初めて非正規の仕事を続けることに不安を感じた瞬間

半月前に、A男(仮名)という人物と一緒に働いた時の話をした。

彼は私がこれまで共に働いてきて、「やる気がない」とか「仕事ができない」と感じた人を凌駕する圧倒的な仕事の出来なさで、私も初めて職場で怒りを爆発させそうになったが、別れる直前に彼の過去を知ったことで、少しだけ同情することになった。

「終わりよければすべてよし」

この言葉があるように別れの挨拶はとても重要である。

彼とのやり取りを思い出していると、その日、交わした別の人物との別れの言葉を思い出した。

・営業職が嫌だから派遣を目指したものの

A男が去った後、私は仕事でお世話になった別の部署の人にも挨拶をしようと別室を訪れた。

そこで、挨拶をした人物は同じ派遣社員だが、別の業務を担当しているため、翌日以降もそこで働き続けるシバサキ(仮名)という年配の女性である。

彼女は私の身を案じてくれていたのか、退職する私の次の職場のことを心配してくれていた。

その時、私が次も派遣社員としての就業を考えていることを伝えると、彼女からこんなことを言われた。

シバサキ:「え!? どうして!? 早く正社員になった方がいいんじゃない??

ああ、またか…

過去にどんなにお世話になった人であっても、この言葉を聞いた瞬間、私は憎しみで胸がいっぱいになる。

「こいつは敵だ!」という思いに駆られた私は、それ以降、どんな話も一切受け付けなくなるが、彼女の話はこれまで受けてきた助言やアドバイス(というか、説教と自慢話)とは様子が違った。

彼女は20年ほど派遣社員生活を続けているが、かつては正社員として営業職に就いていた。

元々見知りだったという彼女は営業職が嫌でしょうがなく、職種を選べることに魅力を感じて派遣社員へ転じることになった。

その希望通り、20年近くの派遣社員生活の中で、彼女が営業職に従事することはなかった。

だが、派遣社員として生計を立てている彼女はこんなことを感じることになった。

シバサキ:「派遣社員として仕事に就くということは、営業の仕事に似ている」

派遣先との契約が終了し、次の職場を探す時は、新しい職場に自分を商品として売り込まなければならない。

長年同じ組織に在籍し、真面目に働き続ければ、積極的に自分をアピールすることが苦手な人でも、「真面目な人」、「信頼される人」と評価され、仲間として受け入れられる。

しかし、数年ごとに、職場を変えるとなると「これまでの社内の頑張り」が一旦リセットされ、相手は市場の価値を通してしか自分のことを判断してくれない。

彼女曰く、面接の場で、社会に対して自分を売り込む作業が、営業の仕事とよく似ているのだそうだ。

当然、派遣社員として職を得るためには、その関門を潜り抜けなければならない。(そもそも派遣先が労働者を選別することは禁止されているにせよ…)

今の派遣法では(原則として)一つの派遣先で働き続けることができるのは最長で3年である。

ということは、どんなに長くても、3年毎にこの営業活動を行う必要がある。

「それじゃあ、『営業が嫌だから』という理由で派遣社員を選ぶ意味ないじゃん…」

それが、派遣という働き方を長年続けている彼女が感じたことらしい。

・あの人と同じだと思っていた

シバサキは自身の経験や考えを披露した後、私にこんなことを言った。

「早川さんはあまり多くを語らずに真面目に仕事をこなす人だから、面接で自分をアピールすることは苦手でしょう?」

「そういう人は、同じ組織に所属して、長く付き合ってもらうことで、相手に良い所を分かってもらえるから、仕事を転々としていると損をすると思う」

「失礼だけど、私も最初はあなたのことをあの人と同じだと思っていた

その「あの人」とは例のA男のことである。

A男と同じ」という言い方には一瞬ムカッとしたが、その発言は恐ろしく説得力があることに気付いた。

たしかに、面接で「彼と同じ人間」と思われたら、誰しもが「こんなの要らない!」と思って不採用にするわなぁ。

これまで、そのようなことは全く気にしなかったが、隣で散々ダメ人間ぶりを目にしていた人物を例に出されると「たしかにそれは厳しいぞ…」と冷静に指摘を受け止めることができた。

これまでに何度も、

「生涯賃金がこんなに違う!!」

「働けなくなった時の保障がこんなに違う!!」

「フリーターなんて雇ってもらえるのは若い時だけだ!!」

と煽られることはあったが、ことごとく無視してきた。

だが、シバサキから、先の「面接=営業」論に加え、「知らない人から見たらA男と同じような印象」という話をされたことで、今後、3年毎に新しい職場を見つけなければならない派遣社員はもちろん、非正規の仕事を続けることに初めて不安を感じた。

しかも、彼女が使っていた「社会」と「組織」という言葉の使い分けは、私がこの記事で紹介した「社会」と「世間」と全く同じではないか!?

彼女も同じ本を読んで、自分なりの言葉でアレンジしていた可能性もあるが、経験感覚でこのような論理を展開していたのであれば、それは恐るべき眼力である。

ますます彼女の助言を無視できない気がしてきた。

・ベストな働き方ではないが…

私は自らの意志で非正規という仕事を選んでいる。

理由は「正社員という働き方が嫌いだから」である。

たとえどんなに恵まれた福利厚生を提供されようとも、会社から職種、勤務地、勤務時間を一方的に指定され、面倒な人間関係やしつこい行事への参加に怯えて働くなんて絶対に御免蒙る。

別にそういった働き方をする人を否定するつもりはない。

問題なのは、安定などない会社であっても、しつこく「正社員になることを強要されること」である。

かつて、同一労働同一賃金を取り上げた記事で書いた通り、一部の正社員は既得権どころか、社会的に救済が必要な弱い立場の人たちである。

だが、正社員宣教師(または「自称:社会人」)たちは「正社員という働き方は完全無欠」だと信じて疑わず、「今はつらくても、愚直に働き続けていれば、将来はきっと報われる」と言いながら、しつこく洗脳してきた。

彼らの狂信ぶりへの反発もあるが、私は仕事に関しては、当てにならない将来の保証などよりも目の前の現金の方を優先してきた。

そんな私にとって、手っ取り早く高時給を稼ぐことができる派遣という働き方は魅力的だった。

ただ、「今の働き方がベストか?」と聞かれたら、その答えは「違う」。

今からちょうど3年前、日雇い派遣について取り上げた記事で「本職を見つけるまでの繋ぎとして、アルバイトができるのなら、最初から日雇いで働いたりしない」と書いたが、「あえて、派遣という働き方を選ぶ理由」もこれと同じである。

もしも、正社員という働き方がそんなに素晴らしければ、わざわざ非正規などという働き方は選ばない。

少なくとも、現状は、私にとって、非正規という働き方がベストなのではなく、「正社員よりもマシ」というだけだ。

「非正規という働き方は不安定である」

これまで正社員教から何度もこの言葉を言われてきたが、所詮は「安定した正社員」という妄想に固執した甘ちゃんの戯言くらいにしか思っていなかった。

しかし、シバサキのように派遣社員の先輩でもある経験者から、その話を聞かされたことで、今はその言葉の意味を現実のものとしてしっかりと受け止めなくてはならないと感じている。

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