
前回のテーマは、マッチングアプリ関連の記事を読んだ方から頂いた意見をヒントにして生まれた。
彼がメールを送ってくれた頃、別の男性読者からも面白いメールを頂いた。
・よくその顔でえり好みできるな…

こちらの方もマッチングアプリを使用しており、メッセージのやり取りは出来るのだが、なかなか会うことは出来ないことに悩んでいた。
特に彼が傷つくのは、顔写真を「交換」した後の対応である。
アプリを使う前の彼は、特に容姿にコンプレックスを持っていたわけではないが、顔写真を送った後は、ことごとく拒絶されてしまった。
当然、相手の女性はお断りした後で、自分の顔を送るようなことをしない。
それどころか、連絡すらせずにブロックすることが大半である。
そんな不誠実な対応に傷つきと同時に腹を立てた彼は、あるルールを設けることにした。
それは…
顔写真の交換を要求されたら、必ず言い出しっぺである相手から写真を出させることである。
これで、たとえ断られても「自分は顔を隠して、相手の顔を一方的に評価する」という食い逃げのようなことは防げると考えた。
当初の目的はこのような不公正を是正することだった。
しかし、そのことで結果として、彼は衝撃的なことを思い知らされた。
彼はこれまで自分が拒絶され続けてきたのは、てっきり「自分の顔が相手と釣り合っていないからだ」と思っていた。
当然、相手の女性はそれなりに整った容姿だろうと想像していた。
ところが、先に相手の写真を出させたことで、相手の顔が可視化されると、とてもではないが、相手も自分と同等、もしくはそれ以下の顔であることが大半だった。
「よくこの顔で、他人の外見をえり好みしようと思えたな…」
これが彼の率直な感想である。
彼は私に連絡した際に、自身の顔と彼を拒絶した女性の顔写真を送ってくれた。
それを見た私も彼と全く同じことを感じた(笑)
彼女たちは恐ろしいほどに自分のことを棚に上げて、高望みをしている。
それとも、本気で自分の顔が美しいと思っているのか?
もちろん、どんなにブサイクでも、自分に愛着を持つことは決して悪いことではない。
だが、彼女たちは、客観的に見ることが出来きず、「自分の顔は平均より上だから、相手にも相応のレベルを求める資格がある」と思っているのだろう。
他者の外見を上から目線で論じるブスとは何とも浅ましいものである。
ただし、念のために言っておくが、決して、「顔が醜い人ほど、他人の容姿に厳しい」というわけではない。
美形の人が他人の容姿に厳しい場合は「まあ、自分と同じレベルを求めているのだからしょうがないよね~」と周囲も納得してしまうが、ブスが自分のことを棚に上げてイケメンを求めるからこそ、本人との乖離が大きく、その姿が滑稽に映るのだろう。
「この人は顔が醜いのに他人の外見に厳しい」と考えがちだが、実際は「顔が醜いからこそ他人の外見に厳しい」ことに呆れてしまうのではないだろう。
ちなみに、容姿にNG判定を受けて心を痛めた彼は、自分のことを棚に上げてイケメンを求める醜女たちの顔写真を髑髏(しゃれこうべ)のように並べて、自分の顔写真と比較しながら、
「やっぱりこっち(醜女)の方がブスでしょう?」
「俺が平均以下の30点なら、こいつらは5点や10点である」
と度々問いかけているという🤣
・言葉遣いも「仕事能力」の一部

「顔が醜いのに他人の外見に厳しい」ではなく、「顔が醜いからこそ他人の外見に厳しい」
この話をしていると、「これと近いな…」と感じることが思い浮かんだ。
世の中には、仕事があまり出来ない人がいる。
それだけなら、まだ許容できるものの、やる気も感じられない人もいる。
しかも、なぜかそういう人に限って、無礼で常識がなく、自分を助けている周囲の人に対して、口の利き方が非常に悪いのだ。
仕事でミスが多い。
教えても素直に聞かない。
周囲に気を遣わない。
それなのに、言葉遣いだけは妙に強気で、時には反抗的で、人を小バカにしている。
私が経験した最たる例がこの男だが、読者の方も自身の経験がすぐに蘇ったことだろう。
その時はあなたも怒りに満ちて、きっとこんなことを言いたくなったかもしれない。
「何であんたは、ここまで仕事が出来ないのに、態度だけはそんなにデカいんだ!?」
「あんた、ただでさえ仕事が出来ないのだから、口の利き方には気を付けた方がいいよ!!」
なぜ、彼らは仕事が出来ず、周囲に助けてもらってばかりなのに、あんなにも態度が悪く、口の利き方が悪いのか?
しかし、自分の容姿が醜いのに他人の顔に厳しい人と同じで、考えが逆なのではないだろうか?
つまり、彼らは「仕事が出来ないのに口が悪い」のではなく、「仕事が出来ないから口が悪い」のではないか?
世の中では、「仕事が出来る人」と聞くと、専門知識や技術力、処理能力などを思い浮かべる人が多い。
もちろん、それらは重要である。
だが、実際の職場では、それだけで仕事が成立しているわけではない。
他人と連携し、情報共有し、時には協力をお願いしながら業務を進める必要がある。
つまり、周囲との関係性そのものが仕事の一部なのだ。
そのため、本当に仕事が出来る人ほど、
・相手を無駄に不快にさせない
・不要な対立を避ける
・感情的な衝突による損失を理解している
・言い方ひとつで仕事効率が変わることを知っている
という特徴を持っている。
要するに、「言葉遣いに気を付ける」という行為自体が、仕事能力の一部になっているのである。
逆に言えば、そのような視点を持たない人ほど、言葉遣いも自己中心的なものになるのではないか?
また、仕事が出来ない人の態度が大きく見える理由として、「自信のなさ」が関係している場合もあると思う。
人は、自分に自信がない時ほど、攻撃的になる。
注意される前から身構える。
少し指摘されただけで反発する。
事あるごとに自分の方が上だというマウントを取りたがる。
その結果、
「別に自分だけが悪いわけじゃないですよね?」
「前も言いましたけど?(←本当は言っていない)」
といった棘のある言い方になる。
これは「態度が大きい」というよりも不安や劣等感の裏返しで、先に攻撃的になることで、自分を守ろうとする。
もちろん、だからといって周囲がそんな我がままを容認する必要は一切ない。
・何を言ったかよりも、誰が言ったかを見ている

一方で、「口は悪いが仕事は出来る人」というタイプの人も存在する。
一昔前の「職人肌」の人物像である。
すぐに怒鳴る、普段の言い方もキツい、人のことを名前で呼ばない。
しかし、腕は確か。
そのため周囲も、
「あの人は口が悪いけど、仕事は出来るからしょうがない…」
「あんなに能力が高い人は、きっと周囲の凡人が皆バカに見えるから、あのようなことを言ってしまうんだろう」
と、ある程度は納得(我慢)してきた。
これは「仕事能力」という大きなプラス要素が、口の悪さというマイナスを打ち消しているのである。
一方で仕事が出来ない人はそうしたプラス要素がないため、口の悪さだけが目に付く。
そのため、仕事が出来る人であれば、「厳しいけど優秀な人」、「職人気質」と受け取られる言葉や態度でも、仕事が出来ない人であれば、
一体何様なんだ!?
となりやすい。
だからこそ、同じ態度であっても、仕事が出来ない人の口の悪さは、一段と強く印象に残る。
これは、自分の容姿を棚に上げて、他人の顔立ちを厳しく批判する傲慢な人間と同じと言えるだろう。









