
ゴールデンウィークに帰省した際、実家に置いていた古いDVDを観ていた。
純粋に楽しむというよりも、残すべきものと処分を検討するものの選別が目的だった。
つい最近、VHSに録画していた番組をDVDへコピーする大がかりな作業をしたかと思っていたのに、早くもそのDVDですら代替の保存手段を検討しなければならないことには驚かされる。
そうして視聴していたものの中に、2008~2010年頃の政治討論番組があった。
当時はリーマンショック直後で「派遣切り」が社会問題化し、日本中で雇用不安が広がっていた時代である。
そこで、経営者のあり方についてこんな意見が繰り返し語られていた。
「昔は、社員を解雇するような経営者は失格だと言われていた!!」
「しかし、今は社員を解雇してでも会社や株主を守る経営者が評価されるようになった!!」
「今の経営者は昔の経営者を見習え!!」
このような発言が登場した番組は一つや二つではなく、この意見には強い共感が集まっていたのだろう。
そこには単なる不況への怒りだけではなく、「日本社会の当たり前だった価値観が壊れていくことへの不安」が含まれていたように思う。
しかし2026年の今、改めて当時の議論を見返していると、「これって何かに似ているな」と感じた。
「責任を負う立場の人間の評価基準」がかつてと大きく変わって、以前は失格扱いされていた人物が、逆に評価されるようになってしまったのは経営者だけではない。
・古き良き(?)正社員のイメージ

私が初めて働いてお金を稼ぐ経験をしたのは、高校生だった20年ほど前にアルバイトをした時のことである。
バイト先に限らず、当時は社会全体に「正社員」という存在に明確なイメージがあった。
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学生バイトや主婦パートには比較的簡単な作業を任せ、重要な仕事や責任の重い仕事は社員が担当する。
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トラブルが起きれば社員が前に出る。
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現場の前線には常に指揮を執る社員がいる。
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部下の非正規労働者がミスを犯しても、自分のミスとして庇う。
このような言い方が適当かは不明だが、彼らにとって学生バイトや主婦パートは半分「お客様」のような存在であり、部下や同僚の社員には厳しい態度で接しても、非正規労働者には優しく笑顔で接する人もたくさんいた。
「待遇が良い代わりに、責任も重い存在」
それが正社員だった。
だからこそ、現場を非正規に丸投げした上に、トラブルが起きたら、部下を庇うどころか、「指導」と称して叱責するような社員は、同僚からも、上司からも、世間からも強く批判された。
「お前はそれでも正社員か!?」
「責任を取るのが社員だろう!!」
学生バイトやパート側から見ても、「社員なのに現場から逃げている人」は信頼されなかった。
当時はまだこのような「正社員とは現場で汗水流して責任を取る人」という社会的な共通認識が強かったのである。
今でも、「正社員」と聞いたら、このような姿を想像する人も少なからずいることだろう。
・現場にいない人の方が仕事をしている!?

ところが、個人的な体感として、2010年代半ば頃から空気が変わり始めた。
これまでは「正社員失格」の烙印を押されていたはずの現場を非正規だけで回している社員が、逆に「優秀な管理者」と評価される場面が増えたのである。
「少人数で現場を回せる仕事が出来る人!!」
「非正規だけで店舗運営できているなんて優秀な管理者だ!!」
「人件費を抑えることが出来て凄い!!」
以前は「職場放棄」とみなされていたことが、むしろ「マネジメント能力」として称賛されるようになっていった。
さらに不思議なのは、「現場にいない社員」への評価である。
彼らが現場に来ないことについて、
「その時間は会議など他の重要な仕事をしている!!」
「現場仕事をしないのは上流工程だからだ!!」
「ボーっと座っているように見えても、頭の中では高度な考え事をしている!!」
という、根拠のない好意的解釈をされることが多いのだ。
本当は仕事をサボって、事務所でネットサーフィンや同僚との無駄話、スマホゲームなどをしているだけかもしれないのに。(実際にそういう人は少なくなかった)
責任回避をしているだけかもしれない。
かつての私の上司で、職場の誰からも無責任さを批判されていた「B(仮名)」や、「カワグチ(仮名)」も現代であれば「優秀な正社員」という正反対の評価をされていたかもしれない。
このような現場を非正規に丸投げして仕事をしない正社員の批判をすると馬鹿の一つ覚えのように
「お前は表面しか見ていないから、正社員の大変さを分からないんだ!!」
とヒステリックに大騒ぎする困った人がいる。
彼らは自信満々に「お前は何も知らない!!」と豪語しているが、そもそも当事者と面識すらなく、部外者であるあんたが何でその会社の内部情報を分かったつもりでいるのか大いに謎である。
「正社員は神の子だから、どんな会社であっても、仕事をサボる者など一人もおらず、常に高度な仕事をしているのです」
「だから、たとえ他社のことであっても、正社員という方の人となりは、すべてお見通しなのです」
とでも言いたいのだろうか?
いやはや、宗教とは何とも恐ろしいものですね~
・かつての経営者批判と重なる

仕事をしない正社員がなぜか評価される一方で、実際に現場で黙々と汚れ仕事を引き受け、クレーム対応をし、人手不足を埋めている非正規労働者は、相変わらず、
「単純労働」
「責任が軽い仕事」
「誰でもできる仕事」
という扱いを受け続ける。
ここには明らかなねじれがある。
本来であれば、非正規だけで現場が回っているのなら、その現場を支えている人々の価値も再評価されるべきだろう。
しかし、現実には、
・責任だけ増える
・業務範囲だけ広がる
・人数だけ減る
・待遇も社会的評価も変わらない
という状況が起きている。
つまり、「実際に重要な役割を担っている人」と、「社会的に評価される人」が一致しなくなっているのである。
ただし、忘れてはいけないのは、こうした流れで貧乏くじを引かされている人は正社員にもいるということである。
率先して現場に立つ人や、部下がミスを犯しても庇う人、面倒で手がかかる作業程「正社員の自分がやらねば」と考える人。
かつてであれば「これぞ正社員の矜持」と言われるような姿勢を貫く彼らだが、今では全く逆に
「自分が現場に入らないといけないなんて、管理能力が低い証拠だ!!」
「何でそんな面倒で生産性が低いことは非正規にやらせないんだ!!」
というような理不尽に低評価を下されることが少なくない。
私はこの構造がリーマンショック直後の経営者批判とよく似ているように感じる。
当時、人々が怒っていたのは、単に解雇そのものではなかった。
「本来、社員を守る責任を負っていたはずの経営者が、その責任から逃げている」
そこへの怒りだったのではないかと思う。
そして現在、現場を非正規へ丸投げしながら、「管理している」という理由だけで高評価される正社員に対して、多くの人が抱く違和感は同様に「本来負うべき責任から離れているように見える」という感覚に近いと感じる。
そんな世の中では、当初は責任感があっても「正直者がバカを見るのに、真面目に正社員の責任を果たすなんてやってられないよ!!」と憤慨して、腐ってしまう人も現れることだろう。
20年前は経営者の劣化が社会問題になっていたかもしれないが、今は正社員の劣化が深刻のようである。
去年の後半から、子持ち様をテーマにした記事へのアクセスが増えたのだが、職場にそのような問題児がいることに頭を悩ませる人もいるのだろう。
ただ、気を付けないといけないのは、「子持ち様」と呼ばれるような人は、子どもがいるから我がままなのではなく、常に「いかにやりたくないことを人に押し付けるか」を考えており、子どもはあくまでもその利用手段に過ぎない可能性が高いということである。
そんな人間は、たとえ子どもがいなくても、
「私の能力では覚えられません」
「私のような素人が担当したら、重大なトラブルに発展して会社に損害を与えてしまうかもしれません」
というように別の理由でゴネ続けるのだ。
・解雇規制緩和には賛成だが注意すべきこと

私はこの記事で表明した通り、正社員の解雇規制については緩和されるべきだと考えている。
こんなことを宣言すると、「冷血人間」、「日本人の敵」、「小泉・竹中路線だ!」と罵詈雑言を浴びせられるかもしれないが、とんだ言いがかりである。
同一労働同一賃金に頑なに抵抗する者もそうだが、現場を非正規に丸投げする正社員を有能だと崇める者は、壊れたレコードのように「正社員は非正規と違って責任を背負っている(=だから、待遇が良くて当然)」と主張する。
だとしたら、正社員であっても、責任を果たせない者、そもそも果たす気がない者は容赦なくクビにして、神聖な職場から退場させるべきであろう。
何かおかしいことを言っていますか?
これは、彼らの理屈と発言を尊重して、より純度を高めた制度に過ぎない。
彼らは当然この提案に心の底から賛同して、「敵ながら、よくぞ我らの信条を現実化してくれました!」と感謝すらしてくれるはずである。
進退が問われない「責任」なんて、ただのママゴトですよ~♪
もっとも、彼らの理屈に従えば「責任を果たせない正社員は腹を切れ!」となるのだから、本当に責任感のある者は解雇などされる前に自分から退職するはずだが…
私はこう見えても、性善説論者である。
普段は「正社員はこんなに重い責任があるんだ!」と豪語している彼らが、こと自分の生活が脅かされる可能性がある解雇規制に関してだけは「一生懸命働いているんだから、どんなに仕事が出来なくても解雇なんてしないでよ~」と泣きべそかきながら惨めに抵抗して醜態を晒すなんてことをしないと信じている。
ただし、「直ちに解雇規制を緩和する」と言われたら、私は反対する。
その理由が今回のテーマである「どんな人が正社員の職責を全うしていると言えるのか?」の基準が定まっていないからである。
私が働き始めた20年前であれば、それは「現場で汚れ作業を担い、非正規への配慮を怠らない人」という社会的な合意が成立していた。
ところが、現代ではそのような人がマネジメント能力のない無能社員のようにみなされ、かつて「お前はそれでも正社員か!?」と非難されていた無責任な人物を優秀と評価する声が大きくなっている。
そんなご時世で「責任を果たしていない社員は解雇しろ!!」なんてことになれば、真面目で誠実な人ほど真っ先に切り捨てられる危険がある。
そして、残るのは
・責任回避が上手い
・社内政治が得意
・成果演出が巧妙
など中身がなく、以前であれば真っ先に粛清されていたはずのズルくて、汚くて、堕落した人間ばかりとなる。
そんな社会は地獄と言えよう。
・解雇より評価への不信

結局、多くの人が恐れているのは、解雇そのものではないのかもしれない。
本当に怖いのは、「評価する側が労働者を正しく見ていないこと」なのではないだろうか?
非正規労働者に現場を丸投げするような社員について、社内や現場を知らない部外者が、「その人が現場に居ない時はもっと高度な仕事をしているに違いない」と勝手な妄想で「優秀な人」と認定する様子は、仕事を押し付けられている非正規労働者だけでなく、真面目に現場で働いている正社員も恐怖や憤りを感じているのかもしれない。
さすがに、企業の人事部の評価はネットや世間ほどいい加減ではないと信じたいが…
もし人々が、「この会社は、本当に現場を支えている人を見ている」と信じられるなら、成果主義や雇用流動化への抵抗は今より小さいかもしれない。
しかし現実には、
・声が大きい人
・上司受けが良い人
・責任回避が上手い人
ほど得をしているように見える場面が少なくない。
この20年で変わったのは、働き方だけではない。
「責任とは何か?」
「有能さとは何か?」
その基準そのものが、大きく変わってしまったのだと思う。
これは私の推測だが、同一労働同一賃金を求める声が大きくなってきているのも、貧困対策や国際化の流れもあるのだろうが、現場で責任を全うする正社員が減っていることへの反感があるのではないかと思う。
以前は当たり前だったように、正社員が現場に常駐して、非正規労働者がミスを犯しても、庇ってくれたら、正社員への信頼も生まれて、多くの人が「この人はいつも自分を守ってくれるから、ボーナスや福利厚生など待遇が手厚いのだ」と納得していたことだろう。
ところが、現在は仕事を丸投げされた上に、口だけを挟み、問題が起きると、真っ先に非難してくる正社員で溢れ、そんな人間がなぜか「とんでもなく高度な仕事をしている」などと意味不明な解釈で高評価を得ている。
そんな状況で、かつての正社員と同様に「尊敬の目で見ろ」などと言われても無理な話である。
それは「不況になった時に社員を解雇することで乗り切ろうとする経営者を尊敬しろ」と言っていることと同じだから。









