今日は11月23日、勤労感謝の日である。
それ以来、この日が一年で最後の祝日となる。
そんな一年の中でも、ある意味特別な日であるが、最近は歳のせいかな「前年の勤労感謝の日は何をしていたか?」なんて全く思い出せない。
一昨年の2020年。
その時はこの記事で書いた通り土日祝日が休みの仕事をしていたため、休日だったはずだが、それでも何をやったのかなど全く思い出せない。
それほど近年は勤労感謝の日の記憶など全く残っていないが、かつてはこの日に今でも忘れることができない出来事が起きた。
それも3年続けて。
今回はそんな話を3回に分けてしたい。
初回の今日はちょうど10年前の2012年編である。
・恐怖を紛らわせるための気晴らし
今から10年前の2012年11月23日。
私は大学の学園祭で催し物を見物していた。
といっても、私はその大学に学生として在籍していたわけではない。
当時身内の一人が大学生で、私は彼から学園祭の食券と催し物の参加券をもらった。
普段であれば私はそのようなイベントには一切参加しない。
ましてや、自分が通っているわけでもない大学で行われるイベントである。
しかも、実家に住んでいた私がそこへ向かうには片道で2000円以上の交通費がかかる。
チケットを譲ってくれた彼には悪いのだが、メリットが何一つない。
それでは、なぜ私は学園祭へ向かうことになったのか?
その理由とは・・・
その日の夜に行われる決戦に身震いしており、その不安を少しでも紛らわせたかったからである。
その決戦とは何か?
それは・・・
バックレた職場に給料を取りに行くことである。
その仕事はコンビニのバイトであり、職場のブラックぶりは今回の関連記事にも書いた通りだが、退職を二度に渡り拒否された私は、事務所に置手紙を残し、後日、郵送で退職届の内容証明も送る形で強引に退職した。
厳密に言えば、無断退職の意味であるバックレではないが、このような経験は初めてである。
退職届にこれまでのオーナーの横暴に抗議する旨は記載したが、「大人しく手を引けば、これまでの犯罪は不問にする」と書いたため、退職後は自宅に電話がかかってきたり、直接出向くなどの迷惑行為は一切なかった。
しかし、本来であれば20日に指定の銀行口座に振り込まれるはずの給料が振り込まれていなかった。
もしかして、差し押さえか…
そんな不安を感じていた2日後の22日の夕方。
買い物から帰ると、自宅のポストに一通のはがきが届いていた。
送り主はオーナーであり、裏面には私が退職届を送った日付で退職の手続きをしたことが書かれており、その後は「あなた様の一方的な都合で突然退職されたため、給料の振り込みが出来なくなりました。私の携帯へ電話を掛けた後、お店まで取りに来てください」と続いていた。
やはり、ペナルティのつもりか、私の給料は振り込みを止められていた。
初めてのバックレということもあり、ネットで調べた知識を動員して、あらゆる手を打ったつもりだったが、一筋縄には行かないようだ。
給料を払う意思がない場合はともかく、振込を停止して、手渡しにすることは違法ではないため、労基(労働基準監督署)に相談することもできない。
今思うと、「もしも、給料の支払い停止という幼稚な報復をされた場合は、『レジの違算』と称してカツアゲされた金額の被害届を提出します。システムの都合で振り込みができない場合は書留でお送りください」と牽制しておくべきだった。
当たり前だが、バックレた店に向かうだけでもしんどいのに、事前に電話をかけることになると、何を言われるか分からない。
バックレただけではなく、退職届で職場やオーナーのやり方を散々批判したことだし…
私はどうすればいいか悩んだ。
「金額は10万程あるが、取りに向かうリスクを考えると、全額諦めようかな…」
そのようなことが頭にチラつきながらも、何かいい方法はないかネットで調べていた。
そこで、バックレの記事にもリンクを貼った2チャンネルを目を皿のようにして見ていたのだが、
「何食わぬ顔で堂々と取りに行けばおk。説教をされたら『さっさと渡せ!!』と言おう」
「もしくは一旦引いて、『給料を払ってくれない!!』と労基(労働基準監督署)に相談しよう」
「いじめられて辞めたけど、完全に開き直って『給料を取りに来ましたよ!!』と堂々と会社に行った」
といった書き込みによって勇気を与えられた。
「こうなったら、完全に開き直って取りに行ってやろうじゃないか!!」
そこから、私は作戦を考えることにした。
・作戦を企てるも夜は眠れず
思い付いた作戦は次の3点である。
①:早朝に電話をかける
②:その日の夜、深夜のスタッフがシフトに入る午後10時に店へ向かう
③:すでに次の仕事をしていて、実家には住んでいないことにする。
まず、私は翌23日の早朝(6時頃)、電話でオーナーに奇襲をかける。
そんな時間帯に電話を掛けることなど非常識であることは百も承知であるが、オーナーがまだ一日のスイッチが入っていない時間を狙うことで、少しでも相手に余計な説教をされる危険を避けるためである。
そこで、「すでに他所で仕事をしているから、その日の仕事を終えた後、午後10時過ぎに取りに行く」と店に向かう時間を告げる。(もちろん、仕事や引っ越しをしていることはウソ)
その日に行くことにした理由は、「すぐにでもこの不安から逃れたい」からである。
ダラダラと引き延ばすと、給料回収のことが頭から離れなくなったり、オーナーから電話が入る恐怖に怯えることになる。
夜に指定したのは、なるべく元同僚に会いたくないため、少しでも店の人手が減るであろう時間を狙うためである。
加えて、私がバックレたことによるシフトの変更がなければ、元相棒の「軍曹」(仮名)はその日はシフトに入っていないはずだ。
また、給料を手渡しにしたことで、「わざわざ交通費と時間を割いてまで店に出向くことになった」という罪悪感を負わせ、給料の受け取りをスムーズにすることと、指定した時間からの変更を避ける目的もある。
このように作戦を練ったものの、実践によるリスクや、早朝に電話を掛けなければならないことを考えると、その日は一睡も出来なかった。
そして、計画が上手く行ったとしても「明日は長い一日になるだろうな」と悟った。
そんなひと時も気が休まらない長い夜を過ごしていると、いよいよ計画実行の時が訪れた。
私は携帯に残していたオーナーの番号へ電話を掛ける。
「どうなることか…」と心臓がバクバクしていたが、呼び出し音は数回鳴っただけで切れた。
私は一瞬拍子抜けしたが、すぐにオーナーの番号から折り返しが入った。
恐る恐る応答すると、電話を掛けてきたのは彼の妻だった。
彼女とは面識があったが、ほとんど会話をしたことはなかった。
しかも、なぜオーナーの携帯電話を使っていたのかが謎である。
私は平静を装いあっけらかんとした(たぶん働いていた時よりも生き生きとした)口調で、計画した通り、当日の夜に店を訪れることを伝えた。
彼女は私のあまりにも開き直った態度に唖然としたのか、バックレたことを咎めることはなかった。
これで第一関門は突破。
少し緊張が解け眠気を感じたが、ここで眠ってしまったら、電話が上手く行った後のいい流れが途切れそうな気がした。
普段はそんなこと考えもしないが、当時の私は目に見えない超越した力にも縋りたい気分だったのだ。
・やはり頭から離れない
ここでようやく最初に登場した大学の学園祭の話が出てくる。
午前6時に電話をかけたが、店へ向かうのは午後10時。
この16時間は家にいても、イライラして、家族に八つ当たりをしてしまうかもしれない。
また、バックレ以降、毎日の日課になっていた語学の勉強も全く捗らないだろう。
そう考えた私は数日前に身内からもらった学園祭のチケットのことを思い出し、「興味はないけど、頭を空っぽにして、少しでも不安を紛らわすことができるのなら…」と思って、そのイベントに参加することにした。
大学までは快速電車に乗っても片道2時間以上かかる。
それ自体は時間潰しに最適だが、交通費は往復で5000円ほどかかる。
決して安くはないが、この後回収する予定の給料がおよそ10万円であることと、精神的安定剤の対価として考えれば、悪くない買い物である。
それでも、やはり後に起こることの不安は頭から離れない。
急な予定変更の連絡もあるかもしれないので、私は常に携帯の電源を入れていた。
結局、電話が掛かってくることはなかったが、それでも不安でいっぱいだった。
学園祭のことで私が憶えていることは、食券を持っていた手作りのホワイトシチューを食べたことと、食べながら見ていた催し物の司会役の女学生が赤いチャイナドレスを着ていたことくらい。
催し物にはテレビで名の知れた芸能人も来ていたらしいけど、その人物の名前も全く憶えていない。
夕方の5時が過ぎた頃。
私は帰りの電車に乗った。
下車駅が近づくにつれ、非日常的な祭りは終わり、徐々につらい現実へと引き戻されることが犇々と伝わってきた。
電車は地元へ向かうローカル線への乗換駅に到着した。
隣のホームにはすでに乗り換える電車が停まっている。
この電車に乗ったら、8時頃には家に着くことになる。
そうしたら、店に向かうまで2時間近く時間が残ってしまう。
そんなことを考えるとますます気が重くなった私は、その電車に乗らず、一本後の電車を利用することにした。
その路線は1時間に1本の運行だったので、次の電車が来るまで駅の中で待つことになったが、同じ時間潰しであっても、少しでも日常から離れた場所の方が落ち着ける気がした。
在職時は、まるで戦場へ行くような気分で職場へ向かっていたため、早めに家を出た後は途中のドラッグストアでコーヒーを飲みながら時間調整をしていたが、その時と全く同じことをやっていた。
・店の外で待たされた後で
地元の駅に着いた私は、家族に車で迎えに来てもらうことになった。
そして、家には帰らずに、そのまま店まで直行する。
もちろん、店に入るのは私一人だが、家族に送ってもらうことで、実家を離れているというウソのアリバイ作りになるし、もし給料を受け取る際に長々と説教されたら、「すいません。連れを待たせているので、早くしてください」と支払いを催促することもできる。
午後9時50分。
私たちは店に到着し、車の中で決戦の時を待つ。
店の中にはオーナーの息子と、たまに同じシフトに入っていた男性が働いている様子が見えた。
私の読み通り、その日軍曹は非番だった。
オーナーの姿は見当たらないが、彼はいつもバックヤードに居たため、不在かどうかはまだ分からない。
午後10時になった瞬間、私は覚悟を決めて店に入る。
「もう主従の関係ではないのだから、下手に卑屈になったらいけない」
「もしも、キレられたら、『こっちも暇じゃないで、すぐに渡さないなら帰ります』と引いて、給料未払いを訴えよう」
そんなことを自分に言い聞かせながら、オーナーが待ち構えているであろうバックヤードの扉をノックする。
すると、オーナーの息子が扉を開けた。
私はオーナーから給料を取りに来るよう言われ、電話で今日この時間に来る話をしていたことを告げた。
そこで、彼の口からオーナーは不在であることを聞かされた。(余談だが、一緒に働いていた時の彼は腰が低く敬語で話していたが、この時はタメ口だった)
私は「それじゃあ、オーナーが来るまで外で待ってます」と言って店から出た。
オーナーの不在は想定外だったが、このまま中で待つ気にはなれず、とっさに出た言葉だった。
あれだけ長い時間が過ぎ、ようやく決戦の時だと思ったが、長く苦しい時間はまだ続きそうだ。
私は10分以上店の外に待つことになったが、オーナーは一向に現れない。
そんな不安に満ちていると、息子が封筒を持って店から出てきた。
それは紛れもなく私の給料だった。
彼はオーナーに電話を掛け、私に給料を渡すよう言われたようである。
受け取りの際、私は彼に退職届でオーナーに対して行き過ぎた批判をしたことを(一応)詫びた。
彼によるとバイトのバックレは日常茶飯事なので、オーナーはそこまで気にしていないとのことだった。
あれほど恐れいていたオーナーに会うこともなく、最後はあっけなく終わった。
こうして、私の給料回収作戦は無事に成功した。
これが10年前の勤労感謝の日の思い出である。
こうして記事にすると笑い話であるが、今でも忘れることができない程、長く苦しい一日だった。
しかも、勤労感謝の日にバックレの給料の回収って…
ちなみに、バックレた後の私は、オーナーからの手紙を貰うまでストレスから解放され、留学を目指して毎日語学学習に励んでいた。
ちょうどその頃、魅力的な国を見つけ、本格的に留学のプランを練っていた。
そして、それが1年後の2013年11月23日の出来事へと繋がることになる。
【今でも忘れることができない勤労感謝の日シリーズ2013年編】
【今でも忘れることができない勤労感謝の日シリーズ2014年編】