
前回の記事の入口は、参政党の不祥事だったため、今日は移民受け入れについて話をしたいと思う。
移民受け入れについては、マスコミでも、ネットでも様々な議論がなされている。
少し前のことだったが、ネットでそんな動画を見ていたところ、コメント欄にこんな意見が書かれていた。
「移民に反対する奴は、まず子どもを二人以上育てる義務を果たせ。ちなみに俺は果たしているぞ」
この意見を見て、私は少し考えさせられた。
もちろん、個人の行動と国の政策は本来別の話である。
子どもがいるかどうかと、移民政策に賛成か反対かは直接結び付くものではない。
しかし、ドラえもんの「もしもボックス」のように、「もしも、この社会にこういう人が増えたら、移民を受け入れる必要はない」という思考実験は可能だと思う。
・少子化と人手不足は別問題

もしも、結婚適齢期の人の多くが子どもを二人以上産んだら、日本は移民を受け入れる必要がなくなるのだろうか?
結論から言うと、「No」である。
移民受け入れの議論では、しばしば少子化と人手不足が同じ問題として扱われる。
確かに人口が減れば働き手も減る。
しかし、実際の社会を見ると、単純に人口が増えれば解決する話ではない。
現在の日本でも、
・東京への人口集中
・地方の過疎化
・事務職への応募集中
・介護、建設、運送、農業などの慢性的な人手不足
といった現象が起きている。
日本の若者の多くは都市部を目指す。
大学進学、就職、転職など様々な理由があるが、結果として人材は大都市へ集まり続けている。
地方自治体の多くは人口流出に苦しみ、
「若者がいない!!」
「後継者がいない!!」
「地域産業を維持できない!!」
という問題を抱えている。
この状況で単純に人口だけ増えたとしても、結局は東京や大都市圏に人が集まるだけではないだろうか。
仕事についても、ホワイトカラー職ばかり希望する可能性の方が高い。
つまり問題は「人が足りない」ことではなく「必要な場所に人がいない」ことである。
仮に出生率が急回復し、多くの家庭が二人以上の子どもを育てるようになったとしても、その子どもたち全員が、社会にとって望まれる場所に住んで、仕事をするとは限らない。
そうなれば人口は増えても、地方の過疎化や特定の産業・職種の人手不足は解消されないかもしれない。
つまり、「子どもを二人以上産めば移民は不要になる」という話は、かなり単純化された、なおかつ、自分の子どものことを過大評価した見方なのである。
そう考えると、「二人以上子どもを産めば移民は不要」と結論付けることには無理があるように思う。
・本当に義務を果たしたと言えるのか?

このように「自分は子どもを二人育てる義務を果たしているから移民受け入れに反対する権利がある」とは到底言えない。
では、どこまでの義務を果たせば、その権利が付与されるのだろうか?
私は少なくとも、以下の6点は最低ラインだと考える。
・①:人手不足の業界で働く
移民受け入れの理由としてよく挙げられるのは労働力不足である。
たとえば、介護、建設、物流、サービス業などの業界。
このような業界は人手不足解消のため、外国人の労働力を欲している。
だとすれば、そのような業界に就労して、労働力不足を埋めることは、移民を不要社会へ向けた直接的な貢献と言える。
・②:夜勤や土日勤務も引き受ける
業界・職種に関係なく、夜勤や土日勤務は多くの人が敬遠する。
だが、社会を支える仕事の多くは、平日日中だけでは成り立たない。
病院も介護施設も物流も24時間動いている。
というわけで、移民を必要としない社会を目指すためには、これらの勤務形態を引き受けることが欠かせない。
・③:人口減少地域に住む
希望職種と同じく、偏りが激しいのが居住地である。
都心部、特に東京は過密状態なほど多くの人が集まる一方で、地方や田舎は存続の危機に陥るほど人口流出が進んでいる。
「他の奴らも自分を見習えば移民なんか要らない」と豪語するのであれば、人手不足が深刻な地域に住むのは当然と言える。
・④:地域コミュニティに参加する
休日には自治会や地域活動に参加する。
もちろん、奉仕なので無償である。
高齢化が進む地方では、人口だけでなく、地域コミュニティそのものの維持が課題になっている。
移民反対を唱えるのであれば、ぜひとも、地域コミュニティの空洞化阻止にも一肌脱ぐのが筋だろう。
・⑤:親と同居して介護や生活支援を行う
移民受け入れについては「日本の社会保障にタダ乗りされるから、制度が持たない!!」という議論がやたらとされるが、日本で就労している外国人も社会保障費を支払っているという当たり前の前提が、なぜか抜け落ちていることが少なくない。
というよりも、彼らの負担がなければ、社会保険料の支払いはますます重くなるだろう。
そんな少子高齢化による社会保障負担を少しでも軽減するため、彼らには自身や配偶者の親と同居して、介護などの世話を引き受けてほしい。
・⑥:地域密着型の店を利用する
実際に就労者が多いわけではないが、移民反対論者の中には、「外国人が働く場所=コンビニか飲食店」と考えて、「移民を受け入れるくらいならコンビニや飲食のチェーン店が減っても構わない!!」と主張する人もいる。
だとしたら、彼らには食事や買い物の際に、地元の日本人が経営する個人商店を利用して、外国人労働者に依存しているチェーン店を駆逐してもらいたい。
・子育ては社会の特権ではない

もちろん、私は本気でこれらを義務化すべきだと言いたいわけではない。
ここで言いたいのは、「なぜ子どもを二人以上産むことだけが特別な義務として扱われるのか」ということである。
社会を支える方法は一つではない。
子育てをする人も社会を支えている。
介護職として働く人も社会を支えている。
地方で暮らし続ける人も社会を支えている。
親の介護を担う人も社会を支えている。
それにもかかわらず、「自分は子どもを二人育てたから移民反対を主張する資格がある」という理屈は、都合が良いように見えてしまう。
また、移民に限った話ではないが、「最低でも子どもを二人育ててからものを言え!」という主張には、「自分が苦労して育てた子どもが将来納税者となり、子育てをしていない人の生活を支えるのは不公平だ!」という前提でなされている。
私は、その前提そのものが間違っていると思う。
まず、「自分の子どもが将来必ず社会を支える側になる」のかは不確実である。
確かに子どもは成人すれば納税義務を負う。
しかし、どんな人生を送るのかは誰にも分からない。
高所得者として多額の税金を納める人もいれば、病気や障害、失業など様々な事情によって十分な収入を得られない人もいる。
それこそ、自分たちが「大切に育てた子どもの税金を食いつぶす社会の敵」とみなしている生活保護や各種社会保障に支えられる立場になる可能性もゼロではない。
にもかかわらず、「自分の子どもは将来社会を支える側になる」という前提だけを採用し、「子どもを持たない人は将来支えられる側になる」という構図を描くのは、あまりにも都合の良い想定ではないだろうか。
はっきり言って、「ウチの子は天才児だから、無数の出来が悪いガキ共とは違う!」と他人を見下す究極の親バカ、かつ危険な選民思想のように感じる。
そして、「自分が子育てをしながら、いかに社会に貢献しているか」を必死に語る一方で、「すでに現時点で子育てに関する多くの費用が社会全体によって賄われている」という事実を完全に無視している。
義務教育の費用、公立学校の運営費、児童手当、保育への公費投入、医療費助成など、その財源の大部分は税金である。
当然、その中には子どもがいない人や独身者が負担している税金も含まれている。
さらに、扶養家族の人数に応じて保険料が増える国民健康保険と違って、会社員が加入する健康保険では、扶養家族が何人いても保険料は基本的に変わらない。
そのため、扶養家族がいない加入者の負担によって、配偶者や子どもの医療保障も支えられている側面がある。
つまり「子育てをした人だけが社会を支えている」などというのは甚だしい勘違いなのである。
むしろ、「子どもを二人育てている」というのは、堂々と外国人労働者受け入れ反対と主張できる根拠になるどころか、自分たちが外国人労働者が支払う税金や社会保険料のおかげで生活が楽になっている可能性だってあるのだ。
介護を担う人も、人手不足の現場で働く人も、地方で地域社会を維持する人も、それぞれ異なる形で社会を支えている。
その前提を忘れたまま、「子育てだけ」を特別な社会貢献として扱うのは、視野が狭い議論なのである。










