気付いたらアパートの契約更新が2度目を迎えることになった

今から1ヶ月ほど前、大きめの封筒が自宅ポストに投函されていた。

送り主はアパートの管理会社だった。

内容は数ヶ月後に控えるアパートの契約更新についての書類だった。

今の住まいは2年契約であり、もうすぐ契約が満了となる。

更新に必要な費用は更新料として家賃1ヶ月分と火災保険料15,000円である。

2年前もそうだったが、この出費は結構な痛手だ。

だが、こんな感慨に浸った。

「このアパートにはこんなに長く住んでいるんだ…」

最近の記事で少し触れたが、今の居住エリアは第一希望ではなかった。

その上、入居時はワーキングホリデーへ行く最後の望みも捨てきれていなかったため、ここに長居するつもりはなかった。

つまり、2年前の最初の契約更新すら行うつもりはなかったのだ。

にもかかわらず、気付いたらこの生活が5年目に突入しようとしている。

全く、人生とはどうなるか分からないものだな…

私が今のアパートに住み続けているのは成り行き以外の何ものでもないが、「なぜそうなったのか」を改めて整理したくなった。

・期待とかけ離れた生活

今の住まいに入居することになった2018年の夏が終わる頃、新生活への期待とは裏腹に、私は「結局、東京にも自分の居場所はなかった…」という冷めた気持ちになっていた。

求人が多いはずの東京へ出てきても、希望していた職種に就くことはできず、上京前とあまり変わらない販売職に従事することになったし、

良い物件をみつけても「派遣社員だから」という理由で露骨に差別されるし、

通勤時間は片道1時間を超えるし…

そんな空虚感が溢れる日々は一人の男の登場で一変することになった。

それはペンパルサイトで知り合い、日本でワーキングホリデーをする予定だというA国(仮名)出身の男性である。(この記事で登場)

彼と親しくなり、生活をサポートしながら二人三脚でブログを始める予定だった。

「退屈な生活もこれで変わる!!」

「彼と共にブログを運営することがこれからの生きる道だ!!」

と期待に満ちていたが、彼は結局、来日直前にバックレた。

その時に取得したドメインとサーバーを有効活用するために生まれたのが、このブログなのである。

今でこそ、このブログも長期間続いているが、開始当初は1年が経過しドメインとサーバーのレンタル期限が切れたら、それ以上は続けるつもりはなかった。

ちょうどその頃、私はつなぎとして考えていた当時の仕事に見切りをつけて、上京前にやりたかった仕事を見つけるつもりだった。

2ヶ月の求職活動を経て、希望していた事務職に就くことはできたが、事態はそう上手く進まなかった。

その職場と自宅の最寄り駅は普通電車で4駅しか離れておらず、距離的には恵まれていたが、以前の仕事とは違い、午前9時勤務開始ということで、ちょうど通勤ラッシュに重なることになった。

今思うと、その時間に、その駅に通うことは全然難しいことではなく、むしろ恵まれている方だが、コロナ前はその程度の通勤すら厳しかったのである。

そのことも含めて、その仕事は長く続かず、その後は3ヶ月の短期の仕事に就くことになった。

その仕事を終えたのが2019年の12月。

そこからは、また半年ほど期間限定の仕事を見つけて、アパートの契約更新と同時に東京を去るつもりだった。

・東京に留まらせたものとは…

仕事は上手くいかない。

通勤はしんどい。

充実した私生活があるわけでもない。

ブログを書くことは東京でなくてもできる。

このように、もはや私が東京に留まる理由など何もなかった。

「ここにいるのもあと半年…」

そう思っていた2020年の初頭、2年後の今でも、私たちの生活に大きな影響を与えているコロナウィルスの感染拡大が始まった。

これによって、私の生活も、その後の計画も大きく変わることになった。

先ずは、各国がこれ以上の感染拡大を防ぐために、外国人の入国を大きく規制した。

それによって、私が目標にしていたワーキングホリデーへ向かうことが困難となった。

続いては仕事面の不安。

コロナの影響で経済も大きく打撃を被った。

そのため、「相対的に仕事に恵まれている東京を離れたら、次の仕事を得られることが困難になるのでは…」ということを感じた。

実際に、派遣社員として働いていた2020年の4月から5月にかけては、社内の密を避けるために、勤務日数の半分が自宅待機となったものの、その期間の給料は全額支払われた。

他方、正社員であっても、同じような状況で給料が支払われなかったり、会社そのものが倒産するというニュースも頻繁に耳にした。

私も東京を離れたら、同じような状況に陥っていたかもしれない。

それから、何といってもこれであるが、コロナ騒動が発生して以降、通勤時の混雑が大幅に改善された。

コロナ前は夢のまた夢だった、快速電車に座って通えるということさえできるようになった。

これによって、あれほど嫌いだった通勤も苦ではなくなった。

だからこそ、2年前は東京に留まることを決意できたのである。

つまり、私が今も東京で暮らし続けているのはコロナの蔓延があったからである。

これがいいことなのか、悪いことなのかは、まだ分からない。

だが、「コロナが起きなかったら、今の人生は大きく変わっていただろう」とは思っている。

2年前、アパートの契約を更新する時に「取り敢えず、2年間は東京で頑張って、その後のことは2年後の契約更新のタイミングで考えよう」と思っていた。

今はまさに、その時である。

契約更新前に感じたことは「今は2年前と比べて、個人的にも社会的にも大きな違いはない」ということ。

そんな思いから、大きな決断ではなく現状維持を選択したが、これが吉と出るか、凶と出るかはこれからの2年にかかっている。

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