以前、こんな記事を書いた。
記事の内容を簡単におさらいすると、
・近年は韓国人とメッセージのやり取りをすることが増えた。
・彼らとのやり取りはすべて日本語で行っている。
・日本語を学習して身に着けた人もいるが、多くの人は勉強こそしているものの、そこまで精通していないため翻訳ソフトを使っている。
・私は韓国語に関しては全くの素人であり、翻訳ソフトがどれくらい正確なのかは全然分からないが、彼ら曰く、「GoogleやPapagoのような無料ソフトは、近年大きく性能が向上した」とのこと。
そんなこともあり、今はお互いにとって外国語である英語を通す必要がなく、スムーズなやり取りが可能となった。
そのこと自体は歓迎すべきだが、私には二つの不安が生まれた。
・機械に仕事を奪われる!?
まず一つ目の不安。
「翻訳ソフトがここまで発達したのなら、韓国語(韓国人の立場では日本語)を勉強する必要なくない?」
いや、勉強していない私がこんなことを言うのはおかしな話だが…
そして、そこから派生する形で生まれたのが二つ目の不安。
「このケースが当てはまるのは韓国語だけだろうか…」
現時点では、対韓国語ほどの性能はないにせよ、英語の翻訳機能も改良が続くと、学生時代の私のように「I・My・Me・Mine」の違いすら分からない人でも、簡単に英語でのやり取りが可能になり、英語を勉強して身に着けることの意味が失われる。
そうしたら、私は英検準1級保持者という今の強みを失ってしまう。
まさに、この記事で取り上げた「情報化によって労働力の価値が低下する」の典型例である。
巷で話題の「AIに仕事を置き換えられる!!」というのも、これと似たようなものなのかもしれない。
さて、そんな悲観的な考えを持っていたのは先の記事を書いた頃の話。
その記事を書いた後で、海外からの問い合わせ対応が生じる仕事に就いた。
その仕事の募集条件には「稀に海外からの問い合わせがあるため、英語に抵抗がない方」と書かれている程度に留まっていたためか、同僚の多くは英検やTOEICの資格は保持していなかった。
そのため、彼らが海外から送られてくるメールの対応をする時は翻訳ソフトを使っていたのだが、傍らでその様子を見ていた私は確信した。
「今後、どれだけ翻訳ソフトの性能が向上しようと、翻訳ソフトを使うだけの素人には負ける気がしない」と。(嫌な奴ですね)
ここからは私がそう感じた理由を話させてもらいたい。
・英語が全く読めない人が翻訳ソフトを使うとどうなるのか?
結論から言うと、私の印象としては、英語が読めない人でも翻訳ソフトを使えば60%前後の内容は理解できていた。
ざっくり言うと、「この人はどの案件のどの部分について問い合わせているのか?」ということくらいは分かる。
だが、「どうして欲しいのか?」とか「これではなく、あれが欲しい」というような要求を理解することは難しいようである。
実際に私が助け舟を出した例では、
「あなたが書いているのは○○だが、正しくは△△ではないのか?」
「もし△△が正しい内容なら、書類をそちらの数字に訂正して欲しい」
という内容のメールだったのだが、それを読んだ担当者は
「私が送った書類には〇〇って書いてあるのに、何がいけないの!?」
「△△なんて書いてないけど、一体どこのことを言っているの!?」
と混乱していた。
やはり、日本語と英語では文法が大きく異なるため、韓国語のように翻訳ソフトだけで完璧に理解することは困難のようである。
・書くことはもっと難しい
前段では「英語の知識がなくても、翻訳ソフトを使えば、内容の60%程度は理解できる」と書いたが、そちらは今後、改良が加えられればもう少し向上するかもしれない。
しかし、書くことに関しては、今後いかに精度が向上しようとも、素人が翻訳ソフトを使うだけでは太刀打ちできないと確信した。
最近の翻訳ソフトは10年ほど前に比べると性能が大きく向上した。
英→日の翻訳だけでなく、日→英に関しても、短い文章であれば、ソフトが書き出した文章に修正を加えることなくそのまま使用できる。
だが、同僚の多くは英語でメールを返信する際に、翻訳ソフトの文章を使わずに、あらかじめ用意されている定型文を使用していた。
おそらく、翻訳ソフトの文章が正しいのかどうか判断できないからだと思われる。
そのため、相手がかなりの長文で熱心に問い合わせてきても、
Hi.
This is the file you requested.
どうも。
これがあなたが要求してきた書類です。
というような短い返事しか送らないことも多々あったようである。
日本式の回りくどい文章にウンザリする気持ちも分からなくもないが、お礼もお詫びもない、こんな冷たい文を送られたら相手はどんな気持ちになるだろか?
また、ある人は定型文だけでは心もとないと感じたのか、自分で文章を考え、私に最終確認を頼んできたことがあったのだが、彼の要求は、自分が書きたい文書を複数の翻訳ソフトに入力したが、表示された文章がまちまちだったため、「どれが適切なのか選んで欲しい」というものだった。
彼によると、念のため、すべての文章を英→日で再翻訳したが、その結果、全然違う意味になったため、自分にはお手上げだったとのこと。
その話を聞いた私はあることを思った。
彼の姿は10年前の私と全く同じではないか!?
この記事で書いた通り、(およそ)10年前の私は独学で英語の勉強を始めたものの、単語も文法も全くダメで英検3級にも二度ほど落ちていた。
そんなレベルでまともに英語の文など書けるはずもなく、翻訳ソフトを使っていたが、それだけでは不安だったため、送信前に日⇔英を入れ替えて再度確認した。
しかし、その結果、全く違う意味になり、「一体、どこが違うんだ!!」と嘆いていた。
たとえ、翻訳ソフトが改良されても、最終的にそれを使う人間が変わらなければ、効果は限定的なのである。
ちなみに、彼が書きたかった文章とは「返信が遅れてごめんなさい。あなたの要求通り、書類を修正しました。確認をお願いいたします」というものである。
「その程度、翻訳ソフトを使うまでもないだろ」
と思ったが、わざわざ、それを言葉にすることはなかった。
ちゃんと自分の言葉を伝えようとしただけ、定型文に逃げる人より立派だし。
・機械はあくまでも人間を補助するためのもの
繰り返しになるが、機械がどれだけ発達しようとも、最終的な判断を下すのは人間である。
機械を使えば、1を2へとステップアップすることは容易かもしれないが、0から1へ進めることは難しい。
よくよく考えれば分かる話だが、「電卓があればどんな計算でも短時間でできるから、学校で子どもに算数を教えなくてもいい!」なんて理屈を主張する人間などいないだろう。
冒頭で紹介した日韓関係における翻訳ソフト万能論も、私が日本語で何不自由なくやり取りをしている裏で、相手の韓国人は翻訳ソフトを通して、
「これは多分、この意味だろうな」
「翻訳ソフトではこの言い回しになっているが、ここはこう書くべきだな」
と、いくつもの細かい修正をしているのだろう。
要するに、すべては相手の厚意におんぶに抱っこされている状態だからこそ可能なのだ。
私の場合はお相手の韓国人に「日本語の勉強をしたい」という動機があり、私がその言葉に甘えているからこそ成立する例外的なケースなのかもしれない。
そのような事情もなく、翻訳ソフトで作った文章や画面を突き付けて、「さあ、どうだ!!」という一方的な態度でやり取りをすれば「何なんだ、こいつは!?」と反感を買うのは当然だろう。
どんなに機械が発達しようと、たとえ文字だけのやり取りだろうと、機械で人間の気遣いや思いやりを置き換えることは難しいと思う。