氷河期世代に優しいはずのヤフコメ民が派遣切りにあった50代男性を袋叩きにしている理由

先日こんな記事を見かけた。

勤続15年でも…50歳男性が遭った”派遣切り”の闇――粉々になった「会社から必要とされている」自負と最終出社日の孤立 | 大人の貧困 「雇用の谷間」でもがくミドルエイジ | 東洋経済オンライン

概要は以下の通りである。

  • 大手企業のコールセンターで約15年働いた50歳男性(仮名:キヨアキ)の派遣社員が雇い止めとなる。

  • 理由は「業務縮小」とされたが、実際には後任が配置されており不透明な点がある。

  • 仕事にはやりがいを感じて、制度や法律については人一倍勉強し、新たに異動してくる正社員の教育係や、複雑なケースを任される機会も増えていった。

  • 毎月の手取り額は、残業代込みで30万円、正社員にはあるボーナスや住宅手当といった福利厚生もなし。

  • 補償対応をめぐり上司と対立し、「言うことを聞け」と圧力を受けるようになる。

  • 派遣の「3年ルール」や「無期転換ルール」は形式的に回避され、制度が十分に機能していなかった。

  • 趣味はスマホの移動系ゲームで、ミッションをクリアのために全国各地を移動していたり、独身の1人暮らしで外食が多く、貯金はほとんどなかった。

  • 雇い止め後は収入が激減し、生活は急速に困窮。

  • 公的支援制度の存在も知らず、セーフティネットが十分に活用されていなかった。

  • 50歳での再就職は難航し、20社以上応募するも不採用が続いている。

この記事を読んだ時は「よくネットで見かける『就職氷河期世代はこんなに大変だ!!』というお涙頂戴的なネタだろう」くらいにしか思っていなかった。

しかし、私の興味を引き付けたのは、この記事に対する反応だった。

・普段と言っていることが全然違う!

私が冒頭の記事を目にしたのは「Yahoo!ニュース版」だった。

勤続15年でも…50歳男性が遭った“派遣切り”の闇――粉々になった「会社から必要とされている」自負と最終出社日の孤立(東洋経済オンライン) – Yahoo!ニュース

そこで起きていたのは、彼が15年も派遣の仕事に甘んじて正社員とならなかったことや、派遣の分際で仕事の方針を巡って正社員に楯突いたこと、正社員並みの仕事をしていると自負していたこと、趣味を謳歌して貯金をしていなかったことへの非難の嵐だった。

将来は税金に集ったり、万引きをすることを断言する書き込みなどは誹謗中傷と言ってもいいだろう。

そんな中、こんなコメントがあった。

どうした?ヤフコメ民、氷河期世代に優しいあなた方ならいつものように苦労自慢不幸自慢披露して社会や政治のせいにしないのですか。

全くの正論である。

普段であれば、貧困に苦しむ独身非正規労働者の40,50代が特集された記事には、いかにこの世代が社会に見捨てられたかを訴えるコメントで溢れている。

90年代に学校を卒業したであろう50代の人が話題になっている時ですら、「新卒で就職できなかったのは竹中平蔵(政界入りしたのは2001年)のせいだ!!」などという意味不明で陰謀論じみたコメントさえ気持ち悪いほど多くの共感を集めている。

記事に登場した理不尽な派遣切りや3年ルール無視、新人教育などの正社員が行う業務を派遣社員に丸投げという経験も、別の記事であれば

「企業は派遣を利用せずにちゃんと正社員にしろ!!」

「氷河期世代は非正規の待遇で、正社員並みの責任を押し付けられている!!」

「国はこれ以上、彼らを苦しめるな!!」

などと企業が悪い、国が悪い、氷河期世代を助けろの大合唱となっていただろう。

だからこそ、先のコメントで指摘されたように、今回の記事では普段と違って、取材対象者への強烈なバッシングが起きることは奇妙に思える。

だが、一見矛盾しているように感じる両者の行動は、実は一本の線で結ばれる。

・氷河期世代は可哀そうな人じゃないとダメなんです!

私はYahooのアカウントを所持しておらず、記事にコメントの書き込みができないため、彼が感じた疑問をこの場で説明させてもらう。

まず、ヤフコメで苦労自慢や不幸自慢をしている人たちが、氷河期世代に同情的な理由は、決して優しさや思いやりから生まれるものではない。

彼らは氷河期世代が、時代のせいで正社員になることが出来ず、不本意な形で非正規の仕事で食い繋ぎ、趣味や結婚といった人並みの人生を放棄せざるを得ない社会から見捨てられた人々であることを必死に語る。

こういった就職氷河期論が事実かどうかについては、若者の就職事情に詳しい海老原嗣生氏のようにデータで否定する論もある。

「就職氷河期世代論」のウソ|書籍詳細|扶桑社

しかし、それが彼らに届くことはない。

氷河期世代をこのように弱者として輪郭付けすることが彼らにとって重要なのであり、それが事実か否かはどうでもよいのである。

なぜなら、そうすることで「こんなに大変な境遇なのに、国や社会の助けを借りず、歯を食いしばって正社員として耐えた自分を褒めてよ!!」と言えるからだ。

そして、「自分も違う時代に生まれていれば、大企業に正社員として就職して、マイホームを買って、子どもを自費で大学へ通わせるようなフツーの人生を送れたんだ!!」と根拠のない妄想にも浸ることが出来る。

当然、その前提を成立させるためには、「就職氷河期世代」とは可哀そうな人たちでなければならない。

だが、記事に登場したキヨアキはどうだろう?

雇止めになる前の彼は全然悲惨な暮らしをしておらず、正社員の職を渇望せず、派遣に仕事にやりがいを持って、正社員とも対等に張り合い、趣味を楽しむなど、充実した日々を送っていた。

その姿は彼らが自分を引き立ててくれるために必要な時代と社会に虐げられる「哀れな中年独身非正規労働者」の姿ではない。

こんな存在を認めてしまったら、「氷河期世代は、正社員になることに必死で、それが叶わない人が不本意に派遣の仕事に甘んじて、惨めな人生を送らされた」という彼らの前提が崩れる。

そして、それは自らの人生の否定にも繋がる。

だからこそ、何が何でも彼の存在を認めてはいけないのだ。

この怒りは敵を徹底的に殲滅しなければ気が済まないほどの殺人的な衝動となる。

その執念深さはぜひとも記事のコメント欄で確認してもらいたい。

…と思っていたけど、投稿時点ですでにYahoo!ニュース版は削除されていた。

つまり、普段ヤフコメで見られる「小泉・竹中が悪い!!」という陰謀論をブチ挙げてでもゴリ押ししている氷河期世代への同情と、今回のキヨアキへの袋叩きという一見矛盾している行動は彼らの一貫した行動なのだ。

  • 「氷河期世代は可哀そうだけど、そんな境遇でも必死に生きている自分を認めてよ!!」という自己顕示欲。

  • 「自分は正社員として這いつくばって生きているから会社に守られているはず」という幼稚な愛情確認。

  • 対立する相手を徹底的に殲滅しないと気が済まない過激な宗教的攻撃性。

これが今回の彼らの行動の原動力と言える。

主張はブレブレのようだが、行動は清々しいまでに一貫している。

・彼らは昔からこんなもんです

今回の件について考えていると、今から15年ほど前の出来事を思い出した。

20111月、「山P」の愛称で有名な山下智久氏の妹である山下莉奈氏が民主党の小林興起議員の事務所を解雇されたことをブログで報告。

これに対して、小林事務所側は「一方的解雇ではなく、駅頭や地元まわりなど現場での勉強を忌避し、内勤だけ希望するなど業務指示を拒否したことが原因」と反論。

山P妹クビ問題から考える、「言った、言わない論争」の意味(1/2 ページ) – ITmedia ビジネスオンライン

小林事務所側の反論内容がYahoo!ニュースに取り上げられた際、コメント欄には山下氏を批判する書き込みが殺到していた。

「『現場仕事をしたくない』なんて社会人を舐めてんのか!?」

「みんなやりたくないことでも、家族の生活のために必死に頑張っているんだ!!」

「真面目な政治の世界に芸能人感覚で足を踏み入れるな!!」

一見すると、ごく正論のように感じる。

ただし、忘れてはいけない重要な点がある。

それは小林氏が民主党の議員であること。

当時は民主党政権の真っ只中であったが、ネット上ではマニュフェストの実現や財源問題、沖縄のアメリカ軍基地、尖閣諸島の中国漁船衝突事件など民主党の政権運営を批判が溢れていた。

この直後に発生した東日本大震災の対応もそうであった。

その中には反子供手当キャンペーンや生活保護バッシングのように、明らかな言いがかりと思えるものも少なくなかった。

当然、ヤフコメも「菅直人(当時首相)辞めろ!!」、「民主党は日本から消えろ!!」など攻撃的なコメント嵐だった。

ということは、彼らにとって、山下元秘書の行動はそんな極悪非道の売国反日左翼政権の民主党に所属している小林議員事務所に妨害工作を行ったとして評価されるべきであろう。

または、彼女の勤務態度を「民主党議員の事務所に相応しい」として面白おかしく皮肉ることも可能だ。

しかし、そのようなコメントは一切見られず、小林氏の社会人としての資質を批判するコメントしかなかった。

きっと顔を真っ赤にして書き込んでいたことが伺えるくらいの社畜仕草であった。

これが彼らの本来の姿である。

普段は偉そうに政治批判をしているが、行動の源は奴隷根性であり、「こんなに頑張っている自分をもっと見てよ~」という承認欲求の前では政治的な信念など無と化す。

その姿は15年経っても何も変わっていない。

そんな人間には政治を語る資格も、他人の人生を評論する資格もないと言えるだろう。

つくづく哀れな人たちである。

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