地元への幻想から目覚めさせてくれた意外な人物

前回のテーマは「ゴールデンウィーク明けの通勤地獄」と「在宅勤務を頑なに求めない企業の反社会性」を指摘する内容だったが、公開前に最終確認として記事に目を通しているとこんなことを感じた。

「最近やけに『ゴールデンウィーク』という単語を使っているなあ…」

気になって調べてみると、今月に書いた7本の記事の内、6本で何らかの形で「ゴールデンウィーク」という単語が登場している。

だが、何れの記事も、今年(2022年)のゴールデンウィークの体験を紹介するものではなかった。

少しでも触れているものがあるとしたら、この記事で「(ゴールデンウィークは)暇だったから、Facebookで知人のアカウントを探していた」ということくらい。

今年も例年同様、そんな退屈な連休を過ごしていた。

しかし、そんな中でも、ゴールデンウィーク中に考えさせられる出来事があった。

今日はそんな話をしたい。

・コキ使われたことすら懐かしく思える

連休の半ば、私はある大型量販店に出かけた。

別に何か買いたい物があったわけではなく、その店に立ち寄ることが目的だった。

もう5年以上前の話だが、当時実家に住んでいた私は、販売の仕事に就いており、世間の休みとは無関係に仕事をしていた。

連休中のある日、翌日がシフト休だったため、「明日はゆっくりしよう」と思いながら帰宅すると、家には親戚が来ており、車の免許を持っていなかった彼らは、私にこんなお願いをしてきた。

「明日は休みなら、○○へ連れて行ってくれない?」

○○とは車で1時間ほど走った場所にある低価格で販売を行っている大型の量販店である。

内心「人の貴重な休みを買い物の足に利用するとは何事だ!?」と思いながらも、たまたま書店に行きたかった私は、「ついでに、○○の近所にある書店に行こう」と思い、誘いに応じることにした。

結局、私が何かの本を購入することはなく、彼らに連れ回される形で、店を回ったり、食事をしただけで、思い出となるような楽しいことは一切なかった。

だが、その時は「面倒くさい」と思っていたことでも、数年経って、家族も友人もいない生活を送っていると、そんな日々も懐かしくなってきた。

というわけで、当時の思い出に浸りたくなった私は、「今年のゴールデンウィークは○○に行こう!」と思って、自宅から最も近い場所にある○○に向かった。

特に買いたい物がなかった私は、店内を歩き回りながら昔のことに思いを馳せていた。

たしかあの時も、親戚の子どもが長時間、服を選んでいることに苦言を呈したら、「自分も少しはオシャレを楽しんだら?」って言い返されたなあ…

当時はそんなクソ生意気だった子どもも、今では立派に働いている。

「だけど、その子が今の私を見ても、きっとあの時と同じことを言うだろうなあ…」

そう思った私は、普段は見向きもしない洋服に目を通していた。

・清々しいまでの灯台下暗し

そんな昔の思い出に浸っていたが、ある人物の登場で、そのムードはぶち壊された。

洋服コーナーのすぐ隣にある靴売り場を眺めようと思ったら、そこには2人の男性が立っていた。

一人はエリア長クラスと思われるワイシャツを着た男で、もう一人はスタッフジャンパーを着た若い販売員の男性だった。

ワイシャツの男はその店の靴の並べ方が気に食わなかったようで、自分で商品を並べ替えると、店員にこんな話をした。

エリア長:「この並べ方と君の並べ方だと、お客様はどっちが見やすいと思う?」

店員:「こっちの方が見やすいです…」

エリア長:「じゃあ、何で今までそうしなかったの!?」

店員:「・・・」

エリア長:「お客様の立場になって考えていたら、自然とそれくらいのことは考えるよね!?」

店員は立場上、奴の主張に同意せざるを得なかったのだろうが、この男はさらに偉ぶって説教を続けた。

「お店というものはお客様のためにあるの!!」

「君がこの売り場の担当じゃないとか、従業員の人手が足りないとか、そんな事情はお客様には一切関係ないでしょう!?」

「お客様に気持ちよく買い物して頂けるようにもっと頑張ろうよ!!」

清々しい程の灯台下暗しである。

少なくとも、私は客だが、この男が商品の前に突っ立って、長々と説教をしていることで、商品を眺める妨げになっていた。

つまり、馬鹿の一つ覚えのように「お客様!! お客様!!」と連呼している男が、最も客に迷惑をかけていたのである。

しかも、客前でこのような公開説教を聞かされていて、一体、誰が気持ちよく買い物などできるというのだろうか?

たかだか商品の並びが見づらいことよりも、売り場で部下を一方的に罵るダサい男を見せられる方が、よっぽど不愉快なのだが。

ゴールデンウィークの書き入れ時であるはずなのに、この会社の管理職はよほど暇なのか?

そもそも、「お客様にとって従業員の事情なんか一切関係ない!!」って言い方は何なん?

何で勝手に人のことを「血も涙もなく、消費者としての快楽のみを追求するおぞましい化け物みたい」に言っているの?

多分、この店にとって重要なのは「お客様の心」ではなく、「お客様の財布(お金)」のことであり、人としてのつながりや思いやりなど、微塵も考えていないのである。

いずれにせよ、楽しい思い出に浸っていた時間をぶち壊したこの男が、それなりの役職に就いているような店で私が買い物をすることは二度とないだろう。

・店を任されて3ヶ月で休職した店長代理

その日はワイシャツの男のせいで、一気に興醒めして、帰宅することになった。

せっかく貴重なゴールデンウィークの外出にこんな不愉快な思いをするとは何とも残念である。

そんな悲しい気持ちに沈んでいたが、一人の時間になると、昔の職場のことを思い出した。

このブログでは度々、私が上京前に働いていた最後の職場が登場する。(本文にリンクを貼っているもの以外の登場記事は関連記事を参照)

そこは販売業を営んでいる、会社全体の従業員が20人程度の会社で、私が働いていた店は、(地元では)それなりに規模が大きいスーパーにテナントとして出店していた。

仕事は単調で、給料も高いとは言えなかったが、職場の仲間にも恵まれ、充実した日々を送っていた。

そんないい思い出があるためか、東京に出てきてつらいことがあった時は、よくその職場のことを思い出す。

だが、決して、その職場は天国だったわけではない。

テナントを出店しているスーパーは、今回私が訪れた量販店と同じく、格安販売路線の店だったため、1円でも経費を切り詰めるような経営をしていた。

従業員の数も少なく、大半は最低賃金で働くパート・アルバイト労働者であることに加え、正社員は過酷な労働形態を強いられていた。

そして、末端の販売員に偉そうな顔で説教していたエリア長のように、「お店はお客様のためにある!!」というようなスローガンを掲げ、朝礼でその唱和をしていた。

私はテナントの従業員であるため、その朝礼に参加する必要はなく、その時はスーパーに直接雇用された従業員ではないことを心の底から喜んでいた。

たとえ時給が低かろうが、会社が交通費を支給してくれなかろうが、そんな宗教じみた儀式に参加するのは御免である。

さて、私がその職場で働き始めた時に、いろいろと気を使ってくれたスーパーの正社員がいた。

彼はテシマ(仮名)という名前で、元々は別の分野で働いていたそうが、登録販売者の資格を取得して、3ヶ月前からスーパーに中途採用で入社した(当時)40代の男性である。

スーパーの従業員は基本的に私たちテナントの従業員とは距離を取り、威圧的とすら感じることもあったが、彼だけは常に気さくで、腰の低い喋り方をする好感を持てる人物だった。

この記事に書いた通り、私は働き始めて2週間で別の店舗に異動となったが、テシマも近々20kmほど離れた場所にオープンする別の店舗に異動となることを聞かされていた。

数ヶ月後、私は週1日であるが、元の勤務先も兼任で働くことになった。

そこで、休憩中だったスーパーの社員から、異動したテシマの話を聞いた。

彼が赴任することになった店舗の店長はエリア全体のマネージャーも兼ねていたため、店を開けることが多く、入社して半年も経たない彼が実質的な店長職を任されていた。

その店舗の開店直後は、なぜかお弁当の販売が大盛況で、夕方時になると、常にレジに長蛇の列ができていたらしい。

加えて、夕方の人手不足となると、家庭を持つ主婦が定時で帰宅することが難しくなり、そのことに不満を持つ人も現れた。

店を任されていた彼は、その事態を重く見て増員を提案した。

しかし、エリア長兼店長は、「その人手不足は開店直後の一時的なものだから」と言って、要請を退けた。

その結果、テシマが心配していた通り、退職者が続出して、夕方時の混雑で人手不足はますます深刻化した。

これは明らかなエリア長の失態であるが、彼は店を任せていた(というよりも「丸投げしていた」)テシマの管理能力を批判し、連日のように責めていたという。

人が良いテシマはそんな環境で、他人に負担をかけたり、悪口を言うことができず、新しい職場に赴任して3ヶ月も持たずに休職してしまったらしい。

・受け入れざるを得ない現実

テシマの件に限らず、スーパーは従業員が少ないため、一人のスタッフが複数の売り場を掛け持ちで担当し、常に店内を走り回っていた。

そして、彼らはいつも殺気立っていた。

私が今回目にしたワイシャツの男のように、部下にネチネチと説教する姿を目撃したこともあった。

消費者にとっては楽園である格安チェーン店のどす黒い裏の顔である。

私はテナントの従業員だったので、そこまでスーパーの営業方針に影響を受けることはなかったが、「今の安泰がいつまで続くかな…」と不安になることはあった。

そう感じた理由は、私が職場を辞める頃は、働き始めた頃に比べて、スーパーから細かい要求が文章で送られてくることが増えていたからである。

それも、「協力要請」というようなお願いではなく、「○○徹底の通達」という一方的な要求である。

そのひとつが、「テナントの従業員にスーパーの商品について質問したら、『私はテナントの従業員なので、スーパーの者にお尋ねください』とあしらわれた」というクレームがあった事例を基に、「お客様にとっては、直営のスタッフもテナントの従業員も関係ないため、あくまでスーパーのスタッフとして接すること」という通達だった。

私たちテナントが人手不足に苦しんでいる時は一切の融通を利かせてくれないのに、このような時だけ、「スーパーの一員としての自覚を持て!」というのは、まるで植民地支配でもされているかの気分である。

私が職場を去ったのは5年ほど前なので、今では規制がもっと強化されていることは間違いない。

私がその職場を気に入っていたのは、「大企業的な細かいマニュアルなどとは無縁の自由な会社だったから」である。

その会社が完全にスーパーの植民地となってしまっては、私はとてもではないが、生きていけないだろう。

私は今回の出来事を通して、かつて働いていた職場で目にしたスーパーのどす黒い裏の顔を思い出した。

そして、かつての職場は、その魔の手がじわじわと伸びてきていることも容易に想像できた。

そうなってしまったら、とてもではないが、「充実していたあの時の職場に戻ろう!」とは思えない。

つまり、私には帰れる故郷などないのである。

このブログでも度々そのことを述べてきたが、無意識のうちに地元を美化していたようだった。

前回の記事では、ゴールデンウィーク以降、通勤ラッシュに悩まされているということを書いたが、もしも今回の出来事がなかったら、「通勤地獄とは無縁だった地元の生活に戻りたい…」という危険な考えに陥っていたかもしれない。

あの時は不快に感じて、思い出までも踏み躙られた気分になったワイシャツの男の公開説教が、こんな形で私の役に立つことになったことは、受け入れ難いが、受け入れざるを得ない現実だった。

もっとも、説教をされていた店員さんにとっては、ただの災難だったのだろうが…

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