2021年も残り2週間となった。
ということで、今日から徐々に今年1年を振り返っていこうと思う。
昨年最後の記事は「以前このブログで紹介した人たちは今どうしているのか?」の特集だった。
今年も、1年の締めくくりとして同じ企画を行うことも考えていたが、昨年から続くコロナ渦ということもあって、昨年からあまり生活が変わっていない人が多く、同様の企画を行うことは不可能だと判断した。
それに代わるネタはないかと思いながら、ペンパルサイトのメッセージを掘り返していると、あることに気付いた。
・韓国人も英語が苦手
今年になって明らかに変わったこと。
それは、これまで圧倒的に英語が多かったメールボックスに日本語のメッセージが増えたことである。
今までも、日本語でやり取りをしていた人は何人かいたし、そんな彼らのことをブログで紹介したこともある。
だが、今年になって明らかに傾向が変わった。
そう感じるのは、今年になって増えた日本語のメッセージのやり取りは、すべて同じ国の人と行っているからである。
その国とは韓国である。
これまでも、韓国の人とはやり取りをしたことはあったが、ほとんど英語だった。
この記事で紹介した通り、なぜか日本には「韓国人は英語が得意な人が多い」と思い込んでいる人が多いのだが、そんなことを主張する韓国人は見たことがない。
むしろ、日本と同じように、学校教育で読み書きしか教えないことや、大学受験に特化した勉強の弊害を指摘する人が多い。
そんなこともあってか、韓国の人と英語でやり取りをしてもあまり長く続かなかった。
比較的長く続いたのは、彼や彼女のように日本企業で働き、日本語が堪能なため、私とも日本語でやり取りをしている人たちだった。
・勉強の必要なし?
今年になって知り合った韓国人とも全員日本語でやり取りをしている。
だが、「彼らが全員、先の二人のように、日本語がペラペラなのか?」と言われれば、そうではない。
彼らは皆、翻訳ソフトを使うことで日本語を読んだり、書いたりしているのである。
ある韓国人曰く、韓国語で書いた文章を日本語へ翻訳する機能が、ここ数年で劇的に改善したらしい。
翻訳ソフトが書き出した文章を確認して、独自の視点でアレンジする人もいるが、人によっては、最初から日本語を覚える気がなく、最初から最後まで翻訳ソフトに頼っている。
翻訳ソフトのみを使用して送ってくる人の文章を読んでみると、たまに意味が分からない言葉が出てくるが、文法はしっかりしているため、ある程度は前後の文脈から推測が可能である。
実は私もろくに英文が書けなかった頃に翻訳ソフトを使おうとしたが、当時は今ほどソフトの精度が高くなく、日本語と英語の間の文法は、日本語と韓国語ほど似通っていないこともあってか、とてもではないが、人に見せられる文章にはならなかった。
そんなことがあったため、非英語圏の国で暮らしている人であっても、翻訳ソフトで現地の言葉に訳したりせずに、常に英語で文を書いていた。
もちろん、韓国の人に対してもそうであり、「翻訳ソフトを使ってメッセージを送るなんて有り得ない!」と思っていた。
だが、韓国人の彼が言う通り、翻訳ソフトはここ数年で大きく改善され、日本語と韓国語間においては予備知識など必要なく、自国語をソフトに入力するだけで、意思の疎通が可能になっているのかもしれない。
ちなみに、私は韓国語が一切分からない。
私が書く文章はすべて日本語で、彼らが翻訳機を介して文章を読んでくれている。
そのため、自分が書いた文章がどれくらい正確に翻訳されているのかは一切分からないが、今の所、彼らから誤解されたことは一度もない。
彼らから聞いた話をまとめると、圧倒的に使いやすいのがPapagoとGoogleで、共に無料で使用できる。
特に、日本語→韓国語の翻訳はPapagoを推す声が圧倒的に多かった。
・一方的な依存はダメ
翻訳ソフトのおかげで、英語が得意ではない韓国の人とも、何不自由なくやり取りができることになった。
なんなら、日本人相手のように、毎日でもできそうな気がする。
だが、勘違いしてはいけないことが一つある。
私がこうも簡単に彼らとコミュニケーションを取れるのは、彼らが翻訳ソフトを使うすべての作業を負ってくれているからである。
彼らが私にメッセージを送る時は、自身の言葉を翻訳ソフトで日本語へ変換し、受け取る時は、私が送る時は日本語で書いた文章を彼らが翻訳ソフトを使って解釈して読んでくれている。
私は何も特別なことをせずに日本語で文章を送ったり、受け取っているだけである。
彼らは日本語を勉強しているため、自らこのような不平等な関係を申し出てくれ、私もその厚意に甘えているわけが、そのような前提がない時は、こちらも文章を送る時は韓国語に翻訳するなど、相手に歩み寄らなければならない。
翻訳ソフトも完璧ではないため、誤解を生むこともあり、扱いも多少の煩わしさがあるが、それをやらずにただ「相手におまかせ」という姿勢ではすぐに愛想を尽かされてしまうだろう。