上司の説教と自慢話がウザくてしょうがない時に思い出す言葉

先月の末頃、同じ部署で働いている新入社員が、勤務終了時間ピッタリに猛ダッシュで退社した。

あまりにも凄い剣幕だったので、「何事か!?」と思ったが、翌日理由が判明した。

彼がそんなに急いでいた理由は、退勤後に同じ支社に配属された同期と飲み会を行う予定があり、その待ち合わせ場所に向かっていたからなのだ。

・こんな飲み会は絶対に楽しくない

9月末といえば、今年の4月に入社しておよそ半年という一区切りとなる時期である。

そろそろ有給も発生するだろうし。(使えるかどうかは別だが…)

それを機に同期の仲間が集まって、愚痴をこぼしたり、これからの未来について語り合うのだろう。

職を転々としている私には、「同期」なるものはそこまで尊い存在ではないが、そのように語り合うことは楽しいに違いない。

と思っていたが、どうも様子は違ったらしい。

その理由は・・・

飲みの席に新入社員の上司(または教育係)がもれなく同行していたから。

いや、そんな飲み会は絶対楽しくないだろう!?

私が所属していた部署の上司は、決して偉そうなオヤジという性格ではない。

だが、酒好きという噂を聞いたことがあり、もしかして、飲んだら人格が変わるタイプなのかもしれない。

他部署の人については全く知らないが、新入社員+教育係という組み合わせで集まると、間違いなく偉そうな説教や、自慢話をするシーンが思い浮かぶ。

それに加えて、上司のお酌や、一発芸の披露もさせられてはいないだろうか?

もはや主役は新入社員ではなく上司の方だ。

新入社員たちにとって、それは拷問以外の何物でもない。

これはあまりにも極端な例だが、断りづらい雰囲気で飲み会に強制参加させられることに悩んでいる人は、社会人、学生問わず多いのではないだろうか?

口では「無礼講」と言いながら、本音を打ち明けられたら、反論を許さず延々と説教したり、「俺が若い時は~」という苦労話風の自分語りが始まる。

これじゃあ、会社に居る時と同じじゃないか!?

飲み会なんて、何時間もクソ上司、または先輩の面白くない話を聞かされるだけで、何の生産性もない時間の無駄遣いだ。

そう思っていても、参加を拒否したら、どんな報復が待っているか分からない…

そんなあなたに知ってもらいたい言葉がある。

・大半の時間はムダだけど…

上司の長々とした自慢話を聞く時に思い出すべき言葉。

それは・・・

「酔っぱらった上司の話は、3時間ムダだけど、15分だけ役に立つ話がある」

この言葉は当ブログでも紹介したことがある下記の本で知った。

「空気」と「世間」

鴻上尚史(著) 講談社現代新書

著者の鴻上尚史氏が若手社員向けの講演会でこのフレーズを使うと、皆心当たりがあるのか大笑いが起きるらしい。

私個人の意見としては、本当に役に立つ話が15分もあるのかは疑問だが、比喩としては的確であることは間違いない。

しかも、これは飲み会に限らず、職場においても当てはまる話ではないだろうか?

たとえば、私が以前派遣社員として働いていた職場の社長は自己顕示欲の塊で、社内の至る所に彼が唱える理念や社訓が印字されたポスターが貼ってあったり、月一の朝礼ではリモート出演で自慢話を垂れ流し、正社員に至っては毎月彼が書いた自己啓発本(社外持ち出し厳禁)の感想文も書かされるなど、ワタミやビッグモーターも真っ青なキモくてしょうがない人物だった。

そんなワンマン社長の演説も20回の内、1回くらいは同意できるものもあった。

たとえば、「どんなに昇進しても、現場で働く従業員の気持ちを忘れるな!!」とか。

他には……

ちょっと、思い出せない。

・飲み会でカウンセリングを受けているのは…

先ほど紹介した本には飲み会に関する面白い話がもう一つある。

これは河合隼雄氏が雑誌のインタビューで、居酒屋で若手に仕事の話をしているおじさん社員について答えた言葉である。

「あれは、おじさん社員が若手社員やOLさんにカウンセリングを受けているんです」

インタビュアーが「逆ではないか?」と聞き返すと、河合氏は「いえいえ。あれは、おじさん社員の精神衛生にとてもいいんです。おじさん社員の精神を癒しているんだから、おじさん社員は若手社員からカウンセリングを受けているんですよ」と改めて説明する。

なるほど。

たしかにそうである。

「相手が嫌だと思っているのでは…」などとは微塵も思わず、飲み会にご執心な人が多いのは、自分が部下の相談を聞いてあげる体を装い、逆に話を聞いてもらえるからであり、それは「上司がカウンセリングを受けている」と言える。

部下にとっては、非常にめんどくさいかもしれないけど。

ということは、カウンセリングを受ける対価として、上司が部下(カウンセラーの先生)の飲み代を全額負担することは当然と言える。

たとえ、15分は役に立つ内容があったとしても、残りの3時間は弱音、不満、愚痴、武勇伝など無駄な話を聞かされるのだから、食事代だけでは足りないかもしれない。

というよりも、部下を飲みに誘って(参加を無理強いして)ヌケヌケと割り勘を主張したり、「会費」と称した定期徴収をできる神経が理解できないのだが、この社会にはそのような情けない中高年が少なくないと聞いて驚く。

カウンセリングを無理強いする上に代金も出し渋るとは、パワハラと糾弾する気もなくなる程の情けさで呆れる。

たとえ割り勘であっても、部下が喜んで飲みたいと思う程、自分が尊敬されていたり、自分の話にそれだけの価値があると本気で考えているのであれば、救いようがないバカである。

以前、この記事で登場した韓国人の男性と、飲み会について話をしたことがある。

彼の話によると、韓国でも部下を飲み会にしつこく誘い、応じなければあらゆる職務上不利になる嫌がらせを行うアルハラは問題となっている。

それでも、そこまでしておきながら割り勘という器の小さい人間はさすがに多くないようで、私が「日本ではそんな人も珍しくないらしい」と伝えたらドン引きしていた。

それは、先輩としてや、管理職としての面子という以前に、社会人としてあるまじき行為らしい。

こちらの記事でも取り上げたように、韓国では生活費や子どもの高い教育費に加え、整形などの美容代に多額の出費をし、万年金欠の中高年が少なくない。

そんな彼らでも、部下を飲み会に誘った場合は飲み代は負担する。

このような気高き姿勢は、飲み会で部下にカウンセリングを受けているにもかかわらず、飲み代は割り勘などというセコイことをやっている人たちには見習ってもらいたいものである。

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