初めての海外旅行と留学計画の挫折⑤:冒険からの帰還編

前回までのあらすじ

201311月。

私はマレーシアへの留学に備えて、下見に出かけたのだが、言葉が通じず、何度も死ぬ思いをしたり、語学学校の見学では大幅な値上げを告げられ、住まい探しに至っては急なスケジュール変更で内見が不可能になるなど散々な目に遭い、出発前の気持ちは完全に萎え、早く日本へ帰ることしか考えていなかった。

・最後まですんなりと終わらない

マレーシア版「成田エクスプレス」ことKLIAエクスプレスに乗り、クアラルンプール国際空港へ到着したのは18時過ぎだった。

出発時刻が23時頃だから、搭乗手続きが始まるのは21時頃だろう。

それまでの3時間、やることもないため適当に散歩して、違うフロアにも行ってみたりした。

その時、突然大きな叫び声が聞こえた。

それも声の主は恐らく一人ではない。

大勢の叫び声である。

もしかして、テロか?

それとも刃物を振り回す通り魔の出現か?

私はすぐに脱出できるように、先ず出口の位置を確認した。

そして、叫び声の原因を確かめるために恐る恐る中へ向かう。

不意打ちを受けないため、常に壁に背を向けながら半身の体勢で進む。

少し進んで所に大勢の人の集まりができていた。

またも叫び声がする。

叫び声が一旦落ち着くと、私は勇気を出して中に入ってみた。

そこで、起きていたこととは…

どうやら、有名人が空港に現れたということで、熱狂的なファンが大騒ぎしていただけだった。

マレーシア滞在も残り数時間だが、最後まですんなりと帰してくれないようである。

一時間程経過した後、ふと出発ボードを見てみると、出発まで4時間以上あるにもかかわらず、私が搭乗する便が表示されていた。

私は急いで航空会社のカウンターに向かう。

すでに長い列ができている。

だが、よくよく考えてみると出発の4時間も前に搭乗手続きを開始することなどあり得るのだろうか?

私は空港の案内カウンターで尋ねてみた。

Can I check in?」

彼女は私が英語を全く分からないこと悟ったのだろうか、私が見せた紙(e-ticket)にボールペンでPM9:00と書き込んだ。

やはり、まだ搭乗手続きの時間ではなかった。

それなら先ほどの表示は何だったのだろうか…

真相はわからないが、搭乗手続きは9時からだと空港関係者に言われたことで、私は安心して時間を潰すことができる。

しかし、新たな敵が現れた。

睡魔である。

一日中電車に揺られていた疲れなのか、「もう少しで日本に帰れる」という安心感からなのかは不明だが、とにかく眠い。

だが、ここで寝過ごしたら日本に帰れなくなる。

とにかく寝ないために空港の中を歩き回った。

それから、日本でおなじみのチップスターのロング缶を2つとコーヒーを買って、飲み食いすることで眠気を紛らわそうとした。

そんな苦闘を経て、ついに搭乗手続きの時間になった。

私の番が来て、係員にe-ticketを見せる。

列に並んでいる時は「もし通路側の席と窓際の席のどちらがいいのかと聞かれたらどうしよう」と悩んでいたが、幸いにも(?)それは聞かれず、一方的に真ん中の座席を割り当てられた。

情けない話だが、当時の私は「aisle (window) seat please」の一言も言えなかった。

というよりも、「よくそれで外国で暮らそうと思ったなあ」と自分でも呆れる。

機内に乗ると、窓際の座席に女性が座っていた。

東洋系の顔立ちをしているが、日本人か中国人か、それともマレーシア人かは分からない

私が席に着いた後、通路側の座席に私と同じくらいの年齢の顔立ちをした男性が席に着いた。

乗務員と中国語でやりとりをしているから、おそらく日本人ではないだろうと思った。

・正しい列に並ぶには

飛行機が飛び立ってすぐに日付が変わって23日になった。

一週間の旅も今日が最終日である。

出発してからの機内の様子は特に変わったことはない。

行きと同じく、深夜の運行だったため、機内食を食べるのがしんどいと思ったが…

到着1時間前に、乗務員が(中国から見た)外国人向けに入国カードを配布していた。

私は難無く受け取ったが、窓際に座っていた女性はその直前まで寝ていたため、寝起きに乗務員から中国語で「入国カードが必要かどうか?」を聞かれて、事態が把握できずに困惑していた。

通路側の座席に座っていた男性が乗務員と中国語で会話していたが、その中で「她 是 日本人」と言っているのを聞き取ることができた。

彼女は日本人だったのか!?

というわけで、私は日本語で「中国の入国カードを配っています」と伝えた。

すると彼女は「上海では乗り継ぎだけなので、入国カードは大丈夫です」と答えた。

これは幸いである。

私は今回、入国審査の方には行かずに、トランジットの方に行かなくてはならないわけだが、正しい場所へ向かえる自信は全くなかった。

しかも、乗り換えの時間は1時間半と短い。

そこで、同じく乗り継ぎだけの彼女の後ろについていけば、無事に正しい道へ進むことができるだろうと思った。

私が席を出て、すぐに彼女が出てくれば、ゆっくり歩くことで一旦、追い越してもらい、その後をつけることができる。

と思っていたが、残念なことに私が出た直後に後ろから数人の乗客が私の後ろに続いたことで、彼女を見失ってしまった。

私はそのまま、人の流れに沿ってターミナルビルに入り、人の流れを観察していた。

大きく二手に分かれているが、どっちが入国審査で、どっちがトランジットなのかはさっぱり分からん。

すると、幸運なことに機内で私の隣に座っていた女性を見つけた。

私は彼女と同じ列に並び、何とかトランジットの窓口へ行くことができた。

・最後の関門?

トランジットを通過した私は売店で中国版のポカリスエットを買った。

これは自分用ではなく、職場へのお土産用である。

お土産がポカリでなければならない理由は特にないが、私の職場ではなぜか嫌中感情丸出しの人がいたので、現地産のお菓子や飲み物をお土産にしても、「まずそう」とか「汚染されていそう」などの言いがかりをつけられそうだったので、日本人に馴染み深いものにした。

お土産を買い終えた私は出発ゲートのすぐ近くに1時間近く立っていた。

こんなことをしても出発時間が早くなったりはしないと分かっていたが、「もうすぐ日本に帰れる。早く帰りたい」という気持ちを抑えられなかった。

上海から日本に帰るフライトは約2時間(+時差が1時間)である。

無事に行けば、3時間後には日本に着く。

早くこの時間が過ぎてほしい…

行きの時みたいに、乗り換え時間が数時間あったとしたら、同じように観光を楽しむ気分になれただろうか…

出発の時間になり、恒例の満員連絡バスで飛行機に向かう。

今回は窓際の座席だった。

私の隣に座ったのは日本人の男女だった。

会話こそしなかったが、言葉が通じる相手がいるだけで安心した。

飛行機は定刻通りに出発した。

さらば上海。

さらば中国。

多分、しばらくはここに来ることもないだろう。

離陸した飛行機はどんどん上昇した。

どこまでも、

どこまでも、

どこまでも…

「…って大げさじゃねえ?」と思われる人もいるだろう。

しかし、大げさではない。

当時の私は本当にこのように感じていた。

離陸して30分もすると窓から雲が見下ろせるところまで上昇して、そろそろ水平飛行に入るだろうと思っていたが、それでも機体が上を向いている気がした。

試しに出発前に買った水の入ったペットボトルを横に倒して、テーブルに置いてみた。

ペットボトルは私の方に転がってくる。

やはり機首が上がっているに違いない…

今は雲が見下ろせる位、高く飛んでいる。

しかも、離陸から1時間近く経過している。

飛行時間の半分がそろそろ過ぎるという頃なのに、まだ上昇を続けることなどあり得るのか?

「機体の不具合か…」

「それとも人生に行き詰った操縦士がXXのため、乗員乗客を道連れにして…」

などと悪いことばかり、考えていた。

やっと日本に帰れると思っていたが、思わぬところに最後の関門があった。

飛行機怖えよ…

早く地上に降りたい…

初めて飛行機に乗った時も、2時間の飛行時間が「早く過ぎてくれ!!」と祈っていたが、今回はその比でない位、時間の経過が遅く感じた。

もう一度、ペットボトルを横向きにしてテーブルに置いてみた。

やはり私の方に転がってくる。

冗談抜きに自分は死ぬんじゃないかと思った。

そんな時、機内食のサービスが始まった。

私は少し安心した。

乗務員が機内食のサービスをする余裕があるということは緊急事態ではないだろう。

乗客をパニックにしないための演出でなければ…

私は頭が真っ白になっていたので、何を食べたのか全く憶えていない

到着時間まで20分になった頃、もう一度、ペットボトルを置いてみた。

今回も私の方へ転がってくる。

今の自分はどのくらい高さを飛んでいるんだろう…

もし機体が気圧に耐えられずにバラバラになって、外に放り出されたら、その時点で即死だろう…

その方が、墜落の恐怖がないから、苦しまずに死ぬだろうけど…

私は恐る恐る窓の外を覗いてみた。

すると小さな島が見えた。

それが、どこかはわからない。

飛行時間から考えると、それは多分日本の領土だろう…

だが、島が見えるということは、それだけ機体は低い位置まで降りてきているということだ。

私は心の底からホッとした。

日本に戻ることができた喜びからか、それとも飛行機が問題なく飛行していたことが分かったからなのかは不明だが、この時の気持ちは今でもはっきりと憶えている。

・帰還

飛行機は下降を続け、陸地がどんどんと大きくなってくる。

そして、遂に空港が見えた。

もう少し。

もう少しで日本に到着する。

飛行機は無事、空港に着陸した。

ああ~、生きて日本に帰ることができた。

航空会社の方(特に操縦士の方)、あらぬ疑いをかけて大変申し訳ありませんでした。

結局、あの上昇している感じは何だったんだろう…?

入国審査を経て、荷物を受け取った私は税関で申告カードを提出した。

特に課税品を持っていなかったが、係員に「一週間の滞在にしては荷物が少ないですね?」と言われ止められた。

私が持っていたのは中学・高校生が使うようなショルダーバッグと背負いのリュックサックの2つである。

特に旅行用の大型キャリーケースなど持っていなかったことが、不思議だったのだろうか?

税関職員:「申告カードに書かれたもの以外に何か向こうで買われた物はありますか?」

早川:「ええ、携帯電話を」

税関職員:「そうですか。マレーシアに行かれた目的は何ですか?」

早川:「留学ための下見です」

税関職員:「成果はどうでした?」

早川:「ええ。まあ。よかったですよ。ハハハ(ウソ)」

税関職員:「それではお疲れ様でした」

普通なら、こんな疑いをかけられたらいい気はしないだろうが、私は自分の思っていることをすぐに伝えることができる日本語の会話にとても幸せだと感じた。

ここから、勤労感謝の日2013年編の第一回の冒頭のシーンが登場することになる。

空港を出た私は電車で弟の家に向かった。

その日、弟は不在だったが、ここで携帯電話の充電をして、マレーシアで買ったお土産のTシャツと宿泊料の1000円を置いて家を出る。

携帯の充電が完了した頃、留守電のメッセージが入っていることに気づいた。

内容を聞いてみると、電話は初めて名前を聞く勤め先の本社の人事部長からで「確認次第職場に折り返しの電話をして欲しい」とのことだった。

職場に連絡したところ、電話に出たのは出発する1週間前に入社したばかりのオカダ(仮名)だった。

以前なら、休日に職場への電話など掛けることなど憂鬱以外の何物でもなかったが、私は知り合いの声が聞けただけでも嬉しかった。

その後、駅へ向かう。

駅の中のキオスクで食事を買い、ホームのベンチでそれを食べながら2時間ほど時間を潰す。

駅で2時間も時間を潰すのは、夕方の5時過ぎに帰るようにしないと車で迎えに来てもらえないからである。

・帰宅と職場の後日談

無事、家に着いた私は先ず家族にお土産を渡す。

なお80歳を過ぎた祖母は私が一人で海外へ行ったと聞いて、腰を抜かしそうなほど驚いて、無事で帰って来られたことを不思議そうにしていた。

その日の夜は自宅で食事を終え、荷物の整理をしていた。

たとえ留学を止めにしても、明日から別の戦いがある。

再出発の決意表明としてマレーシア留学のために集めていた資料や本をその日の夜に処分することにした。

翌日は通常通り、朝から出勤して、同僚には「お久ぶりです」と「無事に戻って来ました」の報告をした。

お世辞だと思うが、「この一週間は早川君がいなくて大変だったよ」と言ってもらえたことが嬉しかった。

それから、昼食時にお土産のお菓子とポカリを渡す。

60代の同僚シモヤマ(仮名)に「今回の旅行は何人で行った?」と聞かれ、「一人で行った」と答えたらとても驚かれた。

前日、祖母にも一人で行ったことを告げた時も同じような反応をされたが、これが世代の差なのか?

マレーシア行きを止めた私だが、これから考えなくてはならないことがいくつかある。

まずは来年に何をするかである。

これについては、帰国後すぐに結論を出すことを避けたが、職場の居心地が悪いわけではないことだし、最終的には翌年の3月まで仕事を続け、その後は留学のために貯めた資金を頭金にして、親元を離れ都会へ働きに出ることにした。

初めて行った海外で見事に鼻っ柱をへし折られたこともあるが、この職場で働いたことで、「日本の会社も捨てたもんじゃない」と思うことができたことも要因である。

私が職場に復帰してからは、人数も揃ったようで職場にも随分余裕ができた。

以前なら、シフトを管理する正社員のB(仮名)が「パートのあの人とこの人が『毎週土日祝日休みにしろ』と言っているのは止めさせるにはどうしたらいいか?」などと愚痴っていたが、それも無くなった。

私も復帰して以降は、以前にも増して職場にいることが楽しくなった。

Bが休みの日にタケダ(仮名)やオカダ、シモヤマらと一緒に事務所で無駄話をしながら退勤時間まで無駄話をすることは何よりの楽しみだった。

タケダ:「(12月の)24日は早川君一人で残業してね」

早川:「え? 何でですか? その日タケダさんも出勤じゃないですか?」

タケダ:「その日はクリスマスイブだから、俺は愛人とデートに行くの。どうせ君は彼女なんていないでしょ?」

早川:「じゃあ、シモヤマさんも一緒に残業しましょうよ」

シモヤマ:「あ、その日は俺のおふくろの誕生日だから、定時で帰らせてもうわ」

早川:「じゃあ、オカダさんは?」

オカダ:「その日、僕は休みで親戚の家に行く予定があるので無理です」

タケダ:「やっぱり、君はそういう運命なんだよ」

早川:「はあ? 何ですか、それ()

このように本音で話ができる人がいるということは、それまで「仕事はお金のために我慢すること」だと思っていた私にとって初めての体験だった。

こうして、留学を取り止めたものの、この年は無事に暖かい冬を迎えることができた。

なんだかハッピーエンドのような終わり方になったが、この時の決断が翌20141123日への因縁を生むのであった。

次回へ続く

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