してみると、思い出の場所を訪れた時というのは、(初回はともかく)「幸せなで充実した生活を送っていた」時ではなく、つらく、苦しい時期だったことになる。

そのため、実際に訪れた時は、どことなく寂しい気持ちが強かった。

過去の記憶というのは常に美化されがちである。

楽しいことがひとつやふたつ起こると、その時期はすべてが満ち足りていたかのような錯覚を起こす。

あの時、あの場所を訪れたことで幸福な気持ちになったことは事実だが、「当時に戻りたいか?」と聞かれたら、それは嫌である。

そんな複雑な心境である。

次回へ続く

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