マレーシアへ留学する計画を立てた私は2013年の11月に現地を訪れて下見することになった。
1年間バイトと語学学習に励み、この日を楽しみにしていたが、飛行機の乗り換えのために立ち寄った中国で、言葉が通じないという海外の壁を痛感し、不安に満ちてクアラルンプール国際空港に到着したのであった。
・マレーシアに到着
飛行機は午前4時前にクアラルンプールに着いた。
マレーシアに入国するときには入国カードに記入が必要であることは分かっていたため、空港で入国カードを探したが見つからない。
私は入国審査の列の整理をしていたスタッフに「Where is immigration card?」と聞いた。
彼は「Not necessary」と答えて、私に列に並ぶように言った。
後から知ったのだが、マレーシアではその数ヶ月前に観光ビザで入国する際の入国カードは廃止されたらしい。
入国審査を終えて、荷物を受け取った私はロビーで一休みすることにした。
空港から都心に向かうバスの始発は7時過ぎである。
正直言って眠たいのだが、海外の空港で一人で眠ることなど出来るはずがない。
このままベンチに座っていても眠くなるだけなので、空港内を歩き回ることにした。
空港内は冷房が効いているが、熱帯地特有(といっても体験したのは今回が初めてだが…)の湿気を感じる。
日本と上海では11月の寒気を感じていたが、ここは常夏の国マレーシアである。
私はすぐにコートを圧縮袋に入れてバッグにしまう。
出口の近くを歩いていた時、現地の人らしき男性が中国語で話しかけてきた。
例によって、何と言っているのかは不明である。
彼は何度か同じ言葉を繰り返しており、よくよく聞いてみると「你是不是中国人?」と言っているのが分かった。
この問いかけに対する答えである「不是,我是日本人」というのは何度も練習したフレーズなのだが、全く言葉に出せない。
彼は私が中国語ができないと察したようで「Are you Chinese?」と尋ねてきた。
私は「No. I’m Japanese」と答えた。
彼は頷きながら去っていった。
「この程度のやり取りにここまで手こずるとは…」
私は自分の語学能力のなさに絶望するだけでなく、外国にいることの大きな不安を感じた。
そんな中、いよいよ夜も明けてきて、出発の時が来た。
・幸運にも乗りたかったバスだったが…
私は市内へ向かうために高速バス乗り場へ向かった。
このバスについては事前に調べていた。
チケットカウンターを探して歩き回っていると、バス会社の制服を着た二人組の男性がベンチに座っており、一人が私に話しかけていた。
「Where you want?」
私は戸惑った。
Where どこ you あなた want欲しい ???
Where は場所の意味だろ…
この場合、「あなたはどこへ行きたいのか?」という意味だろうけど、疑問文を作るときに必要なdoがないぞ。
それにwantの続きがないから「あなたは何が欲しい?」と聞いているのか?
あー、分からん!!
よくよく考えてみれば、この状況でバス会社の人物がこの言葉を使ったら、「あなたはどこへ行きたいのか?」と聞いているに決まっているが、当時の私は大真面目な顔で「どこへ行きたいか聞くのなら「Where do you want to go?」というべきではないのか?」と思った。
ここは「あなたは私に何について尋ねているのですか?」と聞かなければ…
「ええーと、What do you ask me about?」
もう一人のスタッフが呆れた顔で首を横に振った。
最初に声を掛けたスタッフは大笑いしながら私の手を引っ張って、バスの行先が表示されている掲示板の前に私は連れて行き、複数の行き先を指さしながら「Where do you go?」と再度聞いた。
私はそれを見て「KLセントラル」と答えた。
幸運なことに、彼はKLセントラル行きのバスの運転手で、「OK. You get this」と言い、私にチケットを売って、乗り場と出発時刻を案内してくれた。
偶然にも、彼は私が探していたバス会社のスタッフだったが、
「もし、彼が違う会社の社員で、私が乗りたいバスよりも高いチケットを売ったら?」
「そもそも、英語を喋れない観光客を狙った詐欺師だったら?」
と想像したらゾッとする。
またしても、言葉の壁を痛感してしまった。
私は無事にバスに乗り込み、市内へ向かった。
バスの中で感じたのは、マレーシアでは車が日本と同じで左側走行であるということ。
中国では右側通行だったため、なんだか懐かしく思えた。
だが、普段は高速道路を走行することはないためか、心なしか飛ばし過ぎている気がした。
「本当に大丈夫なのだろうか…」
そんな些細な事にも不安を感じてしまうのは、ここが海外だからであろうか…
・ここはどこだ!?
バスは無事KLセントラルに着いた。
ここから、語学学校の見学へ向かうために、モノレールに乗り換える予定である。
しかし、バスを降りた私は驚いた。
「ここはどこだ!?」
これは完全に私のリサーチ不足だったのだが、KLセントラルのバス停は鉄道の駅と同じ(もしくは近い)場所にあると思っていた。
だが、実際は随分と離れた場所に位置していたようで、ここから駅まで少々移動しなくてはならない。
とはいっても、モノレールの乗り場がどこにあるのか分からん。
「モノレールは高架線を通るため、周辺を歩き回れば見つかるのでは?」と思った私は、ひとまずバスの降り場から離れるために、道路を横切ろうとしたが、車がひっきりなしに通り過ぎて行く。
その上、周囲には信号も見当たらない。
たまたま近くにいた交通誘導の係員が私に話しかけてきた。
「Where do you go?」
私が「KLセントラル モノレールステーション」と答えると、彼は「手を挙げてタクシーを拾って、それで駅まで行け」と言った(ように感じた)。
「ここから、そんなに離れた場所にあるのか…」
しかし、私は言葉もろくに通じないのにタクシーなど使う気にはなれなかった。
それこそ、高い料金を吹っ掛けられたら、断ることも助けを求めることも出来ないだろう。
私は歩いて行くことにした。
幸いにも地下通路があり、バスターミナルからは脱出することができたが、そこは浮浪者の寝床のようだった。
彼は私を無言で睨みつけてくる。
私は恐怖を感じながらも彼らと目を合わせずに通り抜けた。
なるほど、彼が言った「タクシーで行け」というのは、こういう意味だったのか。
何とか地下道を潜り抜けた私は地上に出た。
すると電車が走っているのが見えた。
この線路に沿って行けば駅に着くはずだ。
そこで、電車に乗ればKLセントラル駅へ行けるかもしれない。
歩いていくと、駅が見えた。
そこはLRTという地下鉄のような路線の駅のようである。
この道路を横切れば駅へ辿り着く。
・マレーシアの道路事情と交通機関
しかし、しかし、である。
道路が横切れない。
信号はあるのだが、壊れておりライトが点灯していない。
しかも、そのような危険地帯はここ1ヶ所だけではなかった。
その隣の信号は点灯こそしているのだが、赤信号でも車が当たり前のように交差点に進入している。
交通違反というよりも信号が全く機能していないようだ。
横切らなければならないのは片側三車線の大型道路の交差点だが、驚いたことに、信号がなくても車が自然に流れている。(環状交差点というわけではない)
歩行者がそんな道路を横断することは困難である。
彼が言った「タクシーで行け」というのは、こういう意味だったのか。(本日二度目)
「一体これは何なんだ!?」
田舎の一本道で車が信号を無視することは日本でも日常茶飯事だが、ここはマレーシアの首都クアラルンプールである。
こんな大都市で信号が機能しないことなどありえるのか!?
前日、上海の空港で見た中国の危険な運転が子どものイタズラ程度の小物に感じた。
「マレーシアは治安がいい」と聞いていたが、犯罪の発生は少なくとも、このような状況では安心して道路を歩くことは難しい。
そのため、前日の中国滞在中とは違い、気軽にカメラを取り出して写真を取ることなどできない。
幸い、私が立っていた交差点には道路を横切る人が何人かいて、私は彼らと一緒に一瞬の隙を見て道路を横断した。
ちなみに、その時の歩行者側の信号は赤だった。
私はこの時、生まれて初めて信号無視をしました。
今日はこの場でその時の悪行を懺悔します。
「ごめんなさい」
そんなこんなで駅にたどり着いた私はKLセントラル駅行きの切符を買った。
切符の販売機は日本と同じように駅を選択してお金を入れればいいのだが、画面に路線図が表示され、そこで目的地を選ぶことができるため、とても分かりやすい。
切符は紙製ではなく、一見するとおもちゃのような青色のコインだった。
入場する時はコインをタッチするとゲートが開き、出場するときはコインをタッチした後に機械にコインを投入すればいいようだ。
電車に乗りKLセントラルに着いた私はここからモノレールに乗り換える。
モノレールも地下鉄と同じく自動販売機があるはずなのだが、見つけられなかったので有人の窓口で購入した。
「Single way to XX(駅名) please」
販売員は一瞬、不思議そうな顔をしたため、私は言葉が通じていないかと思ったが、すぐに「OK」と言って、切符を売ってくれた。
乗り場に着くと、すでに長蛇の列ができていた。
この人の多さを見た私はてっきり長編成の列車が来るのかと思っていたが、着いたのは2両編成の小型モノレールだった。(※:2022年現在は4両編成の電車も登場しているようである)
乗車することができたが、案の定車内では身動きが取れない。
列車が動き出すと、大きな不安が頭をよぎった。
「もし目的地で降りることが出来なかったらどうしよう…」
「切符の買い方は事前に調べたけど、乗り越しの精算方法は調べていない…」
「そもそも、電車を降りるために人混みをかき分ける時は英語で何て言えばいいのだろう…」
列車は次の駅に着いた。
ここで降りたい乗客は「Excuse me」と言いながら、人混みをかき分けていく。
そうか。
こういう時は「Excuse me」と言えばいいのか。
私は大事な表現をひとつ覚えた。
幸い、車内の混雑はKLセントラル駅がピークで、それ以降は乗客も減っていき、私は無事に目的の駅に到着することができた。
・新興国の宿命
学校の見学予定時間までは1時間以上ある。
その間、町を探検することにした。
その日はものすごい暑さと湿気を感じた。
マレーシアはそういう気候の国なので、これが当たり前なのだが、時期は11月。
日本では防寒着を着ている時期だけに不思議な気分になった。
歩いているとマクドナルドが見えた。
そういえば、前日は機内食と空港で買ったサンドイッチしか食べていない。
この記事で書いた通り、私は子どもの頃から、マクドナルドが大好物である。
「ここでマクドナルドを食べたいな」と思ったが、私は自分の英語が通じないことを考えると、恐怖で足がすくんだ。
「私は本当にここで生活できるのだろうか…」
学校を見学する前からこんな不安を感じた。
1時間が経過し、私は学校へ向かう。
入口に学校の看板が掛けてある建物に入った。
建物に入ると学校の関係者かどうかは分からないが、女性のスタッフが私に話しかけてきた。
英語らしき言葉を話しているのは分かったが、内容はさっぱり。
私はこのように答えることにした。
「Is there someone who can speak Japanese?」
するとその時、たまたま日本人のスタッフが通りかかり、私を担当者がいる部屋まで案内してくれた。
その日、案内されたことは授業の見学と学費の説明だった。
前月に学校のホームページを調べていると、突然授業料が月1000RM(リンギット)から1600RMと1.5倍以上も値上げされていた。
だが、担当者の説明によると、翌年もさらに値上げが予定されているとのこと。
これが新興国の宿命であるインフレなのか…
2013年は前年と比較するととんでもないペースで円安が進行していたが、その上、さらなる値上げということは、もう一度計画を練り直さなくてはならない。
私はこの学校に入るか否かの結論は出さずに見学を終えることにした。
・日本人だと知ると…
次に行うことは携帯電話の購入である。
私は住まいを探すために、事前に不動産ネットでエージェントに連絡をしていたのだが、彼との待ち合わせのために現地で格安の携帯電話を購入することにしていた。
携帯電話はプリペイド式のSIMカードを使用するタイプで、中古の機種を日本円で4000円ほどの値段で販売している個人経営の店を事前に調べていた。
その店に行くために、私は再びモノレールに乗り、KLセントラルへ向かった。
モノレールに乗っていると急に天気が悪くなってきた。
KLセントラルに着く直前に土砂降りの雨が降り出した。
私は傘を持っていなかったので、雨が止むまで駅の中で待つことになった。
10分も経たずに雨は止んだ。
私は事前に調べた店へ向かった。
その店は大型ショッピングモールに出店していたため、建物は簡単に見つけることができた。
しかし、その建物が見える距離になった頃、またも土砂降りの雨が降り出した。
大量の雨が短時間で「降っては止んで」を繰り返す。
これが南国特有のスコールなのだろうか…
ショッピングモールに入った私はディスプレイケースに携帯電話を置いている店を見つけた。
そこは私が探していた店だった。
ケースの中の商品の値段を見てみると1000RM(当時の日本円だと約3300円)だった。
恐らく、私が探していたものはこれだろう。
店員は中国系マレーシア人だろうか、東洋系の顔立ちをしていた。
彼は私に話しかけてくる。
私は彼が話している内容が全く分からなかったが、
「Is this type of SIM card?」
と聞いてみた。
「SIMカード」が上手く言えずに3回ほど言い直したが、何とか通じた。
その携帯は私が希望していた通りSIMフリータイプの中古機であり、店員はこれに適合するSIMカードを紹介してくれた。
私は即決でそれらを購入した。
会計の際は本人確認のためかパスポートを見せるように言われた。
私がパスポートを見せると、彼は「Oh, Japanese…」と呟き、私の前で電卓を叩いた。
彼は100RMほど値下げしてくれたのだ。
充電器は別売りだったが、それも無料で付けてくれた。
私が日本人だと知ってサービスしてくれたのかは定かではないが、マレーシア人は日本人に親切だという前評判は本当だった。
それはさておき、客に合わせて自由に料金やサービス内容を変えるとは、なんと自由なんだろうと感動した。
「そうだ。私はこの自由な雰囲気に惹かれてマレーシアに行こうと思ったんだ」
私は忘れかけていた初心を取り戻して、店を出た。
・大都会に忍者現る
次はホテルへ向かう。
ホテルは先ほどの店から歩いて行ける距離だったが、また雨が降ってくるかもしれないので、急いで向かうことにした。
私が店を出てすぐに小雨が降ってきた。
私がいるのはクアラルンプールの中心街なのだが、そこは巨大な建物に囲まれている一等地というよりも、個人商店がひしめく下町だった。
まだ昼間なのにシャッターが閉まっている店も多かった。
「小雨に濡れる下町の寂れた商店街」
初めて来ているというのに、なぜかとても懐かしい感じがした。
…などと情緒的なことを言っている場合ではない。
このような個人商店は地図に載っていないため、ホテルまでの地図を持っていても、今の自分が正しい道のりを進んでいるのか分からない。
この状況を一言で説明しよう。
「私は道に迷ってしまった」
幸いにも、チェックインの締め切りまでの時間はまだ十分残っているが、下手に動き回るとさらに迷うかもしれない。
私は一旦、大通りに出てから、再度、ホテルを探すことにした。
その途中で現地の人が話しかけてきた。
ニコニコとした笑顔が印象的な男性だったが、小雨の降る中、彼はなぜか友人と思われる男性と屋外のレストランで食事をしていた。
私から見たら随分と不思議な光景だったので、怪しい人物ではないかと疑い「No, thank you.」と言って立ち去ろうとした。
しかし、彼は「No. No.」と言って、私に地図を見せるように言ってきた。
彼は地図を見て、私が行きたいホテルを確認すると、私を大通りまで連れて行き、さらにそこからの道のりを説明した。
それでも、私は彼が何て言っているのかさっぱり分からなかった。
ただ、身振り手振りで道路を渡って何番目の信号を右に曲がるということを言っているということは理解できた。
私は彼が言ったことを確かめるため「Straight? Or, turn right?」と聞いた。
彼は「No. No.」と言い、私の腕を掴んで、思いっきり引っ張りながら、道に飛び込んだ。
そこは片道三車線の幹線道路である。
私は仰天した。
幸い車は止まっていたため、何とか半分は通り抜けることができた。
だが、ここから先の反対車線は車が次々に走り抜けている。
彼はそこをまるで忍者のようにかいくぐり道路を渡り切った。
当然、私はそんなことできない。
車が来なくなるまで、一人で中央分離帯に立ち尽くすことになった。
私は何とか道路を渡り切り、彼からこの道を真っ直ぐ進むように言われた。
彼に言われた通りに道を進むと、私が泊まるホテルを見つけた。