
近年、多くの企業で「属人化の解消」が叫ばれている。
属人化とは、特定の人しか業務内容を理解しておらず、その人が休んだり退職したりすると仕事が回らなくなる状態を指す。
企業はこれを問題視し、マニュアル化や業務の標準化、IT化などを進めている。
一般的には、「属人化解消は企業にも労働者にもメリットがある」と説明されることが多い。
だが、その話にはかなり疑わしい点があり、手放しで喜べるとは思えない。
・属人化解消のメリット

まず企業側の事情を考えてみよう。
企業が属人化を嫌う理由は非常に分かりやすい。
特定の社員しかできない仕事があると、
-
その人が休むと業務が止まる
-
退職するとノウハウが失われる
-
有給休暇や育児休業が取りにくくなる
-
新人教育に時間がかかる
といった問題が発生する。
少子高齢化による人手不足や転職の一般化によって、かつて当たり前とされた「社員が何十年も同じ会社に勤め続ける」ことを前提とした組織運営は難しくなっている。
そのため企業は、マニュアル整備、業務フローの可視化、システム化、AI活用などによって、「誰でもできる仕事」に変えようとしている。
企業の立場から見れば、これは極めて合理的な取り組みだ。
一応、担当者は設けるものの、企業や管理職の立場では、その業務が問題なく遂行されれば、それを行ったのが本担当者なのか、代理担当者なのかは大した問題ではない。
一方で、労働者にとっても属人化解消のメリットはある。
よく挙げられるのが、「自分しかできない仕事がなくなるので、安心して休める」というものだ。
実際、私の勤務先でも、他部署の人がミーティングで「そうなったら、子どもが熱を出したり、学校行事でも安心して休むことが出来るね」と話している様子を聞いたことがある。
たしかに短期的に見れば、その通りだろう。
しかし、その説明には重要な視点が抜け落ちているように感じる。
それは、誰かが休んだ時に発生する仕事そのものは消えないということ。
・「安心して休める」ことの代償

この記事で取り上げた通り、近年「子持ち様」という言葉が話題になっている。
正社員として責任ある立場に就いているにもかかわらず、育児を理由に時短勤務をしたり、休日出勤を逃れたり、早退や欠勤を頻繁に起こして、そのツケを押し付けられることにウンザリしている上司や同僚が使う言葉である。
私の職場にも、子どもの体調不良や学校行事などを理由に、頻繁に在宅勤務や欠勤をする同僚がいる。
だが、私はそのことについて不満もストレスも感じていない。
その理由は私が良い人だからではなく、役割分担が明確で、彼女たちが休んでも、私がその仕事を肩代わりすることが一切ないからである。
私が行うのはせいぜいメールや書置きで取次ことくらい。
つまり、同僚が休んでも私の仕事量は増えない。
だから、不満も生じない。
「同じ部署で働いているんだから、代わりに何とかしてよ!!」と言われても、知らんもんは知らんのだ。
しかし、「属人化解消」と称して、彼女たちが行っていた業務も担当させられることになったら事情が変わるかもしれない。
緊急事態でピンチヒッターとしてこなすのであれば、「仕方ない」と思うし、たとえミスを犯しても、本来の担当者も後日「あの時は私のせいでご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした」と詫びの一つでも言われて、嫌な気持ちもしないと思う。
ところが、「もしもの時に困らないよう、日頃からこの業務をこなして覚えてください」と言われようものなら、「なんであいつらが気軽に休むために、私がこんなことをやらされなければいけないんだ!!」と文句を言いたくなるし、彼女たちにこれまでとお同じ態度で接し続ける自信もない。
また、すでに現実に起きている事象として、メール洪水という問題もある。
担当者しかメールのアドレスに含まれていないと、その人が休んだ時に、他の人が対応出来なくなるため、部内メンバー全員のアドレスをCCに入れて、メール送信する会社が増えている。
これも「属人化解消」が目的と言える。
だが、自分が対応しなければならないメールは1日に5通程度でも、100件を超えるメールを受信すると、その中から自分宛のメールを探す必要があるため、選別に時間がかかったり、見落としを恐れて、小まめにメールボックスを確認するなどの無駄な時間と神経を使うことが増えている。
そして、最悪は見落としなどの重大問題が発生することもある。
このように、企業から見れば成功であっても、労働者から見れば、「皆が働きやすくなった!!」と言えるとは限らない。
・正社員は代替困難だからこそ価値があるのでは?

属人化解消について考えていると、もう一つ不思議な点が見えてくる。
属人化を嫌う一方で、企業も社員も相変わらず「正社員=代替不可能な専門職」と考えている点である。
採用活動では、応募者に対して、経験や学歴などの専門性を求める。
そして、就職時だけでなく、そうした専門性は長期雇用の下でより磨かれるということになっている。
また、実務に取り組んでいる現場社員の間には「正社員にはコア業務を担当させ、派遣や契約社員には代替可能な単純業務を担当させる」という考え方も未だに常識として存在している。
しかし、弁護士や税理士のような難関資格が必要な仕事は別として、属人化が解消されたら、正社員の業務も非正規と同様に代替な単純業務となる可能性が高い。
そうなると、正社員自身の市場価値や希少性も低下することになる。
正社員として働いている人たちが、それを積極的に歓迎するだろうか?
もしも、そんなことになったら、業務そのものは、それこそ高校生のアルバイトにでもこなせるレベルで標準化しておきながら、
「社内セキュリティの都合で正社員にしかシステムへのアクセス権を与えない!!」
「その権利を与えられる研修を受けたことこそが専門性の証明なのだ!!」
など適当な理由を付けて、頑なに「正社員は非正規と違って代替困難な専門的業務をやっている」という体裁を保つつもりなのだろうか?
仕事の専門性ではなく、組織内の権限や立場そのものが価値になったとも言えるが、それはもはや単なるママゴトにしか見えない。
言いなりで嫌々従うのではなく、ここまでバカで従順に属人化解消に取り組んでくれると、扱う企業側は笑いが止まらないだろう。
・定型化出来ず、長く働くほど磨かれるスキル

段々と暗い話になったが、最後に未来につながる提案をしたい。
近年はAIの普及によって、文書作成、データ分析、情報整理などの定型的業務は急速に代替し始めている。
そんな時代においても、AIやITに置き換えられる可能性が極めて低く、なおかつ勤続年数を重ねることで熟練度が増し、属人化解消とは無縁と思われる業務がある。
それは社内政治である。
「ウチの課長は朝が弱いから、たとえスケジュールに空きがあっても、午前中は絶対に会議を設定しない」
「経理部長と営業部長は犬猿の仲だから会議の席では必ず隣合わせの席にしてはいけない」
「新入社員の△△君は親会社のコネで採用されたから強い態度で接してはいけない」
などの情報をすべて暗記、もしくは自分専用のメモに書き留め、トラブルが起こる前に先回りしたり、常に空気と権力者の顔色を伺いながら、優位な方の味方をすることでライバルに差をつける。
このような波風立てずに根回しを行う社内政治は、AIやITで置き換えることが出来ず、常に情報が変動したり、データベースで共有することも気が引けるため、マニュアル化も、定型化も難しい。
そして何よりも、勤続年数を重ねるごとに技術に磨きがかかり、新卒や転職市場でどんなに評価される人材でも、短期間で熟知することは不可能に近い。
皮肉な話だが、人間の最も姑息で、汚い面が現れて、何の生産性もないように思われることこそが、個人の経験値を最後まで活かせる領域なのである。
「社内政治」と言うとネガティブなイメージがあるが、もっともらしく「社内調整」とでも言ったら真っ当な業務のようにも感じられる。
市場で通用するような専門性を持たず、勤続年数で勝負したい正社員が、この属人化解消時代に生き残るにはこのスキルを磨くしかないのかもしれない。
「そんなみっともないことはしたくないよ…」と思う人もいるかもしれないが、方向性はともかく、こうした危機感を持てるだけでも、「属人化解消で気兼ねなく休めるようになる!」という能天気でおめでたいことを言ったり、自分の価値を喜びながら削る人たちよりも遥かに立派です。








