「精神論は不要!」と断言している人間も精神論に救いを求めている

今から2年半前のことになるが、1ヶ月近くの体調不良を患った際に、こんな記事を書いた。

その時は仕事が繁忙期だったが、何とか休まずに乗り越えることが出来た。

一番の理由は、私生活で良いことがあり、その喜びが体調不良の苦しさを上回ったため、「身体が辛くても、生きていて楽しいな~😄」という情態だったのだ。

今にして思えば、職場でも気持ち悪いくらいニヤニヤしていたかもしれない()

近年、職場では「気合」「根性」「やる気」といった言葉を聞く機会が減った。

もし上司が「もっと気合を入れろ!」「根性が足りない!」などと言えば、「精神論だ!」「パワハラだ!」と批判される可能性もある。

その背景には、長時間労働やサービス残業を「気合」で正当化してきた過去への反省がある。

その意味では、精神論が見直されるようになったこと自体は決して悪いことではない。

精神論は確かに危険な面を持っている。

しかし、だからといって全く効果がないわけでもない。

・効果はあるがハイリスク・ハイリターン

このように「風邪は気合で直せ!」とか「病は気から」という言葉は必ずしも間違いではない。

だが、この言葉を職場で使うと必ずしもいい結果に結びつくとも限らない。

たとえば、ある会社で上司がやる気がなさそうな部下にこんな檄を飛ばしているとしよう。

「やる気が足りない!!」

「もっと、真剣に気持ちを込めろ!!」

「今のままで良いのか、自分の気持ちと真剣に向き合え!!」

彼はそうすることで、甘ったれた部下のやる気を引き出して、仕事に情熱を注ぐはずだと信じて疑わなかった。

しかし、その言葉を聞いた部下は翌週こんなことを言った。

「あなたに言われた通り、ここ数日は自分の気持ちと真剣に向き合いました」

「その結果、この仕事は一生懸命頑張るに値しないことに気付いたので退職しま~す」

それを聞いた上司は顔面蒼白で、「いやそんなつもりで言ったわけじゃないだが」と思ったが、彼の気持ちを刺激して、退職する方へ導いたのは紛れもなく自身の言葉である。

このように、気持ちを全面に押し出すアプローチをするのは危険と隣り合わせで、「仕事だから!!」、「業務命令だから!!」といった事務的な説教の方がまだマシな可能性もあ

これは実話ではなく、あくまでも私の創作だが、ベースとなっているのは学生時代の体験である。

私が小学生の時に、事あるごとに「気持ちが入っていない!!」と説教する教師がいた。

その人物はかつての記事で登場した「バカ殿」と呼ばれる男で、他の教員が気にしないような些細な事もグチグチと口出しをして、他人を執拗にコントロールしていた。

本来は自由参加であるはずのボランティアや行事にクラス全員の参加を強制することになったのだが、その際も思い通りに動かない私たちに対して、

「気持ちがこもっていない!!」

「気持ちが入っていればそれくらい乗り切れる!!」

と罵倒するのが口癖だった。

それを聞かされた私はこんなことを思った。

「『気持ち!! 気持ち!!』っていうけど、そもそもなんで、お前のために気持ちを込めて頑張らにゃいかんの!?」

こうして私はより一層、奴のことが嫌いになった。

このように、気持ちを奮い立たせて良い方へ向かわせるのは、あくまでも自発的だからこそ効果があるのであって、他人に強要しても間違いなく悪い方へしか向かわない。

精神論を否定する人への違和感

ここまでは先の記事に書いた内容になる。

その時から特に社会の傾向が変ったとは感じない。

気合や根性のような精神論を全否定して、

「精神論なんて時代遅れだ!!」

「とにかく科学だ!! 合理性だ!!」

と声高に主張する人はますます増えているように思う。

こうした意見にも私は少し違和感がある。

なぜなら精神論的な指導を否定する一方で、自分の仕事については精神やメンタルを理由にして出来ない・やりたくない言い訳をしたり、ケアや配慮を求める人が多いように思えるのである。

「(自分は能力が低いわけじゃないけど)メンタルが本調子がないから本領発揮できない」

「無理に続けたら今後のトラウマになるかもしれません」

「精神的につらいから無理です」

普段は威勢よく「精神論なんてクソだ!!」、「気持ちですべて解決できるなんて妄想だ!!」と上司の精神論を全否定しているのだから、同じようにメンタルや精神面のことは関係ないというスタンスを貫くべきである。

「出来ないのは自分の技術不足が原因。苦手だからこそレベルアップが必要だ!!

「上手くいかつらい気持ちになるのはみんな同じだから、この局面を乗り切る合理的な方法を見つけよう!!

といった具合

他人の感情論は全否定しながら、自分の感情論は正当だと信じて疑わないその身勝手さは他人に精神論を強要するパワハラ上司と1mmの違いもないと言えるだろう。

・精神論や根性論が根絶された美しい世界

会社と同じくらい「精神論が悪習」とみなされているのがスポーツの場である。

「練習中は水を飲むな!!」という命にかかわる誤った迷信はもちろん、気合や根性の名の下、体力の限界を超えた無謀な長時間練習が行わることは、繰り返し批判されて、至る場面でこんな言葉を耳にする。

「そんなくだらない精神論よりも、科学的で無理をさせない指導と論理的な戦術の方が大切だ!」

ただし、注意が必要なのは、アスリートが苦しみに耐え抜いて闘う姿を求めるのは、何もパワハラ指導者だけではないということ。

自国のマラソン選手がオリンピックで金メダル目前という所で、身体が限界に達したのか、立ち上がれなくなったとする。

その様子を見ていたら、つい「頑張れ~!!」と声をかけて、苦しみに耐えながらも声援を糧に立ち上がって、満身創痍の身体でゴールを駆け抜け、見事にメダルを手にする姿を期待してしまう。

しかし、それはれっきとした精神論の押し付けではないのか?

普段から訓練しているマラソン選手が立ち上がれないほど身体が限界に達しているのであれば「選手生命どころか、命に危険を及ぼしそうなので、ここは無理せずに棄権しましょう」と言って、本人の体調と将来を何よりも尊重して、無理をさせないことが第一であろう。

精神論を全否定しているのであれば、そうするのが疑う余地なく正しいはずである。

「ゴールまで残り数百mだから、気持ちを振り絞って、気力で頑張って!!」なんて無責任な精神論を押し付けるなど言語道断。

そんなことをやったら、パワハラ指導者と同じですよ~

この記事で少し話題にしたが、2023年に行われたWBCで日本代表が世界一に輝いた。

世界を相手に戦って栄光を手にした侍戦士たちの姿には、多くの日本人が感動した。

「スポーツに根性論は不要!!」

「そんなものより客観的なデータと科学的な分析だ!!」

普段からこんなこと言っている人は、きっと選手たちの技術の高さに感動したのだろう。

決勝戦で大谷翔平がマーク・トラウトから三振を奪ったシーンを見て、

「大谷が投げた、時速何㎞、回転数いくつのスライダーが、ホームベース何m手前から曲がり始めて、トラウトがスイングスピード何㎞で振ったバットの何㎝下を通ることで空振りを奪えた」

と科学的な視点で分析。

準決勝でそれまで不振だった村上宗隆が9回にメキシコ代表の守護神ジオバニー・ガジェゴスからサヨナラタイムリーヒットを放ったシーンを見たら、

「前打者の吉田正尚に対して明らかに制球が定まらず四球を与え、サヨナラのランナーが出塁、迎えるバッターはこの日3三振とファールフライと不調のため、相手バッテリーは確実にここでアウトを取りたいと思っている」

「そこでカウント1-1からストライクを取りに来た甘いボールを見事に捉えたことで、打球が外野手の頭を超えた」

というように冷静な視点で状況を分析して、甘いボールを一発で仕留めた村上の技術の高さに感心。

さらに前々打者の大谷が二塁打を放った際に一塁ベース手前で感情をむき出しにしてヘルメットを放り投げた際は、「走塁中に自分からヘルメットを取る合理的な理由はない。ロスが出るし、その後でボールが頭に当たったら危険」と冷静に指摘。

「そんな理屈はどうでもいい。彼らが勝利に向けて一丸となって必死に戦って、世界一の栄光を手にする姿に感動して勇気を与えてもらったんだ!!」と主張するファンに対しては、

「日本代表が世界一になることで、なぜあなたの人生が豊かになるのか?」

「決勝戦が行われていたのは、日本時間の平日午前中だったので、そのことで頭がいっぱいになって仕事に支障をきたさなかったのか?」

「あなたのように客観的なデータや科学分析を用いず、感情だけで語ることがスポーツの発展を妨げているという自覚はないのか?」

と正論で徹底的に論破。

これぞまさに「スポーツに精神論は不要!!」と断言している人間が望む、精神論や根性論、感情論が徹底的に否定された世界と言えよう。

そんな世界が楽しいと思えるのかは保障しないが…

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