前回の記事は面接で素質や人間性を見抜こうとする人間の目が当てにならないというテーマだった。
今回も外見や振る舞いだけでは人の価値を見抜けなかった時の話をしようと思う。
・5年前に撮った写真
先日、パソコン上で写真の整理をしていると1枚の写真が目に留まった。
その写真では私がマイク(本名)という名前の外国人の観光客と一緒に映っている。
その日の私は実家へ帰る電車に乗るため、駅で切符を買っていた。
すると、外国人の男性がメモ用紙を見ながら「すいません。○○駅への切符はどれですか?」と日本語で話しかけてきた。
私が英語で対応すると、彼は安心したのか、急にフレンドリーな態度になって、自己紹介をしたり、私の肩に手をまわして来た。
彼をホームまで案内して記念に撮った写真が先ほどのツーショットである。
当時私が住んでいたのは比較的外国人が多く訪れる都市であり、その後も同様に道を尋ねられることがあった。
だが、実家から出てきたばかりの私はそれまでそのような経験がなく、とても新鮮だった。
また、下手クソな英語(この記事で紹介した英検3級にも合格できないレベル)で何とか乗り切れたという安堵感からも、思わず記念写真を撮りたくなったのである。
その日は今から5年以上前だが、今でもよく憶えている。
その理由は、彼とのやり取りだけでなく、その後の電車の中でも記憶に残るできごとがあったからである。
・ヤンキーとチャラ男が目の前に座る
当時の私が住んでいたのは県の中心地であり、実家へ帰るためにはそこから電車で1時間ほどかけて中規模の都市まで向かう。
その後は、1時間に一本程度の列車が運行されているローカル線に乗る。
ちなみに、路線の全列車はその駅が始発であるため確実に座ることができる。
私は「ボックスシート」と呼ばれるタイプの席に座った。
始発駅を出発した時点では4人掛けのボックスに私一人が座っていたが、次の駅で向かい側に二人組の若者の男が座った。
見た目は高校生のようだが、その日は休日であったため、彼らは制服姿ではない。
おそらく、遊びへ出かけた帰り道なのだろう。
彼らはチャラついた服装だけでなく、ガムをクチャクチャ噛んでいたり、財布にジャラジャラ音を立てる鎖を付けていたりと、見るからに「真面目な学生」ではない。
ここでは彼らの名前を「ヤンキー」と「チャラ男」にしよう。
私の前に座った彼らは、先ず当日の遊びの感想について話し始めた。
その次は学校の話である。
「○○組の誰々が可愛い」
「××先生は指導が厳しいからムカつく」
話している内容はごく普通の学生のものだが、彼らは目の前に赤の他人である私がいるにも関わらず、何の配慮もせずにゲラゲラと、時には激しく手を叩いて笑っていた。
ちなみに、私は当初、彼らのことを高校生だと思っていたが、話を聞いているとまだ中学生のようだった。
その振る舞いを見た私は思わず自分が中学生だった時のことを思い出した。
私は決して勉強や運動が得意だったわけではないが、電車の中でこんなマナーが悪いことをする悪ガキではなかった。
・お前、高校はどうするの?
まったく、近頃の若いもんは…
いや、見た目からして、いかにもそういうことをやりそうだから、別に呆れることではないけど…
どうせ、彼らは何も考えずに目の前の楽しみだけを目的にして生きているのだろう。
これだから、ヤンキーやチャラ男は嫌いなんだ。
そんなことを考えていたのだが、彼らは突然、大真面目に進路の話を始めた。
チャラ男:「ところで、お前、高校はどうするの?」
ヤンキー:「う~ん。(私立の)○○高校へ行きたいけど、大学にも行きたいから学費のことを考えると、やっぱり(公立の)△△高校かなあ。お前は?」
チャラ男:「ウチは母さんが市役所で働いていて、俺もそこで公務員になりたいと思っているんだ。母さんの話だと、電気や工事関係の資格を取ると現場仕事の採用で有利になるらしいから、やっぱり××工業かなあ」
ヤンキー:「そうか。お前はそこまで考えているのか。俺は3年になったのに、まだ自分がどんな仕事をしたいのかが分からないんだ」
間近でそんな話を聞いていた私は腰を抜かしそうになった。(比喩なので、「椅子に座っているのに?」というツッコミは入れないこと)
見た目とのギャップが大きいからそう感じたのかもしれないが、彼らは意外にも自分たちの将来について真剣に考えていたのである。
チャラ男が地元の市役所での就職を目指して工業高校へ通うつもりでいることもそうだが、ヤンキーの方も「どんな仕事をしたいかが分からない」と言いつつ、学費のことはしっかりと考えていた。
15歳の時の私は自分の進路など真剣に向き合ったことがなかった。
周りに合わせて、「自分の学力レベルで合格できて、自宅から通える地元の高校へ行ければいいかなあ…」くらいのことしか考えず、受験のために勉強しようと思ったことも一度もない。
まして、学費のことなど一切考えたこともない。
いや、そんな昔の話でもない。
20代になっていたこの当時ですら、就きたい仕事や将来の目標など全く考えていなかった。(しかも、失業中)
英語を勉強していて、海外へ行きたいと漠然と考えてはいたが、具体的な計画を立てていたわけではない。
それも「どうしてもあの国で一旗揚げたい!!」という前向きな理由ではなく、「日本の会社でサラリーマンをやるなど死んでも御免蒙る」といった逃げの動機からであった。
そんな私よりも、彼らの方がはるかに真面目に生きていたのである。
・人を見た目で判断してはいけない
よくよく思い返すと「外見はチャラいが、実は真面目」という話は以前も目の当たりにした経験があった。
このブログでも度々取り上げることだが、21歳の時に仕事をクビになった私は、失業後も実家に住み続けるためのアリバイ作りとして自動車学校へ通っていた。
そこで、授業や帰りのバスでよく顔を合わせる若い女性がいた。
彼女は常にジャージ姿で、金髪で、メイクが濃く、学校の職員にタメ口で話をする人物であり、できれば関わり合いになりたくないと思う人物だった。
「おそらく、ヤンキーあがりの無職だろう」
私は彼女の外見からそう判断していた。
…のだが、実のところ、彼女は介護の仕事に就いており、仕事の合間を縫って学校へ通っていた。
この記事では、当時の私は友達と1年以上会えないことや、これから先の生き方について悩むなど、人生の岐路に立っていたかのようなことを書いていたが、所詮は「無職」である。
彼女はそんな私よりもはるかに立派な人だったのである。
「人を見た目で判断してはいけない」
それは子どもの頃から何度も聞かされたセリフである。
そんな当たり前のことを再認識させられるできごとだった。
当時中学生だったヤンキーとチャラ男は今年で22歳、同じ自動車学校に通っていた女性は31歳になっているはずである。
彼らは今どうしているのだろうか?
そんなことに少し思いを巡らすのであった。